人生の暇つぶしの変遷。

三月で七十四歳になり今月で商いの期間が四十七年目に入り、

随分と長き生きて長く商いを続けてきたと思うのですが、四月に

高校・短大・就職とずーっと一緒だった友人と寿司屋で飲みながら、

お互いのその後の人生経路も含めて語り合い、甘くほろ苦い青春が

『ついこの間の出来事』のように実感しながらの二時間でした。

私は人生のある時期から仕事や結婚など全てが趣味と同様の一種の

『生きている間の暇つぶし』 と思うようになり、辛苦の伴う出来事

達成感の伴う喜びの過程と同じと考えるようになりました。

それはある本で仕事などの役割がない王妃マリーアントワネットが

何もすることがないときに『退屈が怖い』という趣旨の言葉を

述べたと読んだときに、本当にそうだろうなと実感したからです。

私も何もすることがないと『自分が必要とされていない』ような感覚

襲われるところがあり、その時間を埋めるためにいつも予備の本が

ないと落ち着かないだけでなく、何かを求め挑戦しているような

事柄を持っていないと空虚な感覚に襲われるからですが、

これは幼少期の空虚感を引きずっているからと思っています。

この本への依存が強くなったのは借財を背負った店舗を持ってからで、

来店客が少ないときの不安からの逃避で本を読んでいたのです。

心に染み込み共感できるような言葉や文章に出会うと、

カラカラに乾いた喉に果汁たっぷりの果物を口に含んだような

不安と焦燥の心を和ませ生き返らせてくれるような感覚でした。

昔の人の本で感動させられ死を意識したとき、多額の借財を無事

返済に漕ぎ着けるまで健康でいなければと思い、妻や娘への責任を

果たすための健康維持に水泳とランニングを始めたのも、

将来への健康不安を行動で埋めようとしていたのだと思います。

その延長でトライアスロンへと繋がったのですが、練習をしていて

気が付いたのはトレーニングで肉体的な苦痛に耐えていると、

不安や焦燥が軽減され『何とかなるさ』と思えたことで、

肉体的な苦痛が精神的な苦痛を和らげていると気が付きました。

もうひとつの発見は『できないことができた』達成の喜びで、

プロのように金銭的な収入に繋がらない上に、むしろ持ち出しで

シューズや自転車やウエアーなどで出費がかさむのに、まるで

遠足に行く前の日のようなワクワク感を味わえたことでした。

早朝練習で汗をかくと爽快感があり、シャワーを浴び朝食を済ますと

『今日もやるぞー』という気持ちになり、仕事をしているとマラソン大会

日程が目標になり友人と100Kmマラソンにも行こうという話になり、

その友人とは日帰りや泊りがけなどで二十年位一緒に行きました。

水泳も四種目泳げるようになろうなどと目標がエスカレートして、

夏の間はその日程に合わせて仕事を組み立てていましたし、

冬は夏に備えての練習が冷たい心のすきま風を暖めてくれました。

娘が中学に入ったとき『一緒に英語の勉強をして』と言われたので、

『はい』と答えた手前仕事の合間に辞書を引きコツコツと続け、

六年半くらい経過して英検を受験し三級・準二級に合格したときは

嬉しくなり、調子に乗って二級を受けたら英会話の面接があり、

面接で二回続けて落ち三回目の面接官が『どこで勉強している?』と

聞かれたので、『自営業の仕事の合間にひとりで勉強している』と

答えたことに同情してくれ二級は合格したのだと思っています。

合格後は英語を止めましたが、ヒアリングの練習はウオークマンに

録音しランニング中に聞いていたので、字幕つきの洋画を見ていて

一部でも聞き取れて、直訳で理解し意訳を見ると『なるほど』と

嬉しくなるので、字幕付き洋画を録画し見るのは今でも楽しみです。

高校時代は英語も含めて勉強もせずにノンポリのような生活

だったのに、家庭と子供を持ってから変わったのは責任からで、

子供への『生きる姿勢』みたいなものを自覚したからでした。

マラソンとトライアスロンの二十年で左膝の痛みが強くなってから、

将来を考えて『今が止めどき』と決断したのは五十五歳位のとき

だったと思いますが、水泳だけはギランバレー症候群発症まで

週一回通い続けて参りました。

しかしギランバレー症候群発症の五日ほど前の十二月二十八日に、

『行きたくないなぁー』と思いながらも習慣で行き通常のメニューを

泳ぎ切ったのですが、この後に病気が発症したトラウマが今も鮮明に

残っており水泳に再度取り組む決断が中々できずにおりました。

しかし退院後の約二年半のリハビリ継続で関節・筋肉回復に

自信が持てたので、今年三月から体調に配慮しながら水泳を

始めましたがバタフライだけは思うようにできず、何とか25m泳げても

余裕がない泳ぎなので、もう一度基本から始めて半年後を目途に

前のような泳ぎができるように目指していますが、今後は

『行きたくないなぁー』と思ったときは絶対止めるつもりです

何ごとも加齢と共に手放せなければならないので、いずれ水泳も

止めるときが来ると思っていますが、次の暇つぶしを思案して

病気による手のシビレのリハビリと思い一年半ほど前から

独学で電子ピアノを始め、最初は思うに任せず苦痛だけでしたが

今は思いもよらない『心が和む』楽しみになっています。

元々音楽鑑賞は趣味から日常になっており、朝から寝床まで

音楽漬けですが、好きな曲が弾ける喜びは格別です。

楽譜が読めないので右手だけの点灯ランプをなぞり、ランプなしで

できたら次に左手の練習で、次は両手でランプをなぞります。

最後はランプなしで両手で弾くのですが、『さくらさくら』から始まり

ベートーヴェンの『悲愴』ができた頃から手のシビレが少なくなり、

お釣りの小銭や物や包丁を落とさなくなった効果も出てきたので、

思うに任せぬ苦悩にも耐えられる楽しみになりました。

ブラームスの『ハンガリー舞曲』とショパンの『別れの曲』は毎日

弾いて練習しないとすぐ弾けなくなるのですが、どちらも弾き終わった

あとに『すばらしい』のデジタル表示がでる快感と満足感が癖になり、

今は次の目標として『子犬のワルツ』に挑戦しています。

どの曲も初心者用にアレンジされているのですが、

この曲は指使いが早いので、これで『すばらしい』を得るのは

相当先のことになりそうなので最高の暇つぶしになりそうです。

ピアノへの集中力で発見したことですが、仕事が程々忙しい中で

空いた時間を見つけたときの方が集中力が増していることです。

仕事が暇で充分に時間があるときほど、なぜか集中力が持続せず

散漫になるのは、ピアノは所詮自己満足の趣味だからで、

きっと仕事という本文の『承認欲求』が満たされないと、

趣味は充実しないのだと思います。

冬の定休日は病後の声帯訓練と誤嚥性肺炎予防を兼ねて

カラオケに行き三時間ほど歌い続けますが、高得点を目指して

様々な曲に挑戦していますが、最近は孫達にも連れて行ってと

せがまれ下の孫が六歳の誕生日には吉田拓郎の曲を孫と

デュエットして九十三点が出て、気を良くして帰宅しました。

普段のお迎え後は一時間ほどドライブさせられ、車中でテレビを

見たり拓郎の曲を一緒に歌ったりしているので歌詞も覚えており、

九歳のお姉ちゃんは沢田研二の『危険な二人』を五歳のときに

覚え、九歳になっても記憶しており熱唱しておりました。

こんな孫達との濃密な関係も今がピークで、成長と共に友人の方が

良くなり自分の世界も広がる方が健全ですので、困ったときと

悩んだとき以外は相手にしてもらえない不用品を覚悟しています。

春から秋までの定休日はパークゴルフで芝生の上を五時間ほど

歩き続けるのですが、下半身のリハビリになるだけでなく攻め方の

攻略法で頭も使いますので認知予防にも繋がり、終わった後の

温泉入浴で身体も心も心地良い疲れで夜は爆睡です

今までのクラブは妻と共に遊ぶためでしたので、二人で一番安い

一万円以下のクラブで遊んでいましたが、今年は中級程度の少し

上等なクラブを買う決断をしました。

きっかけは同年輩のお客様に『一緒に連れって欲しい』と言われ

昨年三度ほど一緒に廻ったのですが、そのときにその方のクラブを

借りて打ったら『明らかに違う』経験を味わったからです。

その夜に想い出したのは、昔書道の道展審査員などを歴任した

高名な先生がお客様として長く来店していたのですが、

その先生の印象に残る言葉で高野さん『弘法は筆を選ばず』という

言葉は間違いで、良い字を書こうと思ったら弘法は筆も墨も

選ぶんですと言って自宅に呼ばれ高額な筆と墨を見せてくれ、

その違いを実際に書いて教えてくれたことを想い出したからでした。

クラブの結果は歴然で、ロングホールのパー5を2で入れる

アルバトロスの機会が増え、スコアーアップに繋がっています。

先日はスコアーアップに気を良くして、7時間218ホールを

水分補給だけで休まずに周り続けましたが、その夜は4回ほど

足がつって目覚め調子に乗り過ぎた報いの痛みを味わいました。

このような道具の違いはピアノでもあり、電子ピアノで練習している

私が時折娘の所のグランドピアノで弾くと、同じ曲でも音の深みと

鍵盤のタッチの違いを感じ、せめて中古の『アップライトピアノ』が

欲しいなーと思いますが、残り少ない自分の余生と二階への搬入の

難しさなどを考慮し、老人の趣味にしては贅沢と自分に言い聞かせ、

老いてなお湧き上がる限りない欲望の制御に努めています。

しかし先日やはり長く来店している独り暮らしの八十九歳の奥様が、

高野さん私ね子供時代に親に言われて嫌々ピアノを習っていたの、

今さら弾けないと思うけど可愛い曾孫が生まれ曾孫にあげても

いいと思って『新品のグランドピアノを買ったのよ』と、スマホで

曾孫さんとピアノの写真を嬉しそうに見せながら言うのでした。

僕は初めてだけど電子ピアノで練習していると話したら、

『弾いてみせて』と言うので弾いて見せたら、俄然やる気になって

『毎日一時間練習すればいいのね!』言って張り切って帰宅

しましたが、その背中はいつもより元気そうに見えました。

この方の友人も八十九歳の未亡人で長く来店していますが、

週一回のフォークダンスと週二回パソコン教室に通い、

孫達の写真でカレンダーを作成したりフォークダンスの衣装を

作成したりしており、四月末には孫の結婚式で東京に行ってきました。

こんな様子を見ていて思うのは、誰の人生にもときどき忍び込む

すきま風を暖めるためにも何か暇つぶしの事柄を持つことが必要で、

そのような事柄が人との縁を運び社会と繋がる糸口になっており、

対等な関係で若い人達と接することが良い刺激にもなっています。

長寿社会の到来は老後の生き方次第で様々な色合いになって

いる事実を垣間見て参りましたが、私が学んだことは失ったものに

未練を持たずに今の事実を受け入れて、今の自分に相応しい

ことに取り組み楽しんでいる高齢者こそが、若い人達が集まる

場所で自分より若い人達と触れ合うことに繋がり、結果として

元気に過ごし子供達に負担をかける時間が短くなるという、

子供孝行を実践していることにも繋がっているのです。

私はかねがね人生で暇つぶしの一番は妻で、二番目が娘で、

三番目が仕事で四番目以降が趣味の諸々と話していたのですが、

娘が中学生のときに『その順番に意味があるの?』と聞かれたとき、

これは『思うようにならない順番です』と答えました。

何事も思うようになると飽きるもので、手が届きそうな出来そうで

出来できないときが楽しく夢中になるもので、お母さんとあなたは

その点で『頃合いの良い最高の暇つぶし』ですと説明しました

一番目の妻を失い、子育てというままならない二番目の娘も結婚して

失いましたが、今は思うに任せぬ孫達ふたりが一番目になりました。

できないことができる喜びは自分自身の努力次第ですが、

思い通りにならない人を少しでも思い通りに近づけるのは

ひたすらの忍耐と慈愛で、対象が人間の場合は決して鞭を使わずに

冷や汗がでるほどにひたすら長所を褒め続け、欠点や嫌な

部分には目をつむる慈愛で気付きをひたすら待つことです。

我慢ができないときは微笑みながら皮肉を込めて『素敵!』

耳元で囁くのですが、やがて必ず内省し自らの力で変化します。

こんな皮肉を理解した妻は、日常の私への不満をぶつけるとき

『あなたは本当に素敵よ!』と意味深な目で微笑みながら鋭い

牽制球を投げつけてくるようになりましたが、怒りを押し殺した

微笑みの方が『悪魔の微笑みのようで本当に怖かった❣』です。

誰の人生にもままならないことが必ずあり、そのときのすきま風に

心が凍えないような楽しみの暇つぶしを持つことをお勧めしますが、

『趣味と実益を兼ねて』という言葉がありますが間違いで、

人は必ず実益の方に傾き冷たいすきま風にさらされますので、

趣味は実益のない身銭を切ったものにすべき事柄です。