死の一歩手前の病気を経験して三年が過ぎ、平均寿命に達した
人生を振り返って思うことは一年の経過の早さで、想い出すのは
哲学者ベーコンの『若いときの一日は短く一年は長いが、
歳を取ると一日は長いが一年は短い』という言葉を実感します。
特に私のように妻を亡くした者にとっては、暗くなるのが早い今頃の
帰宅してからのひとり身の寂しい夜の時間は長く感じられます。
歳を取ると一年が短く感じるのには数学的な理由があり、
七十四年間生きてきた私にとって今年の一年は七十四分の一で、
六歳の孫にとって今年の一年は六分の一の実感だからです。
もうひとつの理由は、子供にとって夢中で遊んでいるときの時間は
アッという間に過ぎて行くから一日が短く感じるのですが、
歳を取るとすべきことも減少し隙間が増え何事もゆっくりだから、
自然と時間の流れも遅く感じるので一日が長く感じるのです。
若いときは十年先のことなど考えても遠い未来のように思えますが、
長く生きてくると十年先のことは老いの行き先として、
待ち受ける死と今より不自由な身体になっている姿が想像でき、
願うは自分で自分のことができる身体で認知症にならない事と、
できるだけ苦痛なく穏やかな死を迎えたいことが願いだと思います。
昔の寿命では子育ての責任を果たし定年を迎えた頃には
ほぼ人生の終焉を迎えた時代でしたが、最近のように寿命が
伸びると『第二の人生』をどう生きるか? が重要なテーマです。
若いときは結婚して伴侶への責任を持ち、子供ができると
社会人として独立して生きて行けるように育てるなどや、仕事でも
家庭においても果たすべき役割があり、自分のことだけではない
家族や会社の仕事などへの責任を背負い忙しく生きていたのですが、
子育てがひと段落した定年後の生活は、経済的にも身体的にも
ほとんどの責任は自分自身のことが中心になってくるのです。
この夫婦ふたりの生活に戻ってからが『第二の人生』の始まりで、
特に退職で生活サイクルが激変する男性は、家事を手伝うことや
趣味や運動習慣を持たないと廃用性萎縮から認知症や
寝たきり老人へと進行する危険が女性よりも高くなる危険があります。
廃用性萎縮という言葉は整形外科で使い、身体は使わないと
駄目になることを指していますが、脳も同じで使わないと萎縮して行き
やがてボケるのですが、鬱病の人達の治療に運動療法があるように、
テレビを見て何もしないでボンヤリしている受動的で無気力な
毎日を続けると鬱を招き、鬱から認知症へと進行するのです。
家事を手伝い妻に感謝され褒められるような体験や趣味を持つと
仕事の充実感に似た快楽が得られ、その快楽は夫婦に相互扶助
の確認にも繋がるのですが、お互いの時間を尊重する事も大切
なので夫婦で共有する時間とのバランスを保つ工夫も必要です。
一番の理想は共有する時間が二割くらいで、それぞれの時間が
八割くらい持てるように老いてからも~をしたいという物事への
好奇心をお互いが持ち続けることで、それらの出来事を
二人の共有した時間の話題にして夫婦の会話にすることです。
歳を取ってすべきことが減少し時間がゆっくり流れ一日が長く
感じるようになったら、家事を分担して趣味を楽しみ時間を埋める
ようにすると、自然と充実感を味わいますので次第に二人だけの
生活にもメリハリがつき楽しい家庭生活に繋がると思います。
レシピを見て新しい料理に挑戦したり、家庭菜園なら手入れの
成果として収穫という実も味わう子育てに似た体験もでき、
身体を使うだけでなく脳の刺激にもなり精神的にも活性化します。
私のリハビリやピアノなどは、出来ないことが出来るようになった
喜びなどを味わうだけでなく、リハビリは朝晩一時間半ずつで
ピアノは約一時間と暇な時間を埋められるので、妻がいなくなった
寂しい真っ白な一日の時間に彩りがつき寂しさが埋められています。
一日の終わりは妻との就寝前の習慣で、牛乳を飲みながら
タバコを吸うのですが、そのときに妻の写真の目を見て心の中で
様々な一日のことを話しかけるのですが、九年も続けていると
時折ですが妻と実際に話しているような錯覚を覚えることがあり、
その夜が熟睡できるのは私の情緒が安定するからだと思います。
私は自営業の傍ら水泳から始めマラソン・トライアスロン・英会話など様々ことをやってきましたが、そのようなことを通じて多くの人達と
触れ合う機会や友人を得ることに繋がり楽しい人生になったので、
娘にも学校の勉強だけでなく部活や趣味など複数のことを同時に
するように勧め、妻にも家事だけでなく水泳や卓球を勧めました。
私達はその複数のことを通じてたくさんの人達と接することで毎日を
楽しく過ごせて、それらが家族の会話にも繋がりましたので、
若いときから家事や仕事以外の楽しみを持つことをお勧めします。
反対に若い人達にとって一日が短い一番の理由はすべきことが
多く忙しいからですが、忙しいという字は心が亡びると書くように
鬱病に繋がっており、鬱病の発症が一番多い年代が家庭や職場で
責任ある立場の四十歳~五十歳の人達であることで判ります。
私は仕事が忙しい人ほど仕事とは無縁の何か別なことに
取り組むべきと思っていますが、『そんな暇はない』と言う人ほど
実は時間を上手く使っていない人で、心身共に疲弊しリフレッシュ
できていないから睡眠も浅く結局仕事の効率が悪くなるのです。
この仕事人間ほど定年後に妻から熟年離婚を迫られる人が多くて
当人は『寝耳に水』ですが、『愛とは生もので、ほーっておくと腐る』
もので日頃から妻に配慮し感謝していないからで、支えられている
ことに気づかずに放置した腐敗の結果なのです。
娘の婿殿はいつも忙しくしており、普段の夕食は娘と孫達の三人で
過ごすほどですが、婿殿は土曜と日曜の休みは家庭菜園をやり
昼食や夕食を作り家族の団欒に当てており、私はそれも夕食の
差し入れとして頂いているのですが、娘の作る子供向けとは違う
大人の味付けなので楽しみにするほどの腕前です。
そんな中でもジムに通い汗を流してリフレッシュしているので、
そんなとき娘が仕事のときは孫達を預かるのですが、婿殿の
役に立ち私は孫達と過ごせる相乗効果を楽しんでおります。
他にも子供の頃からやっていたピアノもやっており、あるとき孫の
お姉ちゃんが『ブルースってどんな曲?』と聞いたとき、立ち上がり
『こんな曲だよ』と言ってピアノで弾き始める腕前で、孫達ふたりは
その曲に合わせて踊り始めたので娘が録画し送信してくれました。
こんなときには『さすがはお父さん』と子供の前で言うことが大切で、
『お父さんのお陰』など意識的に父親を子供の前で褒めることが、
子供との接点が不足がちの父親の価値を上げることに繋がります。
母親の価値を父親が上げ、父親の価値を母親が上げることを
習慣化すると子供への情操教育と自然と躾に繋がっています。
子供の前で伴侶への愚痴や悪口など言うのは、双方の価値を
下げることに繋がり子供への精神衛生としては最悪の行状です。
また仕事で必要な英会話のスキル維持のためにインターネットで
外国人と話すのも隙間の時間を見つけて婿殿は行っておりますが、
ストレス学創始者のハンス・セリエによると、『ストレス対処には、別な
ストレスを与えると転換される』そうで、ふたつの違うストレスを
間を置かずに与えると動物の抵抗力は高まり、同じストレスが長く
続くと二度目にはそのストレスに敏感になり病気になりやすいそうで、
その点でも婿殿は上手にストレスを解消しているのだと思います。
私が果たせなかった長距離のトライアスロンも二度ほど完走しており、
羨ましい限りで身体の心配をするほどですが、同じ忙しさでも
複数の違うことは気持ちの切り替えに繋がっているのは確かで、
これらが婿殿の健康維持法なのではないか? と推察し、婿殿を
応援したい思いで孫達を喜んで預かり楽しんでいますが、必要と
されるとき以外は入り込まない配慮が毒親にならない秘訣です。
夕食に誘われた最初の頃は、婿殿が台所に立ち娘が私や孫達と
遊んでいるときは、何とも言えぬ罪悪感のようなものを覚えたのですが、最近は娘と婿殿が融合し創り上げた二人の家庭の文化と
思えるようになり、そんな日は帰宅するたびに私が時折でも料理を
しなかったことを後悔し妻の写真に向かって詫びております。
結婚とは様々な苦難や葛藤を通じて、お互いを理解し合いながら
ふたりだけの新しい家庭の文化を創造することなのですが、
結婚十年でここまで融合できている二人には敬意を表しています。
しかし男も女も『なくて七癖』で、一緒に暮らした人間でないと
判らない癖は婿殿にもあると思いますが、私の妻も我慢の連続で私が
六十歳になったときに『アクが抜けて可愛くなったね』と言ったように、
伴侶しか知らないお互いの癖やこだわりの苦労はあると思っています。
四十七年間も店頭で女性と会話してきましたが、うちの夫は
『だらしない』や『几帳面過ぎる』などと多くの女性が言いましたが、
『バランスが取れて丁度いい』と言った人は一人もいなかったように、
一緒に暮らせばどんな人でも『癖を持つただの親爺とおばさん』
なのだとも思っています。
錯覚の下心の恋は良いところしか見えず、長年一緒に暮らせば
お互いの欠点や悪癖も見えてくるのですが、欠点や悪癖を含めて
許せる余裕が持てたとき真心の『成熟した愛』に育っています。
今の忙しいふたりにとってはきっと『一日は短く一年は長い』と
思うのですが、やがて訪れる二人だけの生活になったとき
『一日は長く一年は短い』ときを迎えますが、その頃には
義務や責任の伴う~すべきことから解放されていますので、
お互いにふたりが持っている~したいという物事をたくさん楽しみ
充実した老後を過ごして欲しいと願っております。
一般的には死を怖がるのが常ですが、まさに死に逝く人の脳内には
快楽物質であるエンドルフィンが放出されることは様々な研究結果で
明らかになっており、実際私が人工呼吸器をつけられ死の淵を
彷徨ったときには嫌な夢など一切見ていなかった『無』で、
意識回復後の方が苦しい思いをして恐ろしい夢を見続けました。
これらの経験から私は長く生きることではなく自分らしく生きたい
ということを実感したので、施設や病院で死を迎えるのではなく、
家族との想い出の詰まった自宅で死を迎えたい気持ちなので、
退院後の三年前にその趣旨を娘に話し、自宅のスペアキーを
娘に渡さないことを了承してもらった経緯があります。
世間から孤独死などと可哀想に思われても『別に』で、
娘や婿殿からは三年も続く夕食の差し入れだけでなく様々な
配慮を受け取っており、孫達とも日々交流し心が通い合って
過ごした確信もありますので、病院や施設の中でただ生き長らえて
家族が見送ったという形だけのものは必要ないと思っています。
私には妻や娘達家族と濃密な時間を過ごした記憶が胸にあり、
お客様や友人・知人とも十分に心を通わせた思いがあるので、
最後は人生の全てが詰まったこの家から涅槃へと旅立ちたいのです。
それまでは誰かの役に立ち社会から必要とされるような生き方を
したいことと、なるべく社会や他人様に迷惑をかけない老人で
あり続けたいが願いで、これらが死を迎えるまでの最終目標です。
今の心境は『往く道は精進して悔いなし』ですので、死後葬式の
希望は娘達家族四人だけで、荼毘に付すだけで良いので
一番安い葬儀で済まして孫達の教育資金や二人の老後を楽しむ
資金に使って欲しく、墓などは作らず娘達の家の庭にあまり大きく
ならない木を一本植えて、妻と私の骨を木の根元に少しずつ
撒いて欲しいが唯一の願いです。
その木から妻と二人で孫達の成長と旅立ち、そして娘と婿殿の
老後を眺め続けられるのでは? と思い死後を想像しています。
今年最後のブログで、来年の初めには軽い手術を受ける予定なの
ですが、これも数病息災と気楽な気持ちで受け入れております。
皆様の新しい年が、『喜怒哀楽』の怒哀が少なく喜楽が多い新しい
一年になり、楽しく過ごせることをお祈りして終わらせて頂きます。