常識という落とし穴の危険。

一般常識とは広く多くの人が共有していますので、社会や組織を

円滑に運営して行くためには最も都合の良いものですが、

その常識には裏もあり闇の世界も隠されていると私は思っています。

実業界でも『業界の常識には、世間にさらせば非常識なことが』

まかり通っており、政治資金の問題だけではなくどの業界にも裏があり、

自己の存続をかけた必要悪が社会の浄化を遮っているのですが、

その問題の糸を丁寧にほぐし解決して行くことが求められています。

昨今は八十%の人が病院で死を迎えるそうですが、この常識は

たかだか五十年前から始まったことで、それまでの長い間は自宅で

家族に囲まれ見守られて旅立ち、家族の人達は『その二人称の

人が死を迎える』までの苦しみや辛さなどを肌で実感しており、

その苦しみへの労りの感情による看護の中で死に逝く人との

交流があり、死に逝く人はその人達へ感謝をして旅立ちました。

病院での死の普及は医療システムのあり方を問う問題で、

身体を治療するという看護の延長線上に死があるのですが、

死期が近づいたときは治療より死に逝く者への心遣いの方が大切で、

それは様々な人達との今生の別れの儀式みたいなものであり、

その儀式に繋がるものが自宅で迎える死の中にあったのです。

意識がなくなっても病院ではただ肉体の延命策が施され、

死ぬとか死んだとか聞いてから死者と対面するだけの現代より、

昔のように死に逝く者を自宅で見送った人達が体験したことや、

見送られた人の体験もずーっと高貴な体験だったと思います。

身近な二人称の人が日々衰えて行く肉体の死への過程のなかに

こそ生きた証があり、その交流体験の延長線上には自分自身にも

死が待っているという実感がありますので、今を生きるということの

大切さと健康であることへの感謝も実感できていたと思います。

このようなことに繋がった隠された背景あるのは、物質的な豊かさと

共に嫌なものを金銭的なもので蓋をする傾向が強くなったことがあり、

それと同時に表面的に飾った自己顕示欲が強くなったのですが、

それは水洗トイレの普及と重なっている心理が裏にある思います。

昔の汲み取り式トイレのときは、どんな綺麗な人でもウンコをする

ということが目にされ否応なしに認められたのですが、水洗トイレの

普及以後はレバーひとつで全て無かったものにできるので、

匂う排泄物などないようにすまし顔で出てくるようになったのです。

この臭いものに蓋をする偽善の蔓延とは、高度成長と共に

下水道設備が完備し水洗トイレが普及し臭いものを流して無いものに

する習慣によって、ほぼ無意識的なのですが社会全体に偽善が

蔓延し始めた潜在的な引き金なっていたような気がしています。

病院での死の普及も、病人という嫌なものを延命治療という名目で

病院に押し付け、病院にとっては延命治療ほど高額な診療報酬に

繋がるという利害一致があったから急速に普及したのだと思います。

建前は立派なウソで固められた死に方の普及は、患者家族と

病院双方の利害関係が一致しており、手を煩わせる臭いものに

蓋をする偽善にはお互いに目をつぶり常識として扱ってきたのです。

今老人はなるべく家族の手を煩わせない施設に入居するのが

社会常識になったのは、高齢者ほど年金受給が高額だったから

年金で入居費用が賄えたからで、今後の老人の年金では

賄えないので施設入居者は減少に向かうと思います。

建設・土木業界による談合なども業界では暗黙の常識ですが、

これに必要悪的な要素があるのは、全てを競争入札にすると

過去にあった姉歯構造計算偽造事件のような手抜き工事が

受注するために頻発することを防ぐ意味と、過剰競争による

企業倒産を防ぐ意味もあるのですが、悪用すると談合で

順番に暴利を貪ることにも繋がる全ては諸刃の剣なのです。

私の職業であるお茶の業界でも、生産家にも正直な人と

偽善の人がおり、販売業者も原価率は販売業者が決めているのは、

商品を買う消費者の選択権が担保されているからです。

農産物と水産物の販売価格は全て販売業者に価格設定権があり、

市場という消費者が販売業者の選択で生死を決めているのです。

私の友人は病院との取引が主体の仕事をしていますが、

最近はリベートという裏金の要求がエスカレートし、要求を飲まないと

取引を切られるので経営がひっ迫しているとこぼしていますが、

これは社会保障費削減と診療報酬削減の影響もありますが、

一般的に豊かな人ほど権力を笠に利益誘導を図るのはいつの時代も

同じで、病院や医師への納入業者によるリベートは業界内の常識です。

個人的には夫婦・親子関係なども建前はともかく実態は色々なのに、

芸能人や皇室などの醜聞には建前で批評しており、

夫婦や親子は仲睦まじくと建前の常識論を振りかざしているのです。

介護保険ができたとき、砂糖に群がる蟻のように介護事業者の

参入が続いたのですが、厚労省は次第に与える蜜の量を減額して

きましたので、業者は介護労働者の低賃金と介護保険利用者の

操作によって利益確保を図っており、ケアマネージャーなどの

仕事をした人は業界の非常識の中身は知っていると思います。

ビッグモーター事件なども保険業務を代行しているディーラーも

同じようなもので、損保会社にとって上客の自動車メーカーなどの

大手代理店業者には様々な便宜を図っているのが実態で、

ビッグモーターは本音の利益を剥き出しにしてやり過ぎた結果です。

最近は男だけでなく女性でも働いている人が増えていますが、

どの職業においても冷静に業界の常識を世間の常識と

照らし合わせれば思い当ることはたくさんあると思います。

人間は個人では自己利益の追求を求めていますが、

その個人が世間という形をとると平気で建前論を振りかざします。

インターネットの世界ではラインなども無料ですが、見えている

部分は無料ですが陰の広告会社からの莫大な収入という裏があり、

買物データーという掌握した個人のデーター分析結果を企業に

販売している実態もあり、全てをステルス化して実は消費者を

誘導しているように、無料常識の裏利用は高度化しています。

建前と本音のステルス化は社会のあり方を変革し蝕み始めており、

そのような社会への対応として個人も本音のステルス化を身に付け

常識化し始めているので、今後は個人の孤立化はより進行する

と思いますので、鬱病と自殺は増えても減らないと思います。

常識というその時代の正しさは実は怪しいもので、

大量消費で大量生産を可能にした時代は、消費が善で節約が悪の

ように捉えていたことを堂々とテレビCMで謳っていたのです。

今は資源の節約や二酸化炭素の排出抑制を謳っていますが、

公害問題を引き起こすまでは成長のみを追い求めていたのです。

LGBTなども長い差別が常識の時代があったのですが、そのような

性的嗜好を持った人達が差別に苦しみ鬱病やアルコール依存症や

摂食・過食障害に追い込まれた経緯が続きましたが、精神医学の

発展から現在WHOは同性愛を異常・倒錯疾患とみなしていないので

治療の対象からはずし、性的指向の矯正は間違いと断定している

ことが常識になろうとしている新しい時代を迎えております。

日米関係なども鬼畜米英・一億総火の玉とアメリカ打倒を目指した

時代の常識が、敗戦と共に押し付けられた憲法と民主主義が

当然になっており、日米同盟などと言っていても現実はアメリカの

属国のように振る舞っているのが常識の時代になっているのです。

事程左様に過去の常識は現在の非常識になっており、

過去の非常識は現在の常識になっていることが沢山あります。

娘が中学生のときに『クラスの多数決で変な方に決まった』と

帰宅後に怒ったことがあったのですが、私の答えは『九十九人の

気違いの中に一人の正気が入ると、正気が気違いに見える』

ので、何ごとも多数決で決まったことを信用しないようにして、

『自分が正しいと思うことを信じて下さい』とお願いしました。

社会や組織でも権力や金権に配慮・忖度して動いている人が多く、

投票行動なども信念や思想を持って投票している人がどれだけ

いるか? 様々な利害や立場の中で誰もが自己利益の最大化を

目指している人達の増加に伴い、倫理や矜持などという言葉も

死語に近い今は正論など建前だけの非常識になったのです。

安倍派のパーティー券問題なども、安倍元首相という権力者が

いなくなったから検察が動いたのが実態で、もし健在で有ったら

このような非常識が安倍派の常識のままに終わったと思います。

身分制度なども士農工商という差別に近い区別が当然の時代が有り、

『切り捨て御免』などという信じられないようなことが常識であった

だけでなく、長く男尊女卑という女性への差別の時代があり、

今でも暗黙的にその余韻が社会や組織には巣食っています。

少子化なども結婚することが当然で常識の時代の終焉が

根本原因で、個人主義の蔓延から家族の扶養義務より個人の

豊かさを優先する人が増えたことと、格差の拡大で扶養義務を

果たせないから結婚できない人達の増加が背理としてあります。

高度成長が始まる前には『同棲時代』があったのですが、これも

住居・光熱費の節約という困窮によって普及したもので、現在は

シェアハウスという形が普及しているのも格差拡大への対応策ですが、

個人主義が進み人間関係の円滑な運営は困難さを増しています。

常識とはその時代の経済状況を背景にして、そこに文化的な

要素が絡んで人間が生き抜くために生み出しているものですが、

そこには強者が生き抜くための常識という傲慢なものと、

弱者が生き抜くための常識という健気なものの二種類が

いつの時代も混在していたのが実態だと私は思っています。

社会や家族を歴史的な視点で俯瞰してみれば、時代の常識など

時代の流れの中で真逆に変化していることが山ほどあり、

何が正しいのか? は時代の常識に流されたら見えなくなります。

また外交や経済など諸々の専門家が現在の状況判断から未来を

もっともらしく予測していますが、これなども状況判断は正しくても

長期予測などは外れていることが多く、戦争の勃発や気候変動や

天変地異などの突発的なできごとが起こることによって、予測とは

真逆な現象が多々起こっており、何ごとにおいても歴史的な

視点で俯瞰し捉えて初めて真実が確認できるのだと思います。

若者の就職活動などでは人気ランキングがあり、現在収益が好調で

人気企業などに就職できた者が勝ち組のように思っておりますが、

二十~三十年後には技術革新によって花形企業が入れ替わり、

勝ち組で安泰と思っていたら五十代になったときは衰退企業に

なっていて、リストラ対象になっていた人達もたくさんいたと思います。

確かに経済的な安定は誰でも望むことですが、大切なことは

自分の人生の結果責任を誰かのせいにしない生き方をすることで、

それには自分自身の望むことを優先して選択することであり、

もし望みが叶えられなく不服な仕事でも、生活のために

目の前の仕事を長期に渡りコツコツと誠実に続けていると

必ず見えてくるものがあり、貧しい苦難の時代の人達の中には

望まなかった仕事が天職になった人がいたと思います。

理想と現実は違うものですが、どんなことも三年位コツコツと誠実に

続けてみて初めて見えてくるものがあり、社会や組織の仕組みや

中身なども三年くらい経過しないと把握できないだけでなく、

我慢の一番の収穫はその揺れた心の忍耐による葛藤こそが、

その後の人生を経済的・精神的に豊かにする人間性の獲得に

繋がり、その人間性の獲得が以後の人生で心豊かな人と出会う

という幸運を運んでいるのです。

その理由はその三年間に揺れ動いた心の葛藤の連続の中で、

安易に葛藤から逃避しなかったことで身に付く精神力と、

忍耐と葛藤からしか見えて来ない他者の信頼度判定などは、

超感覚的知覚による判断力なので感受性が豊かな若い

二十代のうちに身に付けないと鈍ってしまうものなのです。

早い時期に葛藤なしに社会慣れしてしまうと、その後の人生の

岐路における様々な判断力の誤りに繋がっているものです。

人は兎角偶然とか運とかで物事の結果を片付けがちですが、

人間の判断力の中にある第六感などは、論理も理屈も入り込まない

超感覚的知覚による判断力で、忍耐と葛藤という経験知からしか

生まれて来ない個人的な信念みたいなものですので、たとえ失敗

しても潔く責任をとるので人生はいつも前向きに進みます。

忍耐できる能力とは『私は過去に忍耐したという記憶があるから、

今も忍耐することができる』という経験知で身に付いているのです。

何ごとも常識という落とし穴に嵌っていては人間は脱皮できず、

兄弟などを見れば判るように同じ家庭で育っても人間性や

価値観など全く別な人間に育っていることがほとんどなのは、

人間の成熟を促す一番の要素は、家族と共有した価値観や

倫理観とは全く違う人間とどれだけ多く出会ったか? で、

その経験の中で様々な異質性や異物との遭遇によって起こっている

精神的な化学反応が、多様な真理の理解に繋がっているからです。DNAによる先天的な要素に加え、育った環境が基盤になっている

と思っている人が多く常識になっていますが、それ以上に社会へ

巣立ってから多様な価値観に触れることの方が人格形成に与える

影響が格段に大きいことは、学問的研究の世界では常識なのです。

一般的に親は育てたときの枠で子供を見ていますが、

巣立ってからの十年位の期間の出会い如何で、そのままか?

親も知らない親以上の人間性を身に付けているか? 

の違いとして子供は大きく変化しているものです。

人は生まれてからその時代の常識を把握し身に付けるのですが、

その常識という落とし穴からの脱却こそが成熟へのイバラ道です。

1980年代のバブル絶頂期には地価の上昇が常識で、

土地や美術品やゴルフ会員権を買っては転売し、株価は上昇し

続けたのが常識でしたが90年代に入ってバブルが崩壊してからは、

拓銀や山一証券などの破綻が続き暗い世相の時代を迎えました。

しかし95年代までの五年間位はいずれ景気は回復するだろうという

気持ちが国民にもあったのですが、失われた経済の時代は三十年

にも及んでおり今は格差拡大と不況が常識の迷走の時代です。

社会の経済的変化は国民の不安心理を増幅しましたが、それは

サブカルチャーを生むという現象に現れており、この揺れた

迷走の国民的不安心理がアニメや漫画やゲームなどの中で

的確に表現され、主に90年代に創造された日本のサブカルチャーが

世界的に広まったことは偶然ではなく必然だったと思います。

この頃から『援助交際』という言葉が広まりましたが、当時新進気鋭の

社会学者だった宮台真司氏は『いっそ売春を公認した方が良い』

という過激な発言をしましたが、この頃から建前と本音を使い分ける

カルチャーが日本全体に常識として広まったような気がします。

本道のカルチャーは建前で、サブカルチャーが本音を表現していた

と捉えると理解できると思いますが、社会変化に鋭敏な若者の感性が

サブカルチャーを生んでいるのは世界中どこでの国でも同じで,

その頃若者の不安心理につけ込んだのがオウム真理教でしたが、

この時期に地下鉄サリン事件が起こったのも世相の反映だったのです。

常識からの脱却とは最終的には個人の思想と倫理観と矜持の

問題なのですが、何が常識として正しかったのか? の全ては

歴史的な文脈で判断する学問で明らかにされることが正しい答えです。

しかし現実の人間社会とは戦勝国の言い分が通るように、

『力が正義』として時流を闊歩していることが常識になっている

のが人間社会なのですが、遅々として進まないように見えても

少しずつですが様々な非常識が修正されているのは人間の叡智です。