神・国家・所有。

ウクライナへの侵略戦争で食料やエネルギー価格の上昇が進み、

世界中の国が不安定化しており戦争国以外の国民生活まで

不安が拡大しておりますが、そんな中で人間の争い事の

元凶について考えていて、昔読んだプルードンの『貧困の哲学』

の内容を思い出しました。 

印象に残っている言葉は宗教の神・政治の国家・経済の所有・

人間はこの三つで自分を形成したり自分自身から離脱したり

してきたが、もう我々はこれらを廃棄しなければならないという

言葉でした。 

若かったその頃は理解できず『ふぅん』という感じでしたが、

死を意識する年代まで人生経験を重ねてやっと理解できました。 

人類の戦争の歴史はほぼこの三つが原因で起こっていると

感じ思い出したのですが、宗教や政治形態や穀物やエネルギー

などの所有量とその形態の違いによって戦争が起こっており、

実際に死んだり困窮したりしている末端の人達はこれらの思想とは

ほぼ無縁の因果で苦しめられています。

格差の拡大などは所有の片寄りによって起こっておりますが、

プルードン自身は共産主義を忌み嫌っていても、

所有とは盗みであり自由であると述べており、否定できない

人間の欲望はバランスとることこそが大切であると、

実は所有を認めていた社会主義者だったと記憶しています。 

そんなときに店内で流している音楽でジョン・レノンの『イマジン』が

流れ、翻訳歌詞を思い出しながら聞いて同じことを歌っていると

気が付き驚きました。 

日本語訳を以下に書きますが、一番で天国と地獄という宗教の

神を否定しており、二番で国家と宗教を否定しており、

三番で欲張りな所有を否定して世界中の人達が仲間で

分かち合うことを夢想して終わっています。

前に書いた人間の七つの大罪を思うと容易なことではなく

夢想なのですが、音楽収入で高額な収入を得ていたジョン・レノンが

オノ・ヨーコと結婚してから慈善活動を始めた後の曲ですので、

不遇な育ちだったジョン・レノンが金銭的な所有による自由を得て、

二番目の妻との生活の精神的な安定と満足の自由を得て到達した、人間の七つの大罪からの解放であったのかな?

と想像させられました。 

 

想像してごらん 天国なんて無いんだ
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無い
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...
 
想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...
 
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ
 
想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...
 
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ 

 

宗教・国家・所有のこの三つを捨てることを歌や言葉にする事と、

実際にこの三つを捨てて自由になることの難しさには、

個人としては精神的・肉体的な死を伴うことも起こり得ますので、

現在の個人的な状況下ではユートピアへの夢想になって

しまいますが、未来世代の地球環境を思うと目指す理想かな? 

と頷いてしまいます。

どちらにしても戦争が起こらないという前提でないと、

グローバルな世界経済は成立しないことだけは今回の戦争で

証明されましたし、宗教の違いや国家の覇権争いが戦争を生む

ことは歴史的事実で、所有が格差と貧困を生んでいるのも

事実ですので、人類が目指すべき最終的な目標は

ユートピアの夢想になるのではないかと思います。

人間が他動物と一番違う点は将来や未来への不安を持つことで、

その不安こそが国家間の戦争や個人間の争いを生んでいることに

繋がっているような気がしており、特に二十一世紀に入ってから

所有格差による矛盾や貧困や格差が拡大し、世界中の人達の

心理的な不安が増大したことは私自身も含めて感じています。 

人間は不安になると自分以外にその原因と理由を求める

のですが、その不安感情を解消するために何かを恐れて

逃避したり、過剰な自己防衛策として憎悪したり

攻撃したりすることを無意識に行っていると思います。

テレビCMは世相を映し出していると常々思っておりますが、

目に付くのは健康不安や将来への不安を煽って売り込む

健康食品や病気や認知症への対処を勧める保険勧誘で、

番組はストレス解消に繋がるお笑い番組の増加ですが、

どちらも二十一世紀に入ってから急激に増えた人々の不安を

埋めるものだったのではないか? と想像しています。 

誹謗中傷やイジメの増加は不安から起こる過剰な自己防衛による

憎悪感情で、お笑いやゲームや自分なりの趣味や嗜好に

嵌まるのは不安からの一時的な逃避になるからです。 

これらが二十一世紀に入ってから増加したもうひとつの背景は、

家族や組織や社会内に二十世紀後期頃から連帯や

共感感情という人との繋がりが希薄になったことがあり、

それらが不安意識を増幅したからだと思います。 

歴史的には人間の持つ不安心理の拠り所にしてきたものが

宗教の神や仏であり国家であり、個人としては資産のような所有も

不安を薄めてくれるものだったのですが、二十一世紀に入ってか

その拠り所自体が揺らいできたことに誰もが気が付き始め、

その不安の処理に戸惑っているのが現在のような気がしています。 

人間とは誰かや何かに依存して安心が得られるのは幼児期だけで、

成長と共に自らの足元の確認である自己確認や

自己実現を求めて生きている足場にしないと崩れ落ちる

不安を持つ弱さを抱えて生きているのも事実です。 

ポピュリズム蔓延の民主政治で重なるのはソクラテスの死で、

その頃のアテネも古代民主制で豊かな文化でしたが

戦争に巻き込まれ混乱と衰退が始まっていた時期でした。 

裁判記録が残っており、ソクラテスの処刑を訴えたのは

ポピュリズムに染まった市民達で、『あいつは嫌な理屈を言う

空気を乱す怪しい奴だから死んでしまえ』という

市民感情によって処刑されたのです。

  私には現代のSNSの誹謗中傷によるリンチと同じに思え、

  戦争による混乱と衰退が市民の不安を増幅させた点も似ており、

  不安が他者への憎悪を生み攻撃的になっているのも

  二千四百年前と同じ歴史の繰り返しに思えます。 

  ポピュリズム蔓延の民主政治に孕んでいる危険の中には、

  愛が憎しみに変じるような短絡した自我の肥大と同様なものがあり、

  自分の思うようにならないと憎しみに変質する所有欲の愛と、

  他者への憎悪で攻撃的になる人達に共通して欠けているものは

  何か? を思案して、それはきっと『自分とは違う考えの人達に

  持つべき敬意』なのではないか? と、その事を私に教えてくれた

  妻を想い出して自戒しています。

  宗教・国家・所有のこの三つを捨てるユートピアの実現は、

  通貨統合を果たしたEUが財政統合も果たしヨーロッパ合衆国

  として実現でき、それが東アジア合衆国へと広がりを持ったとき

  ユートピア実現の萌芽に繋がるのでは?  と夢想しています。

  ヨーロッパで悲惨な戦争の歴史を繰り返したドイツとフランスの

  合意がEU設立の始まりのように、悲惨な戦争の当事者であった

  日本と中国が合意できれば東アジアの安定(日本を属国扱い

  しているアメリカは歓迎しないでしょうが)に繋がると思います。 

  EU加盟国広がりの脅威がロシアにウクライナ侵攻を決意させた

  のですが、これもユートピア実現への過渡期の出来事だったと

  孫達の世代が思えるような時代を私は夢想しています。