慈愛と凶暴の謎。

虐待と育児放棄が社会問題になって久しいのですが、

統計によると三十年前の二百倍になるほどに増えている背景に

あるのは、日本国民全体に広がった将来への不安の増大と、

家族と地域社会の崩壊という絆の喪失による孤立者の増大です。

その大きな引き金になったのはバブル崩壊以後に財界の悲願で

あった製造業にも派遣社員を認める派遣法改正で、それは

構造改革という名目で小泉政権のときに竹中平蔵氏が行いましたが、

彼はその後は人材派遣会社最大手パソナの特別顧問になり、

その後親会社パソナグループの取締役会長職に就いているのは、

派遣会社に利益をもたらした論功行賞のようなものです。

この改正後に正社員は激減し派遣社員が増大したので、

不安定な地位の不安定な収入の人達が増え続け、

企業と人材派遣会社だけが潤い格差が拡大し続けたのです。

このような経緯によって派遣社員が増大した結果として、

将来への不安が増大した人が増えただけでなく、以後企業は

『お前の代わりはいくらでもいる』という感覚になりましたので、

改正以後は正社員でもリストラや降格人事への不安が常にあり、

高度成長期のように自ら猛烈に働く社員など皆無になり、

上司の顔色を伺い忖度しながら鞭で打たれるように働いているのが、

官庁や民間に限らず現在の実情では? と私は想像しております。

このような環境で働くことが労働者の精神を蝕み続け、労働者の

不安が家庭における弱者へのDVや虐待や育児放棄の増加

繋がった結果が、三十年で二百倍という数字になったと思います。

このような将来への不安が人間の精神に及ぼすものは、心の中に

潜む思いやりという慈愛の心を破壊し、暴力的な凶暴性を増大

させているという謎が最新の脳科学で解明されています。

この慈愛と凶暴の両義性がどのような過程で、どのように脳内で

起こっているか? は養育環境によって強弱はあるのですが、

誰の心にも慈愛の心と暴力をともなう凶暴性を持ち合わせている

ことは解明されており、凶暴性は人間が不安な状況に長く置かれる

脳のある部位が活発に反応し発症するそうで、その閾値は

人によって違っても誰にでも起こりえる、自分自身を優先して守ろうと

する動物としての人間に備わった生体反応のひとつだそうです。

一般的な母性なども女性が子供を産むと自然に慈しみの心が

起こるのは、脳内にオキシトシンが増えるからと言われていましたが、

最新研究では子を産むと『母性にスイッチが入る』は嘘だそうです。

男性でも赤ん坊や幼児の世話をたくさんすることで母性に似た

子供への慈しみの気持ちが育まれオキシトシンが分泌されることが

判っており、そのとき自律神経を司る脳の視床下部のMPOAとい

う部位が活発になっているそうで、恋愛で相手を愛おしく思うときも

この部位が活発になりますが、具体的な慈愛行動を繰り返すことが

このMPOAを活発にしオキシトシンを増加させるそうです。

反対に不安や恐怖を覚えるとMPOAの活動が抑制され

視床下部のBSTという別な部位が活発になり、ネズミなどの

実験では子育てを放棄するだけでなく子供への攻撃を始めます。

この慈愛と攻撃を司る部位は、攻撃性が強くなると慈愛の部位が

縮小し、慈愛が強くなると攻撃性は縮小するという反比例の

相関関係にあるそうで、これは何となく理解できると思います。

この現象は脳科学的な判断では個人の特性によるものではなく、

動物の種保存のためのシステムとして備わっているそうです。

一般的な動物の子育ては95%が母親だけで子育てをするのですが、

子育て中に天敵など襲われると最初は子供を守ろうとしても、

自分への危機を感じると子育てを放棄し逃げる行為は、

MPOAの活動を抑制し自分を守り今回の子育てを諦め、

次の繁殖の機会で子孫を残そうとする自己防衛本能だそうです。

つまり生物の親としての限界に遭遇すると、親としての義務を

放棄するシステムが組み込まれているということですが、

現代人にとって現在のような経済的・時間的なゆとりが少なく

なっていることは危機で、そのために将来への不安に苛まれると

脳内では慈愛のMPOAが抑制され、自己防衛のために攻撃性の

BSTが活発になるシステムが働くことによって、育児放棄やDVや

虐待が増加しているという学術的な見解です。

恐らく戦争体験者などはそのような人間の変貌を目の当たりにした

と思うのですが、ほとんどの人達が口をつぐんで亡くなって行った

のは、人間の醜さを思い知らされた自己嫌悪からだと思います。

これは繁殖のための戦略として組み込まれたシステムで、

残り五%の動物は共同養育という母親だけでなく夫婦や群れで

協力して子育てをするのですが、エサが少ないとか子育てへの

環境が厳しい状況の動物に多いのは環境適応だそうです。

群れや家族が連携して子供を育てる中で、育児時間が長いと

母性や父性とは別の慈愛を高める親性脳が活発になるそうで、

これは社会脳にも通じているので社会性も高まりますが、

人間こそが共同養育から始まった動物だと認識すべきときです。

フロイトが『無意識の世界が意識の世界を支配している』と

言ったことも脳科学で解明できており、原始的な脳の視床下部に

ある扁桃体は好き嫌いなどの反射的で無意識的な情報処理

行っているのですが、不安なども反射的で無意識的なものです。

しかし脳の前頭前野の肥大・進化と共に、相手の気持ちを推察する

というメンタライジング機能が発達したのですが、客観的・俯瞰的な

視点で論理的に考える前頭前野の思考より、反射的・無意識的な

行動を優先するようにシステム化されていると考えると理解できます。産業革命以後の資本主義社会の発達は人間同士による

共同ではなく競争社会になり、進歩発展は競争を激烈化しており

敗者復活の難しい現在は毎日が不安との戦いになっています。

また労働者というサラリーマン化が進んでから、家族の分業化も

進み男が働き女は家事と育児を賄うようになりましたが、ここにも

伝統的な男尊女卑的な思考が蔓延っており、子供の養育責任は

一方的に妻の責任のような思考態度がまかり通っています。

私達の原点である祖先は衣食住が厳しい環境であったので、

夫婦だけでなく群れとしての地域社会も含めた共同養育で

子供を守り育てるという社会の構築に迫られ行っていたのです。

現代社会でもこの共同養育を果たすことこそが、DVや虐待や

育児放棄の減少と少子化対策に繋がると私は思っています。

また男性が子育てに参加することでMPOAが活性化され、

子供への慈愛という父性は活発化されますので、子供の

人格形成の面において良いことはあってもマイナスはありません。

私は娘が幼児のときから寝るときの絵本やお話を続け、

おねしょのときも妻が起きたのは最初の一度だけで、後は全て

私が起きてシャワーで洗い私の布団で一緒に寝ていたので、

思春期の性教育も違和感なく疑問に答え自然に話をしていました。

中学から大学卒業まで正月にはデパートに行き妻は洋服を見に行き、

私と娘でブラジャー売り場に行って買ってあげていましたが、

売り場の人達は微笑ましいと言って私達を覚えてくれていました。

東京の大学に行ってからは様々な違う価値観の友達に触れ、

私を俯瞰して捉えた批評なども口にするようになりましたが、

この頃から自立への助走が始まり『もう役目は終わった』と感じる

ことが増えて、妻と二人の生活設計を考えるようになりました。

慈愛と凶暴という矛盾した二面性を持ち合わせているのが

人間の本質と理解した上で、家庭や組織における諸悪の根源である

凶暴性の抑制を計る社会システムの構築を考えるべきで、一番は

子を持つ女性への支援策と男性の意識改革が解決の近道です。

暴力や暴言という凶暴性の引き金である不安の軽減には経済的な

安定が基本なのですが、日本は高度成長の頃から高齢者援助に

片寄り過ぎて、若年世代への負担を増やし続け支援しなかった

こともDVや虐待増加の遠因だったような気がしています。

育児放棄や虐待が減少するような政策を国だけでなく

企業も意識的に進めるようになれば、保護や監督などの行政費が

減少するだけでなく、挑戦意欲の高い若者達が育ちますので

国家戦略として進める価値はあると思います。

明治維新の立役者などを見て思うのですが、国や社会を変える

力を持っているのは若者の活力で、その活力は家庭における

経済的な豊かさなどで育つのではなく、少し貧しい中でも慈愛を

浴びて育った環境の人達が多く活躍したことで判ると思います。

凶暴性の抑制と他者を思う慈愛が育つ一番大切な時期は

思春期なのですが、脳科学的な意味での思春期は十歳から

二十五歳位の期間で、脳が成熟する時期は二十五歳くらいです。

大人になって振り返ると思い当ると思うのですが、

この期間は心が揺れ動く不安定な時期なので、

凶暴性と慈愛のコントロールが難しいのですが、この十年間に

慈愛を受け取り親とは違った価値観の人に出会うことが成熟だけ

でなく、大人になってからの挑戦意欲の活発化にも繋がっています。

またこの期間の睡眠は心にも身体にも大切なのは、

身体を作る成長ホルモンは深夜十二時から二時に多く出ており、

様々な記憶の中からいらないものを排除し整理しているだけでなく、

アルツハイマー病の原因であるアミロイドβなどの脳内ゴミを

処理しており、日常生活に必要で大切なものは記憶として

定着させるという作業も脳は睡眠中にしているからです。

娘が大学受験のときの私の出した条件は『家で二時間以上は

勉強しないこと。今まで通りの時間に寝ること』のふたつで、

時間が来たら私は娘の部屋に『時間ですよ』と知らせに行きました。

集中した二時間の勉強で受かる大学が自分に相応しい場所で、

手の届く範囲の背伸びで努力することが健康を維持し幸せな

出会いにも繋がっていると私は今も確信しています。

人に認められて優越感を味わう幸福感は持続せず、それは塩を

舐めるように過度な優越感を求める焦燥感に必ず苛まれますので、

人に認められる相対評価による幸せではなく、自分自身が幸せを

実感できる絶対評価の生活の方が健全だと思います。

食事なども親が手作りで美味しいものを与え続けると、

凶暴性が抑制され穏やかな心になることは証明されており、

アメリカの凶悪犯ばかりの刑務所で半分の人間には従来の食事、

もう半分の人達には野菜の多い薄味の美味しいものを与え続けた

結果では、後者の囚人達の刑務所内のもめごとが半減したそうです。

野菜の多い美味しさがMPOAを活性化させ心を和ませたのですが、

反比例効果で凶暴性のBSTを抑制してもめごとが半減したのです。

私は認知症なども長寿によるだけでなく、この部位が作用している

と思っていて、社会的な役割だけでなく家族内でも役割がなく

過ごしていると、自分が家族や社会から必要とされていない

負担をかけているだけの人間と思い込み僻みっぽくなります。

このような僻みの不安と自己嫌悪に苛まれ続けるから、

アルツハイマー病の原因物質であるタンパク質・アミロイドβが

脳内に溜まるのですが、実はこのたんぱく質は認知症として

発症する二十五年も前から溜まり始めていると判っていますので、

七十代に発症した人は四十代の半ばからアミロイドβが

脳内に溜まり始めていることが判っています。

人間の身体は筋肉も脳も使わなければ錆び付き弱るもので、

使い鍛えると強く柔軟になることを私はリハビリで実感していますが、

もし働き盛りの頃に不安に苛まれ怯えた暮らしを続けていたら

もうアミロイドβが脳内に溜まり始めており、高齢と共に社会との

繋がりや家族との繋がりが断たれたら、身体も脳も使わなくなるので

一気に進み発症するのだと思います。

女性でも認知症を発症すると凶暴になる人が多くおりますが、

認知症初期は物忘れへの不安を持ち続けておりますので、

慈愛のMPOAの活動は抑制され、凶暴性のBSTという部位が

活発になるために起こっていると推察できますので、

孫の世話をするときに慈愛を持って日常的に接している人は、

MPOAが活発になっているので認知症予防に繋がっています。

このように人間を含めた動物は種の保存という宿命を果たすように

システム化されて生まれてきているようで、子孫を育て守るために

慈愛がセットされ、自らの身と子孫を守るために凶暴性も

本能の脳である視床下部にセットされて生まれてきていると

考えていいと思います。

しかし人間だけは脳を肥大させ、前頭葉という論理・思考回路を

発達させ文明と文化を創造し物質的な豊かさと便利さを手に入れ

ましたが、その文明と文化の発展の中で資本主義の過度な競争が

生んだ不安の増大によって、反射的・無意識的な自己防衛として

極度の利己主義に走り、その凶暴性は内側では家庭内弱者へ、

外側はネットの誹謗中傷へと向かうほどに精神は病んでいます。

人間が五%の共同養育動物という認識に立つならば、母親だけ

でなく夫婦や社会で協力して子育てできるよう是正すべきときです。

家庭の安定には競争の緩和ですが、病根は勝者のひとり占めによる

格差の拡大で、政府は企業への単純な賃上げ要請ではなく

半社会主義的な労働分配率の見直しに介入が必要なときです。

失われた三十年の経済不況と符号してDVや虐待や育児放棄や

認知症が増加してきたことを思うと、社会的な弱者を救うための

社会システムを再構築すべき時期の警告として多発していると

捉えるべき社会問題で国家的な危機にも繋がっています。