お金は祝福にも呪いにもなる。

『お金は祝福にも呪いにもなる』という言葉は、

およそ50年前に世界一の資産家だった大富豪ゲッティ石油の

創業者ジャン・ポール・ゲッティ卿が、死期が近づいた頃の

日記に残した言葉です。

この頃アメリカの石油王として世界一の資産家にもかかわらず

生来のケチと有名で、来客が使用する電話代も負担しないように

自宅に公衆電話を置いていたほどの徹底ぶりでした。

まだ携帯電話なかった時代でしたが、このようなことまでした背景には

お金持ちに群がってくる寄付を名目にしたユスリやタカリにウンザリ

させられたことが関係しており、生来の勤勉実直と質実剛健の人

禿鷹的な人間の群がりに対処する術だったのが真実でしたが、

世間は有り余るお金に嫉妬してケチと決めつけたのです。

巨万の富への呪いの事件は、ゲッティ卿の息子と離婚して

母とイタリアにいた孫が1973年7月10日に誘拐され50億円の

身代金を要求されて起こりました。

当時の母親は家賃を滞納するほどに困窮しており、

孫は問題児だったので当初は親子による偽装誘拐と疑われました。

母親はゲッティ卿に身代金支払いを頼みましたが、

ゲッティ卿はマスコミを通じて『身代金は払わない』と宣言し、

誘拐事件は長引き4ヶ月後に孫の切り取られた耳が新聞社に

送られてきて、犯行はイタリアのマフィアによるものと判明しました。

困窮した母親はゲッティ卿と懇意の仲だった当時のニクソン大統領に

手紙を書き、ゲッティ卿に身代金支払いを促すよう頼みましたが

承諾しないので、ニクソンはイタリア大使館の元CIA諜報員に

捜査を指揮させ犯人と交渉の結果、身代金は10億円に

減額されましたがゲッティ卿はこれも拒否しました。

ゲッティ卿に身代金を出させるために政府は、身代金の一部を

非課税にして残りを4%の利子で孫の父親に貸付金にする条件で

ゲッティ卿の了解をとり、誘拐された孫は5ケ月後のゲッティ卿の

誕生日に解放され事件は解決しました。

ゲッティ卿は若い頃から死を迎える直前まで克明な日記を書いて

いたのですが、孫の誘拐には心を痛めていたことが記されており、

孫の解放は人生最高の誕生日プレゼントだったと記されていました。

身代金を払わないことで冷酷なイメージを作ったのは、

他の14人の孫達を誘拐から守るために顧問弁護士と相談して

決めたことだったことも記されていました。

この当時はイタリアでもアメリカでも裕福な人達の子供誘拐が

頻発していたので、もし支払えば他の孫達も次々に誘拐される

ことを懸念しての決断だったことが死後に判りました。

誘拐され耳を切り取られた孫ポールは結婚後にロサンゼルスに

移住しましたが、事件を風化させないためにと耳の再生手術はせず

髪を伸ばし隠していても心の傷は癒えずアルコールと薬物依存

苦しみ続けて亡くなりました。

ゲッティ卿の長男も偉大な親の影と後継者としての重責に苦しみ、

アルコールと鎮静剤の大量飲用でゲッティ卿より先に亡くなって

いますが自殺だったようです。

ゲッティ卿は歴史的な偉人に憧れを持ち、特にシーザーの

ローマ帝国と自分の創業した石油帝国を重ねていたので、

シーザーの義父が所有していた別荘(ヴィラ)を再現模倣した

ゲッティ・ビラ美術館』をロサンゼルスに誘拐事件発生の

3年前から建設していました。

誘拐事件以後は衰弱が目立ち始め、このような経緯も有ってか? 

美術館の充実に資金を投入し続けて、83歳の死亡時の遺言では

ゲッティ石油の400万株1970億円全てを家族ではなく

ゲッティ・ビラ美術館に寄贈しましたが、寄贈の唯一の条件として

美術館の入館料は永遠に無料で鑑賞してもらうことでした。

この資金を原資にゲッティ・ビラ美術館は有名絵画や彫刻などを

多数収集し、今も拡大し続けていますが今も入館料は無料です。

1984年ゲッティ卿の死後にゲッティ石油は買収され消滅した

のですが、死後の日記に書かれていたゲッティ卿の言葉

『富は不幸ではなく幸せのために!』という思想が、

ゲッティ・ビラ美術館をいつでも誰でも無料で鑑賞できる形で

継続されており、子供達の遠足や社会見学にも利用されています。

このような例を書いたのは『お金万能』の社会への警鐘で、

現代は学問も収入や地位を手に入れる手段に成り下がっており、

お金を得ることが幸せに繋がっていると思っているのが常識ですが、

本当の幸せとは手に入れる物の豊かさなどではなく、

対象物や対象相手に感動したり、心が通い合う実感の確認に

よって心が満たされる感情の豊かさだからです。

私などは欲しいものがあってもままならないのですが、

だからといってお金持ちを羨ましいと思えないのは、

高額な財産相続や農地を売って億単位のお金を手にした人達が、

その後孫達にまで及んだ不幸の様子を見てきたからです。

お金が不幸を呼ぶ原因の第一は人間を傲慢にすることで、

第二はお金に困っている人の立場を理解せず配慮しないで、

相対的な優越感に侵った高慢さで困窮者を卑下するような

心理を無意識的に持ってしまうからです。

お金は人間が生きる上で付き纏う四苦八苦からの解放ではなく、

貧乏の苦しみ同様に富裕者には富裕者の苦しみがあり、

富裕者にならないと富裕者の悩みや苦しみが判らないだけです。

人間とは自分が不足を感じているものが手に入れば

幸せになれると思っていますが、その不足なものを手に入れると

今まで持っていた何かを失うようにできているのです。

お金で何でも手に入る自由を手に入れると、必ずハイエナが

寄ってきて行動の自由が奪われ不自由な生活になるのは、

金持ちと有名人になった人だけが初めて判ることなのです。

有名人にならないと有名人の悩みや苦しみと孤独が判らない、

親にならないと・歳を取らないと・病気にならないと、

その本当の悩みや苦しみが判らないのも同様です。

男と女も同じで、男は痩せ我慢をしても働き続けなければならず、

女は多くの我慢を強いられ泣かされ続けなければならないように、

立場が違うと別な悩みと苦しみが存在しているのです。

男の悩みと苦しみを女が理解し、女の悩みと苦しみを男が

理解する関係を築けて初めてお互いの悩みと苦しみは軽減され、

より幸せな男女関係に近づけるのですが一方通行が多いと思います。

親の歳になって親の気持ちが判ったと自覚するように、

人間とは経験だけが真理を教えてくれるものなのですが、

豊かな想像力を駆使すれば人生の選択ミスを防げるだけでなく、

他者への理解が深まり本当の幸せの実感が得られると思います。

大谷選手の高額契約が報道されたとき、そのお金の使い方が

難しくなり本当の幸せに繋がって行くと良いなーと思いました。

大谷翔平選手の身の回りでも、所得格差があり過ぎる人との交際は

嫉妬や妬みが起こるのは必然で、そのことへの想像力が働かず

気付かなかったから通訳・水原事件が起こったのだと思います。

同じ大リーガーとの交際なら、皆そこそこの富裕層ですので嫉妬も

少なく憧れで済むのですが、一般人が知り合いになったら僻みや

妬みを隠しておこぼれを期待するのが普通の心理です。

呪いを避けるお金の活用方法としては、地元の花巻や岩手県の

貧しい家庭の子供に還元する意味で、『大谷翔平奨学金』などを

設立すると良いのでは? と私は思っています。

お金持ちが高級住宅街に住み子供を私立の高額な学校に

通わせるのは、僻みや嫉妬による摩擦を避ける安全対策で、

安心と安全高額なお金を負担して手に入れているのですが、

当然一般人よりは自由な行動は制限されていると思います。

お金持ちだけでなくほとんどの人は、生きているうちに財産も含めて

持っているものを手放さないのが常ですが、呪いの反対語は祝いで

『他者への祝福』行為を生前中に行えば呪いから解放される

私には思われ、贈与こそが自分自身を救うことに繋がっているのです。

ゲッティ卿も死後ではなく生前にゲッティ・ビラ美術館』に寄贈して

無料開放を行い、子供には偉大な父という負い目を持たせないように

日頃から『自分は運に恵まれただけ』と言い続け、子供達には

好きな道を選択させるような配慮をし、巨額な富を沢山の人達の

幸せに還元する行動をもっと早く取っていればと思いました。

お金がない沢山の人達の羨望や嫉妬や妬みが呪いの実態で、

愛憎が紙一重のように羨望と呪いも紙一重のような気がします。

お金は足りないと節約の工夫しなければならないのですが、

あり過ぎるとその使い方は単なる工夫ではなく、富める者の

責務として貧しい人への配慮という深い思慮が求められるのです。

名声と富は羨望を生み多くの人達に称賛されますが、

この一時的な快楽は逆に持続への不安と焦燥を生むだけでなく、

あるがままの自分が愛されていない孤独にも繋がっているから

満たされ過ぎた不幸として有名人の自殺が時折起こるのです。

誘拐事件以後のゲッティ卿は、孫達家族を頻繁に自宅に招き

ひたすら家族との時間を大切に過ごしたそうですが、

愛する人に承認され愛され、愛する人が元気で幸せそうな姿を

見られることこそが、富と羨望を越えた人生の幸せなのです。

これは決して富裕者だけに当て嵌まるのではなく、

普通の生活の中でも愛より欲望やお金を優先していると

幸せはすり抜けて行き欲望とお金の呪いが降りかかってきます。

人間とは相対的な優位で一過性の幸せを感じるのですが、

この羨望という虚像が称賛される一方通行の裏には、実像への愛を

求める孤独に苛まれることが潜んでいるので、私的な生活の中で

双方向の喜びを共感できる無償の相思相愛の相手を癒しとして

持っていないと幸せを実感し維持できないのだと思います。

お金がない不幸を嘆きますが、昔の人の本を読むと貧しくても

そこに親子の情愛と苦労があって成功した人達が沢山おります。

『過ぎたるは猶及ばざるが如し』の格言は、お金だけでなく

情愛にも当て嵌まり、本当に愛する人に成熟を促すには不足への

葛藤を強いる愛の鞭も忘れずに使用する工夫は不可欠です。

ずーっと借財を背負い続けた私がこんなことを言うのは、

ほとんどが負け犬の遠吠えにしか聞こえないのですが、

満たされない不幸は反発力で生きる力を生みますが、

満たされ過ぎた不幸は悩み苦しむという葛藤が少ないので、

湧き上がるような生きる力を奪い精神が病む確率が高いようで、

ゲッティ卿の他の息子達も放蕩息子で麻薬中毒の息子とは

絶縁状態だったという悲劇もありました。

ワインを仕込む前に、摘み取ったぶどうの実を強い日光にあて

腐敗させて作ると,『貴腐ワイン』と呼ばれる良いワインができる

のですが、日光に当て過ぎてしまうと干しぶどうになってしまうので、

どの時期に腐敗をとめると貴い腐敗になるのか? が難問で、

この腐敗の頃具合は人間の成熟にも当て嵌まるように思えます。

人間も日光にあたり過ぎると干しぶどうになってしまうように思え、

満たされない適度な腐敗の経験を経た後の発酵と熟成によって、

邪悪さを克服した『貴腐』漂う人間性が生まれるような気がします。

熟成の酵素は本からの学びと経験からの学びがありますが、

ぶどうの実が踏みつぶされるような辛く苦い経験が必須で、

満たされない方が機会が多く深い学びにも繋がっているようです。

ゲッティ卿の残された日記の最後には、

『お金は幸福とは関係なく、あるのは不幸の方かもしれない』とあり、

世界一の富豪の実体験として重い言葉を残しています。