中年非婚者が高齢化した未来。

少子化と中年非婚者の増加と格差拡大が進行した社会の

二十年~三十年後を思い、果たしてどのような社会が出現して

いるのか? を想像すると少々暗鬱な思いに駆られます。

現在は少子化により労働力不足が起こり始めておりますが、

人口減少は個人消費の縮小にも繋がりますし、人口比率の

分母より分子が大きくなると年金と医療制度を持続させるためには、

必然的に大きな見直しが問題として浮上してまいります。

現在の社会福祉施設などは、高齢者ほど年金受給額が高い

制度設計によって成り立っていますが、今から二十年~三十年後の

高齢者の年金額では同一料金で同一施設に入居できる人は

半減すると思われますので、もっと低料金で入居できる老人施設

でなければ賄えなくなりますから、現在の介護施設の経営状態も

難しくなるだけでなく、介護職スタッフの給与はもっと低額になり

恐らくマンパワー不足は現在よりも鮮明になると思います。

現在の老人は高度成長とインフレの恩恵を受けた、資産的にも

貯蓄額的にも年金受給額においても恵まれた老人だったのです。

しかし二十年~三十年後の大きな老人問題は、今よりも資産も

貯蓄もない貧困の老人が大量に出現することで、その上に核家族化

よりも深刻な非婚者増加のために、家族という絆すら持たない

孤立した貧困層の老人が大量に出現することが予想されます。

今は格差の底辺にあっても若いので労働収入がありますが、

高齢化した二十年~三十年後の働けない身体になったとき、

若年者ほど年金受給額が下がり受給年齢が遅れて行く現状を

思うと、格差の底辺にいる老人をどのように救い上げるのか?

は大きな社会問題として立ち塞がると思います。

いまでも高齢者による犯罪の増加で刑務所の高齢化が問題に

なっていますが、頼るべく伴侶も子供もなく高齢になり働けない

身体になった高齢者の増加は、ネット犯罪やネットの連帯による

高齢者の犯罪集団なども想定され治安の悪化にも繋がります。

現在の引き籠りやパラサイト集団の人達は社会性に欠けており、

二十年~三十年後には確実に貧困と孤立に追い込まれることが

想定されますが、この人達を行政で支える資金的な余裕だけでなく

支える人材も今よりは確実に減少すると予想されます。

人間は誰でも高齢と共に発病リスクが高まりますので、発病時の

介護リスクが高まっても介護してくれる家族がいない人達の増加です。

これまでも高齢者シングルは低所得で要介護リスクが高いので、

社会保障費の負荷を増大させてきましたが、二十年~三十年後は

現在とは比べ物にならないほどの負荷になると思われます。

この問題が生じた根幹には、高度成長以後の若年労働者の

都市集中がありましたが、一億総中流と言われた頃までは終身雇用

年功序列制度などで所得が安定し昇給が続きましたので、

結婚し家族とマイホームを持つシナリオが描け実践されてきました。

しかしパートタイマーの次に契約社員制度が生まれ、

企業側に好都合の派遣社員という制度が加わった頃から、

年功序列制度は成果主義に変わり終身雇用も終了しました。

この変化と共に労使が対等な関係から企業優位に変わって

サラーリマンの地位の不安定化が生まれ、『生産性の向上』という

掛け声はデジタル化と人材の合理化へと進み、その結果として

中流はいっきに下流へと追いやられ、格差が拡大し続けた

結果として中年の非婚化が一段と進行したこともあります。

非婚化のもう一つの背景としては、自分探しや自分らしくなどの

個人主義が跋扈し始めたことがあり、夢の実現や自己実現という

言葉が流行りだした頃から、女性でも男と対等に仕事において

自己実現を求めるようになり、結婚しないという選択肢がむしろ

もてはやされるような傾向が広がりました。

女性の社会進出の増加は晩婚化と共働き世帯を増やしましたが、

育児休暇や育児支援策が整備されない状況が長く続き、

国の政策遅れ以上に企業において長く整備されなかったのは、

古い因習としてあった男尊女卑傾向が根強く残っていたからです。

熟練の女性労働者の産後復帰の支援策を全くしなかった姿勢は、

社会的にも企業的にも大きな損失に繋がり、結果として

国際競争力の低下にも繋がっていたと私は思っています。

低収入で不安定な職業の人達の中には、結婚したくても

妻や子供を養う収入がないからと諦めている人がおり、現況では

結婚してもほぼ八割ほどは共働きでないと子育てが無理で、

若年者が集中した都市では保育所や学童保育の入所も

ままならず産後の職場復帰環境が整備されなかったことによる

将来への不安も非婚者の増加と少子化の一因です。

地方では夫婦別々の職場への通勤と子供の送り迎えのために

車を二台所有していることは若年世代の常識で、それらの経費の

ために自由に使えるお金の可処分所得が狭められた中でやり繰り

していますので個人消費が回復しないのです。

このような共働き世帯の増加は目に見えて増えており、

学童保育に行ってる孫のお姉ちゃんの施設では、今年一年生の

通所数は昨年の2.5倍ほどに感じるほどに増加しています。

政府は企業の国際競争力を上げるためという名目で法人税を

下げ続け、企業の収益が上がればトリクルダウン(おこぼれ)で

労働者への恩恵があると言い続けてきましたが、

大企業は労働分配率では還元せず全てを内部留保に

蓄えてしまったのが実態でした。

その間の子育て支援は小手先でごまかし続けて来ましたが、

周回遅れの今になって行う財源は目くらましの増税しかなく、

アベノミクスで膨らんだ国の借金の返済は現役世代に重い負担と

なるのは目に見えており、日銀も円安対策として金利を上げたくても

莫大な国債の金利負担が上昇するので上げられないという、

四面楚歌の状況に追い込まれています。

私が中年だった1980年代~90年代頃は、

都市生活者は独身で暮らすことが推奨された時代でしたが、

それでも高度成長による一億総中流で第二次ベビーブームが

起こり専業主婦がたくさんいた時代でした。

これは実質的に高度成長が支えたバブル崩壊までのことで、

それ以後は経済的な低迷と共にパラサイト集団の増加を生んだ

のは、親との同居の方が自由に使えるお金が増えるという安易さと

責任の伴わない生活習慣を生み、自由に使えるお金が減少する

結婚をリスクとみなす非婚化の増加もあったと思います。

人間は食べて寝る繰り返しですが、コンビニの外食普及は

食べるが簡易に賄えるようになったことで、健康で職業があれば

独身生活は束縛のない自由を満喫できるものになり、

責任を伴う結婚はむしろリスクと化した非婚化だったのです。

これも資本主義の進展によって、見えない糸に操られるように

家族を持つことがメリットではなくデメリットのように感じられ、

意識的に家族を持つことを避け始めた結果かな? と思います。

これは統計数字にも出ており、独身者数はここ四十年間で 

711万人から2115万人まで激増していることからも判り、

このうち中年の独身者数は35万人から326万人と約十倍の人数に

なっており、同じ中年でも離婚して独身になっている人もおりますが、

離婚の独身者数も42万人から138万人にまで増えているのです。

このような人口動態の変化に目が向かなかったのは、

個人の生き方として尊重するという個人主義の進展がありますが、

どうして未来予測として学術的な研究がなされなかったのか?

どうして結婚しない人がこんなに急増したのか? を学術的に

調査・研究しなければ少子化問題は解決できないと思います。

非婚率が都市ほど高いのは、進学や就職のために地方から

都市へと若年者が集中するからですが、もうひとつは若者達が

地方の持つしがらみを嫌う傾向があることも一因だと思います。

また単身者であれば住む場所の移動も身軽にできますが、

統計では居住地を頻繁に変える人ほど結婚から遠ざかる傾向

あるそうで、都市ほど家賃や住宅購入費が高額になることなどが

家族形成の妨げになる非婚化もありますし、ローンや家賃や

教育費の急上昇による将来不安から第二子・第三子を断念した

人達が多くいる少子化進行もあります。

では家族を持たない現在の中年独身者たちの居場所は

果たして何処にあるのか? 友人関係や職場の人間関係などが

考えられますが、親との親密度はどのように保っているのか?

を考えると、男より女性の方が親との親密度が高いと思えるのは、

私共の店頭で『親に頼まれたから』という来店度は女性の方が

圧倒的に高いことからも推測されます。

このことから中年独身男性の方が孤立化の危険を孕んでいる

ことが判りますが、女性の方が趣味を通じての人間関係や

友人関係の持続に配慮しており、私共のお客様の女性高齢者も

ケアマネージャーや行政だけでなく親族や友人との繋がりを

男性よりも密に維持しております。

これは女性の方がリスクへの不安が高いせいもあると思いますが、

緩やかな人間関係の構築という社会性においては女性の方が

上手で、職場以外に人間的な繋がりを持てない男の方が

高齢期に孤立する確率が高くなるように思えます。

四十七年間の商いを通じて様々な家族を垣間見てきましたが、

親が死ぬ頃には兄弟の縁も薄くなっており、退職すると男達に

友人と呼べる人間関係を持っている人は非常に少なく、

昔は自治会活動や老人クラブなどで地域コミュニティーと繋がって

いましたが、これらの活動に参加する老人も今は激減しています。

それらを避けて野球やサッカー観戦で、贔屓チームの応援をして

社会と繋がる糸口にしている高齢者もおりますが、居場所として

家庭がファーストプレイスとすれば、職場がセカンドプレイスで、

贔屓チームの応援や地域コミュニティーはサードプレイス

当たりますが、ファーストプレイス以外では楽しみや会話の時間を

過ごすことはできますが、自分の身に何かあったときの頼りには

ならないのが現代社会の実情だと思います。

私共のような地方においてはまだ買い物に行くと挨拶を交わす人

など存在しますが、都会では同じマンションの住人同士でも

挨拶もしないと聞くと、男も女も退職して独身高齢者になったとき

どのような形で社会にコミットして行くのか? 

災害による被災者になったとき知人がいない状況を

どのような精神状態で乗り切るのか? を思うと心配になります。

私には解決策など思いつかないのに暗い未来予測ばかりを並べて

申し訳ないのですが、家族がいれば身元保証人や死後の事務や

財産は遺言や法定相続ででき、親族がいれば成年後見人制度など

がありますが、家族がなく親族関係も喪失した人達が激増した

社会になると行政が処理しなければならなくなります。

近年このような独身高齢者に対応した新たな事業として

『高齢者終身サポート』という事業が生まれております。

生前の生活支援と介護施設入居などの身元保証・死後の事務

(葬儀・諸契約の解約)行い、十六年前から始めている事業所では

約二百万円の預託金の前払いですが、大きな問題が残こるのは

死後の遺産処理で、契約事業者の中には契約書に遺贈として

事業会社に渡すなどの表記もあり、行政的な整備が整っていない

現在は遺贈として着服している事業会社なども考えられます。

ほとんどが数人の小規模な事業会社で運営されており、

実際にサービスが高額だったり解約ができなかったり、

解約しても返金されないなどのトラブルが絶えないようです。

国も新しい社会状況に対応が遅れており、第三者による点検

行われるように行政指導を始めたばかりで、現在全国に400社以上

ある事業会社による自主ルール作りを促している状況です。

では『お金がない人をどうするか?』が大きな問題なのですが、

お金がある人の遺産を遺贈としてプールする公的基金のような

システムを確立して、お金がない人達への支援・補填にあてる

制度設計などを考えるときで、政治的・行政的な社会問題の

解決策の一助とするのも一案だと思います。

過去のDVや離婚などで子供に頼れない孤立した高齢者も増加して

おり、これらの諸問題は二十年~三十年後を生きる老人だけでなく、

現役世代の社会不安と負担増などの不具合にも繋がる問題です。

作家・永井荷風は生涯ひとり身で莫大な額の郵便貯金を

持ちながら『のたれ死』のような死に方をしましたが、若い頃の

日記には男の生涯の伴侶は書物と酒だと書いていたそうで、

このような『のたれ死』を覚悟していた徹底した独身への哲学と、

お金に執着しない金銭哲学があれば見事で本望だっただろうと

私はひたすら恐れ入っております。