人間の獣性を鎮めるもの。

最近の私の就寝前のルーティンは、ベッドに入ると

吉田拓郎の曲を五曲ほど聞いてから寝るのですが、

二十歳の頃の生きることに悶々としていたときに

出会った曲から始まり、妻と出会った頃の曲をかけてから、

借財返済に追われていたときに夜中仕事をしながら

聞いていた曲に行き、最後に妻を失って心の中が

真っ白になった気持ち『白夜』を聞くという、

何気に人生を振り返って心を和ませてから

妻の写真に『おやすみなさい』言って眠りに付きます。 

病気後からこのルーティンをするようになり、

嫌な夢を見るとき以外は朝までぐっすり眠れるように

なって、まるで熟睡のための魔法みたいのものですが、

眠るとき『このまま死んでいい』とも思っています。 

独り身の生活になってから音楽は一番の心の癒しになって

おりますが、一年前からは店の暇なとき指のリハビリを

兼ねて始めた電子ピアノの練習も習慣になりました。

『野ばら』『悲愴』が弾けて念願の『ハンガリー舞曲』が

拙いながらも弾けるようになり、自分なりに上手く弾けて

『すばらしい』というデジタル表示が出るまで、

数えきれないほどの『もう一度』という表示に促されて

味わう達成感は格別で、音楽の持つ癒しだけでなく

実践による相乗効果をしみじみと実感しています。 

本を読んでいて学びや共感に出会ったときも、

音楽の効果と同様の生きていることの意味と癒しを

覚えますが、この歳まで生きてきて人間の心の滋養には

文化的なものが必須なのだといつも思います。 

これと同様に身体を動かすことも心身のリフレッシュには

必要で、昔はマラソンやトライアスロンなどを楽しんで

いたのですが、今はパークゴルフで月二回の定休日は

五時間弱ひたすら歩き続けるのが、固まった関節と

弱った筋肉のリハビリになり効果は絶大です。

春・夏・秋と季節感を感じて歩きながら、ボールを

できるだけ少ない回数で穴に入れるという単純な目的達成

のゲーム感覚が技術向上の意欲も賦活させてくれます。 

昔私に様々な手助けやアドバイスをしてくれた人が、

私に事あるごとに『金儲けほど楽しいことはない! 

だからもっと事業の拡大を目指せ』と言い続けたのですが、

私はお金は家族との生活を守るための大切な手段で、

生きる目的は趣味も含めて人生を楽しみ豊かにすることで、

特に私は『美味しい・楽しい・嬉しいという感情

大切な人と共有・共感することの方が優先です』

答え続けていました。 

特に五感で味わう喜びは、他者との相対的な優劣とは

無関係に心に染み入る快楽ですので、優越感も劣等感も

存在しない『好きな人を抱きしめているような』

純粋な心の温もりのようなものを感じるからです。 

その方は私のその考えを、高野さんはプチブルだな』

言いましたが自分でもプチブルだと実感しており、

プチブル的な生き方が私の人間としての力量なのだと

今も思っております。 

私はいつも分相応と程々という言葉を念頭に生きて

きましたが、子供時代から勇敢とは無縁の臆病な小心者で、

人間としては寛容さより狭量さの方が勝っていると

自覚しており、何事においても熟慮が欠けた軽率さで

失敗を繰り返し、崇高さなど微塵もなく育ちの悪い

卑しさが染みついていますが、権力や金銭的な欲望だけは

小心さゆえに解放より抑制が効いていたのだと思います。 

妻が元気な頃には『あなたの知性と獣のような食欲と

性欲の強さお金儲けに使えば、いいのにね!』と

よく指摘されましたが、人間は誰でも知性的な部分と

獣性的な部分が同居していて、置かれた状況と

相手次第でどちらかが強く表出して上下するシーソー

のようなものと私は思っており、私の場合は日常的に

獣性的な部分が湧き起こらない人達と接していたので、

権力や金銭への欲望に抑制が効いたのだと思います。 

人間は誰でも獣性的な部分を持っているのですが、

普段安心して獣性的なものを表出できる妻のような

相手に恵まれ、妻もこのようなことを私に安心して言える

ことがお互いの情緒安定に役立ったのだと思います。

殺人を犯した人を知る人の報道コメントに多いのが、

『おとなしくて礼儀正しく、とてもそんなことをする人

とは思えない』ですが、そんな人達ほど普段は獣性的な

ものを無理やり抑制する仮面行為を強いられている人で、

そんな人が我慢の閾値を超えるような虎の尾を踏まれる

劣等感を感じている部分)と、獣性への抑制反動で

突然制御不能になり獣的な怪物が表出するのです。 

不良やヤクザのように普段から獣性的に振る舞っている

人に対しては誰でも警戒し相手を見て抑制を働かせますが、

大人しい人でも子供のようにまだ自分自身の持つ未開の

獣性的な部分に気が付いていない人の場合ほど

実は突発的に残虐性を発揮するものなのだと思います。

きっと獣性への自覚が全くなかったので、犯罪後の平静に

戻ったときは『まるで自分以外の別な人格の怪物がやった

ような』感覚なのではないか? と私は想像しています。 

子供とはまだ自分が『どのような人間なのか?』という

確たる自画像を把握していないのですが、それが

状況によって別人に変貌する可塑性にも繋がっている

ので、安易に残虐な殺人を行った神戸連続児童殺傷事件

犯人酒鬼薔薇聖斗(十四歳)を生んだりしたのです。 

そして人間の獣性的な部分が表出するときは、

この少年もそうでしたが自分の話を聞いてくれる人が

いない孤立を感じているときが多く、特に最近は

うわべだけの希薄な人間関係になっているので、

昨今の経済状況への不安増大もあって

お金に執着する人が増えたのではないか? と思います。 

会話なども本当に話したいことは好きな人に話したくて、

嫌いな人とは話もしたくないのですが、現代は仕事も

含めて収入や人間関係維持のために、嫌々話をしている

というストレスを抱えている人が多いような気がします。 

この好きな人に話す行為こそが実は人間の獣性的な部分を

鎮め癒す効果を果たしていて、精神的な毒素を解毒する

身体の肝臓のような機能を果たしており、また話して

声を出す行為そのものが息を吐くことに繋がるので

自律神経を整える精神衛生向上にも繋がっています。 

人間は未開人の頃から歌い踊るという身体的な同期行為を

行っておりましたが、その行為が人間の獣性的な部分を

癒し仲間内の絆を強める効果があり、その文化的なもの

こそが間接的に仲間内の争いを少なくするとということを

学んでいたから連綿と続いているのです。 

現在は資本主義的なお金の力が幅を効かしておりますが、

実はお金持ちが心身の健康が損なわれたときお金の効力は

反転し、金持ちの死を待つハゲタカが必ず群がってきて

醜い遺産相続争いや権力闘争に繋がりますので、程々の

少し足りないくらいの按排が生きる意欲を賦活しています。 

私にとって歌は吉田拓郎と井上陽水が生涯の癒しで、

クラッシックではショパンと特にパガニーニはいつ

聞いても泣きそうになるほど胸に沁みますが、

クラッシックの良さは曲の先が思い浮かぶほどに

聞き続けないと本当の良さが判らないような気がします。 

ジャズはビル・エバンスやキース・ギャレットと

山中千尋のピアノ演奏には胸躍り高鳴りますし、

昭和の歌謡曲はカラオケの練習にもなり、流行した当時に

味わった喜怒哀楽が鮮明に想い出される懐かしさ

味わえて、私の人生を振り返る楽しみを与えてくれます。 

娘と婿殿はサルサダンスの趣味を通じて知り合った

のですが、婿殿のピアノ演奏はアマチュアコンクールに

出るほどで、忙しい仕事の合間にトライアスロンの練習も

していて、昨年はアイアンマン(スイム3.8Km・バイク120Kmラン42.195Km)合計226Kmを完走してきました。 

私も仕事の合間の練習で二十年程トライアスロンを

愛好していましたが、長距離のアイアンマン完走は夢で

終わったので本当に尊敬しています。 

誰でも同じ二十四時間を生きていてもその使い方こそが

大事と思ったのは、婿殿の部屋から話し声が聞こえたので

娘に『誰かいるの?』と聞いたら、英語力維持のため

空いている時間にインターネットで外国の人と会話

していると聞き感心させられました。 

日常生活でも休日は家庭菜園や家事へのフットワークも

軽く料理も上手なので、私の望むものは全てこの若さで

成し遂げている婿殿の日常を見ていると、伴侶としては

『亭主の鏡、主婦の友』と私は思っていますが、

その陰の努力を想像してひたすら敬意を覚えています。 

人生は金銭的な利害を通じた人間関係だけでは

虚しいもので、文化的な楽しみやスポーツのような

身体的な達成感の中での人との触れ合いを通じて

絆が生まれることも人生の彩りになると思いますし、

人生の辛く苦しい時こそ汗をかくことや音楽を

聴いたり実践したりする趣味こそが心を癒してくれます。 

先日食事に呼ばれたとき、グランドピアノの感触を楽しみ

たくて『ハンガリー舞曲』を弾いていたら、横で遊んでいた

五歳の孫が『爺じ上手くなったね』と褒めてくれて、

誰に褒められるよりも嬉しい気持ちになりました。 

孫達もピアノを習っているので交互に弾いて褒め合う

のですが、誰でも褒められることは喜びで共通の趣味に

よる文化交流は継続への意欲も掻き立ててくれます。

誰の人生にもすきま風が忍び込むことがあるのですが、

そのすきま風によって人間の獣的な怪物が暴れ出す前に

心を静めるものを持つことは若いときほど必要です。

娘達も子育てがひと段落したら、また二人で若かった頃

のサルサダンスや自転車ツーリングを楽しんで欲しい!

願っています。