ここ百年の文明発展の急激さを思うと、人間存在の本質を支えている
固有の文化的な精神性が文明の急速な発展について行けなくなって
いるように感じており、その文明と文化のギャップによる精神的な
アンバランスが文化的な衝突を生み出し分断と戦争頻発の
根本的な原因に繋がっているような気がしております。
AI(人工知能)のここ三年ほどの急激な進展などを見ても、
フェイク映像や文章の自動作成などは専門家でも見分けが
難しいほどになっており、様々な社会問題を引き起こすだけでなく
国家間においても摩擦を起こす危険が増すほどになっております。
文明の利器とは誰でも利用し参加できる便利で普遍的なもの
なのですが、毎日の生活を実質的に支えている精神的な
基盤である文化とは、それぞれの民族が持つ固有の特別なもので、
他民族からすればたとえ不合理なものでも、その民族にとっては
日常生活に安らぎを与えるという血と肉と土の産物なのです。
この特殊なものを基盤にそれぞれの民族が生活しているのですが、
文明の利器は便利さや安全や快楽をもたらすものなので、
それぞれの文化的な要素を越えて世界に普及し続けています。
この文明の急速で世界的な普及の現在は、その普及過程で
文明の利器を発明・製造した国の様々な文化が添付されて
行きかっており、特にインターネット上では便利さだけでなく
異文化に触れるという衝撃も味わっていますが、そんなとき
今まで自分を支えていた固有の文化的なものとの違いに戸惑い
揺さぶられ葛藤を強いられる問題には気が付いていないようです。
文化とは長い時間軸で沁み込んだ固有の、他の文化を持つ民族に
伝えることが極めて困難でむしろ不可能な性質を持つものなので、
安易に異文化を受け入れると不快感を伴う違和感を覚える
ところがあるから、文化的な違いによる摩擦と衝突が起こるのです。
文明とは快適で便利な生活を安易に手に入れる手段ですので、
マサイ族でも携帯を持っているように簡単に伝わるのですが、
現在はこの手段が目的化され肥大し続けていることが問題で、
文化的なものとのバランスが崩れ摩擦と衝突が頻発しているのです。
人間が創造してきた文明と文化はコインの裏表になっていて、
生の人間とは文明と文化のバランスで精神を保っているような
ところがあるので、どちらかに片寄るとそのアンバランスによって
不安から嫉妬や憎悪という悪感情が肥大するのが人間なので、
次第に社会秩序が乱れ人の世の平穏が保てなくなってしまうのです。
移民が少ない島国の日本人には理解できないと思いますが、
アメリカやヨーロッパのように非文明国からたくさんの移民が
文明という豊かな生活を求めて増え続けている国々では、
文化的な土壌がまったく別な水と油だから、中華街・日本人街・
ヒスパニック街などに分れており、それぞれが豊かさと文明的な
生活を求め目的化していますが、同一社会の日常生活の中で
その根である文化的なものへの異論や危害を加えられると、
意味もなく情熱的な怒りが発生し過剰なナショナリズムが起こります。
この文化的な違和感から始まって分断が発生しているのですが、
ある限界点を越えると些細な事件や事故で衝突が起こり
紛争や戦争に発展しているのではないか? という気がしています。
現在のアメリカの分断現象の根には、一般的な白人より豊かに
なっている成功した移民への嫉妬と憎悪があり、それが分断を煽る
トランプ現象に繋がっていることなども、アメリカの長い奴隷制度という
歴史的な白人優位の思想的な文化に起因した分断現象なのです。
小さくは家庭的な文化の違いから始まり、地域的な文化の違いがあり、
国家的な文化と連動して民族的な文化を形成しているのですが、
文明だけは世界経済というグローバルな形になって膨張しています。
そこには強者による搾取だけでなく、個人間の格差があり、
国家間の格差も生まれ、格差拡大による敗者の増加は不安や
不満や憎悪を持つ人達の増加に繋がっていますが、日頃は
抑制しているこの感情が些細な事件をきっかけで暴発するのです。
そんなとき人間は自分が持っている文化的なものを基準に集まり
行動し、その文化的な行動力は巨大なエネルギーを持っている
ので、衝突・犯罪・紛争・戦争などが凄惨なものになるのだと思います。
文明の利器を求め欲望が巨大化し肥大し過ぎたとき、人間は
違和感として潜在的な矛盾を抱え、無意識に文化という反対物で
バランスを取ろうとするのですが、このアンバランスが長く続くと
分断が起こり紛争から戦争へ発展したことは歴史が証明しています。
現在の世界的な戦争の多発はグローバル経済の負の遺産で、
その奪い合いが文化的な摩擦を過熱させ、結果としてお互いが
歴史的に『都合のよい正義』を叫び合い、紛争から戦争へと発展し
過去の『力が正義』の時代に逆戻りしいるように私には見えています。
夫婦喧嘩なども突き詰めれば育った文化の違いが引き起こしている
ものがほとんどで、夫婦関係なども文化的な相性が肝心だから
昔の見合い結婚などは釣り合いを第一優先にしていたのです。
必要なのは夫婦も民族もメルトリング(溶け合う)という融合なの
ですが、お互いの文化を理解するには非常に長い時間を要する
もので、いつも一緒にいる夫婦でも十年~二十年の時間が必要で、
融合できたときは二人だけの新しい文化になっているのですが、
民族の場合は何世代もの時間と理解しようとする努力が必要です。
非文明国の人達にとっては、臓器移植や脳死や安楽死なども
精神的な受容に非常に時間がかかるのは、これまで育んできた
個人の精神的な文化を逆撫でされる感情を味わうからです。
文明とは非常に便利でお金さえ有れば誰でも参加でき手軽に
利用できるものですが、精神に染み込んだ文化的な違いは
簡単には受け入れられないという性質のものであることを忘れ、
先進国経済は内需の限界を外需に求め急激なグローバル経済の
拡大に走り、今は文明と文化のギャップの限界点を越えた結果の
摩擦による分断・紛争・戦争多発現象だと私は思っています。
この文明の手軽さが危機を生んでいると思う一つが武器輸出で、
アフリカの戦争でも近代的な武器を使用し戦争しており、
たとえ武器や兵器を製造する技術がない国でも使用できるのが
文明の力で、文化を越えて使用できる手軽さが文明の持つ危うさ
でもあり、文明の利器は欲望を肥大させ手に入れたいという
焦燥感を生み精神を不安定をもたらすものではあっても、
文化のように安心・安寧をもたらす精神に良いものではないのです。
文明と文化はコインの裏表で、文明の急速な発展は可能ですが、
固有の精神文化も同時に発展させ融合を図りバランスを取らないと
人間の心は平穏を保てないもので、グローバル経済を推進するなら
同じスピードで民族の精神性もグローバルなものにして行かないと
いけないのですが、この文化の融合には長い時間を必要とする
やっかいなものなので、経済のスピードを緩めるような安定経済を
目指し強者は搾取をやめ格差を縮めなくす努力しかないと思います。
縄文時代は豊かな自然環境を活用した狩猟採集経済でありながら
定住生活を営み長く続いたのが良い例で、人間生活の平穏には
画期的な文明の発明がない方が社会が安定して長く続くのは、
それが文化的な安定感を精神にもたらしていたからと思います。
日本の戦国時代なども鉄砲を始め数々の西洋文明の武器が
到来してから、以後の江戸時代まで戦争という殺戮の連続でした。
二百六十年続いた江戸時代の平穏は鎖国によって文明の利器が
進入しなかったからで、その平穏さの中で元禄文化が栄え絵草紙や
浮世絵や俳諧や歌舞伎や落語や相撲などが生まれています。
侘び寂びの境地や粋な言葉や装いなどは日本人独特のもので、
これらの文化的なものは現代人でも阿吽の呼吸で理解できるのは、
精神文化として歴史的な時間で身体に染み込んでいるからです。
茶の湯は堺の商人から起こり、江戸の文化なども町民から
起こっており、文化とは一般人がある程度豊かな生活ができる
精神的な余裕から生まれるもので、人間はこの精神的な余裕が
持てなくなると暴力や紛争などギスギスした人間関係に発展します。
日本という国が西洋文明を受容し近代に移る基礎になったものは、
江戸という封建時代が文化的に成熟していたからこそで、
その文化が地方まで普及していた日本だけが非常に上手く近代に
移行できた稀有な例で、封建時代が文化的に成熟していない国は
世界的にも近代化に成功していないことも歴史が証明しています。
明治維新での死者は一万人足らずですが、アメリカの南北戦争では
五十万人位の死者を出したのも、新大陸上陸からの歴史的・
文化的な蓄積がなかったからではないか? という気がしています。
しかし日本も近代化と共に西洋化し、文明の利器である武器を
装備してから残虐な侵略戦争へと向かいましたが、その戦争の間の
日本では文化的なものは抑圧され続けて敗戦を迎えたのです。
手軽なのが文明ですが、文化とは様々な方向へと伸びて行き
様々な考え方が自由に行き来するなかで成熟して行くのですが、
長い時間を必要とするから良いものだけが生き残るような選別も
働いており、文化こそが人間が人間らしく生きる上での心の滋養に
繋がっているものだと私は確信しています。
文明とは生きるための手段で、文化とは人間らしく生きる支えとして
求めている安らぎをもたらす目的だと思うのですが、世界的に
手段の方が肥大化し目的化していることが現代の悲劇に思え、
その上に人間とは情熱的な精神を潜めながら独自の文化を
抱えている危険な爆発物でもあることを忘れているのです。
文明は科学ですので異論を挟む余地がないから極めて手軽に
共有できるのですが、文化の理解と共有は人類の最難問で、
多様性を持つ文化的な違いの闘いが複雑化し凄惨なのは、
ある種の『イマジネーションの戦争』になるからです。
現代文明の発達と共に発展したマスコミュニケーションの最近の
奇怪さと弊害が諸悪の根源で、それは手段を目的化することを広め
拡大し続けて常識化した大罪ですが、この手段の目的化こそが
人類の閉塞感を強め不安に陥れる事態を招いているのです。
新しい文明を受け入れ上手に消化するためには、
その民族全体が文化的な成熟をすでに果たしていることが必須で、
未成熟な民族は精神的な消化不良を起こして病んで行くのです。
ソビエト連邦崩壊や東西ドイツ統合などのように、
歴史とはその当時は誰も予想もしなかった結果の連続でした。
拙い想像力を駆使して起こり得る最悪のシナリオを思うと、
合衆国であるアメリカの未来には内戦の危機だけでなく、
一部の豊かな州の独立運動などの不測の事態萌芽の危機?
多民族国家である中華人民共和国の崩壊による分裂の危機?
など、分断と紛争と戦争の可能性が多々秘められており、
加えて温暖化による異常気象の多発なども含めて、世界の
どこでも起こり得る不透明な文明による危機を迎えていると思います。