人は育て合うもの。

私と妻は性格だけでなく好みなども正反対で、日常なども

私は音楽を聴き本を読み、妻は本など読まず朝から晩までテレビを

見ており、たまに私が見たい番組などがあって見たいと言うと

一瞬嫌な顔をしながらも『いいよ』と言っても、不機嫌な様子なので

テレビは妻のものと諦めて妻の自由にさせて過ごしておりました。

妻の見る番組はお笑いやバラエティで楽しそうにいつも笑いながら

見ていましたが、私は妻の楽しそうな横顔を見ながら日常の幸せを

実感するようになれたのは、私の自我の強さに対する妻の

寛容さと妻が嫌がる困難な選択でもいつも容認してくれたからです。

最近は優れた指導者や助言者のことをメンターと言うようになり、

企業ではメンタリング制度を設けて、上司の指示とは別に

先輩社員が助言や指導をするという人材育成手法を日本の企業も

多く取り入れるようになっております。

メンターと呼ばれる指導者との対話による助言関係によって

気づきを促し本人の自律的・自発的な発達を促す手法ですが、

相談の幅が広く人生設計や人生相談などに及ぶ場合もあります。

組織が中央集権型の上意下達の管理体制では硬直化するので、

個人が自律して自発的に考え行動できるように権限を末端に委譲し、

フレキシブルな組織と人材育成を目指したのがメンタリング手法です。

この手法は一人ひとりの人格を尊重することが前提になっており、

この手法は親子や夫婦や友人関係にも通じると私は思っており、

メリットは指導者であるメンター自身も人間的に成長できる

という相互的な成長と成熟の要素がたくさん含まれています。

私は二十三歳で結婚しましたが、その頃の自分を振り返ってみて

小心者で喜怒哀楽の感情の抑制が効かない物欲に飢えた

『どうしようもない』男でしたが、何ごとも我慢しながらも承認して

くれた妻というメンターのお陰で少しずつ育てられ変化できた

と今も実感しています。

私は結婚式後の控室で涙が溢れ妻に『どうしたの?』と聞かれて、

『これからずーっと一緒にいられると思ったら嬉しくて』と答えたほどに、

死を迎えるまで妻が大好きだったことだけは私の唯一誇れること

だったと思いますが、妻もそのことだけは確信していたと思います。

こんな私でしたので子供のように一時の感情を妻にぶつけたり、

結婚前に妻が数年かけて貯めた貯金を結婚後に一ケ月で

全て競馬に使うなど数々の悪事をしたのですが、妻は決して

怒りの感情を剥き出しにせずただ悲しそうな目で『もうしないでね』

言うだけの、ひたすら喜怒哀楽の感情を抑制する人でした。

長年一緒に暮らして先天的な性格と理解しましたが、

子供の頃から感情を抑制し出さないので兄姉なども誤解し、妻の

ことを『何を考えているのか判らない』と言ったときは驚きましたが、

それは自分の尺度で人を推し測っているから理解できないのです。

しかし妻の私への配慮による抑圧は回帰し、私が行商をしていた

二年目に軽い鬱症状が見られたのは、先への不安を押し殺して

いたからでしたので私は借金をして店舗を持つ決断をしました。

店舗を持ち一緒にいる時間が増えてから鬱は解消されましたが、

同時に妻への理解が深まり一時の感情を押し殺し対処してくれた、

妻というメンターのお蔭で育てられたと内省させられました。

特に子宮外妊娠翌年の七年目にできた娘を無事に生んだときの

『あなたの子供を生めて本当によかった』という義務と責任を

背負っていたような重い言葉に、私への大きな愛を覚えて

私自身のあり方を変える大きなきっかけになりました。

私はその気付きによって人を本当に変える力を生むものは

論理や力などではなく、相手の望むものを与えようとする

姿勢こそが人を変える力を生むと気付かされたのです。

それ以後は娘の子育ても子供の人格を尊重することを意識し、

望むものを与えるように心掛け自らの気づきを待つ姿勢を心掛け、

対話と求められたときにだけ助言するという配慮をして来ました。

自分の望む姿を相手に求めるのではなく、私自身が

どう変わればよいのか を意識してひたすら待つ愛情ですが、

そうしているうちに相手が理解すると自律的に変化して行くのです。

私が気づき変化してから妻は私にだけは自我を出すようになり、

時々妻の怒りが爆発したときはユーモアのセンスで応対して、

『そんなに褒められると照れるなー』などと言うのですが、

『褒めてるのではなく怒っているの!』と返されても、

『そんなに怒らないで優しくして、私は褒められて伸びるタイプなので

お願いします』と言うと呆れて、『私も同じだから私も褒めてネ』

なり喧嘩が喧嘩でなくなって鉾が収まりました。

そのような接し方にしてから、妻は私にだけは自我を抑圧しないで

『本当に小生意気なひねくれ者なんだから』などと、言いたいことを

言うようになったので鬱症状は全く出なくなりました。

何か失敗したときなども決して『何をやってるんだ』は禁句で、

皮肉って『素敵!』と微笑みかけたり、心配しているふりでも

『大丈夫?』と声をかける方がずーっと効果的です。

あるとき妻が台所で茶碗を割ったときは、動かないように指示をし

破片を集めて掃除機で綺麗にし終わってから『動いていいよ』と

言ったときは、呆然として『ありがとう』と言いましたが、翌日私に

『あざとい』作為でも突然の出来事は中々できないと感謝しましたが、

茶碗の代わりはあるがお母さんの代わりはいないからと言うと

本当に嬉しそうにしていました。

咄嗟のときほど相手を思いやる姿勢を見せることが大切で、

そのような贈与を受け取ると人間は返礼をしたくなるものです。

そんな出来事以後から帰宅すると必ず『今日もご苦労様でした』と

言ってくれるようになり、ねぎらいの言葉ほど一日の疲れが

取れるものはなく、深夜の仕事も苦痛でなくなったものです。

妻の家事は年中無休で私は婿殿のように料理をしなかったので、

買い物に行くときに時折愚痴ったのですが、そんなときは

『俺も働いている』などとは決して言わずに『じゃ外食しよう』と

言うと喜びましたが、ほとんどは『そんな贅沢ばかりできない』と

突っぱね私をたしなめましたので、『すみません』と言うと溜飲が

下がり妻の振り上げた不満と怒りは自分で振り下ろしていました。

子供の勉強なども口うるさく言うのは子供への親の欲望で、

子供の欲望を尊重する姿勢が肝心で、私の場合は入学後から

三年生くらいまで一緒に勉強に付き合いながら褒めちぎり、何気に

習慣化しているうちに知らないことを知る喜び・できないことが

できるようになる喜びを味わうことに意味を見出すことを

知って欲しいと願い娘の求めには全力で応じ続けました。

習慣化以後の私の口癖は『勉強はあなた自身の問題で、やるか? 

やらないか? 選択と決断はあなたがすることです』と言い続けました。

中学に入って初めての中間試験の前日に見たいドラマがあり、

私に『テレビを見ずに勉強した方がいいよね!』と何度も聞いたときも

『見たいなら見なさい』と言ったのですが、予想に反した答えに

しばし思案して録画予約をして自分の部屋に行きました。

何のために勉強する必要があるのか? はずーっと前に話してあり、

親のためではなく自分自身の未来に繋がっていることなので、

自分自身で決断することなのですが背中を押して欲しいのです。

子供を育てるときには子供の背中を押してあげるべき時と、

押してはいけない時があるのですが、一般的には

線路を引いて子供の背中を押し過ぎる傾向が多いのは、

子供のためではなく親の欲望の反映だと私は思っています。

私は子育てほど親を人間的な成熟に導くものはないと思っており、

メンターという指導的な立場になって助言することが実は

メンター自身の成長に繋がっているのは、常に自分の立場より

相手の立場を優先的に考えることが求められているからです。

ドラマを見たければ見なさいというのは娘の気持ちを尊重している

からで、そこに私の希望や欲望は存在していないことに娘は

たじろぎ驚いたのですが、十八歳で東京に旅立つ前日私に

『自由ほど不自由なものはなかった、自分で選択・決断した

十八年間は大変だった』と言い残しましたがその通りなのです。

子供は親の望むような人生を生きるのではなく、自分自身の意志で

選択と決断をして自分自身の人生を生き、親の役割は

その手助けをできる限り精一杯することだけだと思います。

婿殿は家庭菜園をするのですが、親とは子供に生き方を見せる

土壌のようなもので、親の生き方の背後にあるものを感じ取って

成長する子供こそが逞しい幹の太さに育つと思うのですが、

果たして自分はどんな土壌なのか? を思う人は少ないものです。

戦争などを経験した人は理解できると思うのですが、平和とは

個人の選択権が認められる状況のことで、人間とは自分自身に

全く選択の余地がない状況に追い込まれたら、生きる意欲を失い

虚無的になるか? 狂気になるか? が普通です。

そんな選択できない不条理を冷静に見つめ受け入れて

精神的な死や肉体的な死を受け入れるような人は稀です。

それ程に人間の生きる尊厳とは個人が選択権を有していることで、

家庭や組織の安寧とは個人の選択権を担保することだと思います。

このような気付きを与えてくれたのは娘という存在で、私は親として

どうあるべきなのか? を自分の親や他者の子育てと比較検討して、

私なりに子供の立場を思い決断したことなので、娘の存在が

私を親として育ててくれ娘のお蔭で少しは成長できたのです。

子供に親の欲望を押し付けるのではなく、子供が望むような

親になり切る方が子供の成長には近道のような気がします。

私には他にも仕事上で大きな助言を授け育ててくれた人がおり、

その方と出会っていなければ破綻していたと思っていますが、

接客業は様々な人との出会いの毎日なので良くも悪くも勉強になり、

その出会いこそが私自身を育ててくれたと思っています。

店舗を持って間もない二十代後半のとき、タチの悪い客と喧嘩して

いたのをじーっと聞いて待っていた明治生まれのお爺さんが、

『高野さん悪い人も仏さんですよ』と言って優しく諭してくれ、

次の来店時に親鸞の思想を書いた『歎異抄』の本を贈呈してくれ、

亡くなるまで明治生まれの気骨ある話をたくさん教えてくれました。

誰の人生もそうだと思うのですが、お金や地位は物質的な豊かさ

をもたらしますが、精神的な豊かさこそが真に人生を豊かにする

もので、それこそが人との出会いの中で満たされるものと思います。

男と女を大きく二種類に分けると、女は口うるさく男を縛る強い女と、

男にすがりつき守って欲しい弱い女で、男は女・子供を支配し

服従を求める傲慢な弱い男と、妻や子供を慈しみ守る優しい

強い男大別されると思うのですが、妻は守って欲しいタイプ

でしたが時折そっと裾を踏むような縛る本音も出していました。

一時的な恋愛はともかく、長い結婚生活ではこの表面の凹凸の

相性が合うことがことが基本ですが、必ず必要な要素はどちらも

自我を抑制した相手を思う心が根底に存在することだと思います。

一般的には与えるものが多い人ほど求めるものが少ないのですが、

育て合う関係を構築し維持することを困難にする人の特徴は、

望むものが多く与えることができない幼児性が抜けない人で、

判別は金銭的な利害関係が生じたときや、突発的なできごとに

遭遇したときに必ずエゴの本性が剥き出しになっています。

ウエブサイト上では人を貶める事例が氾濫していますが、

このような行為を行う人ほど実は自分に自信がない人で、

他者を下位に貶めることでしか自分の優位性を確認できない

うっぷん晴らしの一時的な自己満足の快楽行為なのですが、

これは自分で自分を癒している自慰行為なのです。

このような傾向の人間が増えているのは、社会的な場や家庭での

不満が抑圧され孤立している人が増えているからですが、

このような人はこれまでの人生の中で『承認欲求』が十分に

満たされずに育ってしまった実は可愛そうな人なのです。

一般的に人間は贈与されたら返礼するのですが、

愛とは自分から先に惜しみなく与え続けることが肝心で、そうすると

相手の心の中に自然と返礼義務が生じるものなのだということを、

私とは真逆の妻の天性の性格に教え育てられたと思います。

しかしこの惜しみなく与える行為の持続は、相手の人格を尊重した

心からの愛情が伴わないと持続できないことで、家族も含めた

人間関係でそのような出会いに恵まれない人が増え過ぎたゆえに、

匿名のインターネット社会が捌け口になっているんだと思います。

実際の社会生活の中では口にできない言葉の捌け口が匿名の

インターネットやSNSの世界で行われているのですが、

家庭生活においては人格を傷つけ絆を断ち切るような言葉など、

決して口にしてはいけない言葉が夫も妻親としてもあるのです。

昔はいたお節介な助言をする人が今はもう少なくなったのですが、

求めさえすれば本でも過去の人達の思想や知恵を学ぶことができ、

嫌な人からでも『あんな人になりたくない』という反面教師として

学ぶことに繋げることができると思います。

人は生き方を変えると出会いも変わり、私は妻の抑制から学んだ

自分自身の変化によって沢山の心優しいお客様と出会え、

長期に渡って繋がり合えたのだと病気後に実感させられました。

妻は私の自我丸出しのストレートな性格に合わせてくれたのですが、

凸凹で傷つけ合うか? 凸凹がぴったり噛み合い絶妙か? 

の境界にあるものは搾取か? 贈与か? の違いだけです。

ここまで生きて来て『幸せとは?』の答えになりそうと思えるのは、

自分にとって良いことがあったとき真っ先に話を聞いて欲しい人

辛いことがあったとき聞いてもらうと胸のつかえが取れる人

苦しいことを吐き出したら肩の荷が下り抱きしめてくれる人

そんな利害を超えた人がいることが一番幸せなことだと思います。

子供にとってその存在が親だった人はそれだけで幸せなことで、

大人になって伴侶と実現でき確認できたら、決してお金や地位や

名誉では手に入らないそれこそが生きた証の幸せだと思います。

私の妻は料理や掃除は苦手で裁縫は全く駄目でしたが、

妻が私の持っている邪悪なものに耐え許容してくれたことが

大好きな気持ちを持続させたと思っています。

要諦は人間関係において自分も含めて完全な人などいないと

認識することで、必要なことは相手の良い部分を評価し感謝する

ことで、『嫌な部分の半分は耐えて許容する』ことに尽きると思うのは、

それこそが親子でも夫婦でも愛情への昇華過程に必要だからです

昔の映画『チップス先生さようなら』は、異質な過去に捉われず

乗り越えてお互いを思い育て合うそんなささやかな夫婦愛

日常を後半にさりげなく鮮やかに描いています。

今年最後のブログですので、来年は皆様にとって良い年に

なりますよう祈念して終わりと致します。