表層が見落としているもの。

新年明けましておめでとうございます。

人間は成功者を手本にして模倣することで成功を摑もうと

するのですが、国家も同じでアメリカ発のグローバル資本主義と

新自由主義が世界を席巻しているのも、アメリカの豊かさと

強国ぶりに圧倒され模倣してきた結果が更なる格差拡大でした。 

しかしグローバル化は平時には上手く機能しますが、

コロナによるパンデミックやロシアのウクライナ侵攻などの

戦争が起こると危機を招きよせ、飢餓やインフレや社会の

機能不全を引き起こすことが今回のことで明らかになりました。 

しかしイギリスの植民地だった独立戦争後のアメリカ建国の

歴史を振り返ると、豊かさの源泉になった背景には

ネイティブアメリカンの土地を無償で奪い、

開拓した土地ではアフリカから奴隷を連れて来て

無償の労働力を使い富を収奪した結果でもあります。 

開拓初期の西部劇映画では号砲と共にスタートして、

早く辿り着いた者が土地所有を許可され登記された映像が

多く見られますが、あの広大なネイティブアメリカンの土地を

無償で奪い取り無償の奴隷の収奪によって開拓されたこと、

その後はテキサスで石油が発掘され無償の新エネルギーが

更なる豊かさを生む工業力の原動力にもなったと思います。 

企業でいうと土地投資費用も労働力も無償でスタートして

利益を生んできたようなもので、奴隷解放を行った後の労働力は

後発の移民を低賃金で雇い入れ最強国になったようなものです。 

南部の奴隷への差別の酷さは、映画『グリーン・ブック』の中で

天才ピアニスト(ドン・シャーリー)の実話で描かれております。 

北部は工業で発展しましたが、経済の拡大と共に更なる

石油資源を求め中東に食指を伸ばし、様々な利権を手に入れて

きたのですが国家創設時の国民資源が無償でスタートした

国など何処にもなくて、極めて特異で異例な状況を背景に

巨大化した国家がアメリカだと思います。 

今ロシアはウクライナで戦争をしていますが、ヨーロッパも

アジアも戦火につぐ戦火の歴史でアフリカなどは今も内戦が

続いていますが、アメリカ大陸は戦火に見舞われたことは

一度もなく日本の真珠湾攻撃でハワイを攻撃されただけで、

アメリカの戦場はいつも自国の外で行っており戦後復興

費用に苦しんだことがない極めて例外的な国家なのです。 

ベトナムもイラクもアフガニスタンも爆撃し破壊し尽くしましたが、

いつもアメリカは戦場ではなく他国を攻撃し続けた戦争の歴史です。 

このようにして得た豊かさの背景を考えずに、いつもアメリカを

グローバルスタンダードに見立てて世界は動いてきたのですが、

その弊害のほころびが格差だけでなく国家間や国民の分断

として表面化し始めており、このような戦争背景がテロリストの

最大の標的国として狙われる原因にも繋がっていると思います。 

ただアメリカが長く最強国として君臨している理由の良い点は、

国家を修正に導く異質で異端なカウンターカルチャーが

絶えず存在していたことで、いつも国家や権力を批判する活発な

運動や映画などが許される修正力が健全に働いていることです。

しかしアメリカの文化や文明の発展も実は戦火のヨーロッパから

逃れた科学者や文化人の移住や、ロシアや東ドイツなどの

抑圧から逃れ亡命した科学者や文化人の貢献があったから

アメリカの文化・文明の発展にも繋がっていたのです。

ヨーロッパでの迫害に苦しんだユダヤ人も多くアメリカに

逃れて来ており、自由な国家で成功を治めハリウッド映画界を

始め企業家も多くイスラエルとの関係にも影響力を及ぼしています。 

アメリカでは日本や中国やロシアでは権力の圧力がかかり

決して許されないことを許す土壌が絶えず存在していたのです。 

これらは日本のような無能の権力者が出ても亡国に繋がらない

修正力として働いており、このカウンターカルチャーの絶えざる

存在こそがアメリカの繁栄持続に繋がっている背景にあると

思っていますが、帝国は終焉しますので序章は始まっています。 

これはアメリカ建国の理念である自由へのこだわりの良い面だった

と思いますが、最近はこの自由の負の側面が国内的にも

対外的にも分断を生んでいることに繋がっており、

今後はこれらが戦争や環境や食料危機やテロなどで

世界規模の様々な問題を生んで行くような気がしています。 

このようなスタート時点の違いは人間の場合にも言えることで、

飽食の国に生まれるか? 飢餓の国に生まれるか? が

選択できないように、貧困家庭に生まれるか? 裕福な家庭か? 

男か? 女か? 慈愛に溢れた親か? 虐待する親か? 

ては選択の余地がなく生まれてくるのが人間の宿命です。 

例えば勉強なども苅谷剛彦氏の『階層化日本と教育危機』には、

子供の学力は母親の学歴と相関していると統計にありますが、

その背景には『努力する能力』そのものが出身階層と

相関しているそうで、つまり子供が努力する気になる資質

そのものが階層差と相関しているという事実です。 

確かに家庭での会話においてもこれは言えて、

語彙が豊富な家庭で育った子供は感情表現が豊かになるのは

語彙豊富な親の恩恵ですし、逆に暴力的な言葉が行き交う

家庭で育ったら感情表現は暴力的になるのも必然です。 

人間の表層的なもの全てが実は生育環境の影響を受けている

という苅谷氏の統計調査は約二十年前のものですが、

本の副題になっている『不平等再生産から意欲格差社会へ』

実際に起こっている今の時代であることで判ると思います。 

国家・国民の分断だけでなく、努力や意欲においても

学ぼうとする者と降りる者の二極化という分断が進んでおりますが、苅谷氏の統計調査結果の驚くところは、学びから降りた者が

その行為に自己満足だけでなく自己肯定感すら感じており、

学びを放棄した者は現在の享楽のみを志向するという傾向も

現実化しています。 

不思議な現象ですがその理路は、自分と同じ学ばない

努力しない者が増えると、自分は多数派に属したことになる

と思う大衆心理ではないか? と私は思います。 

これはアメリカの成功体験を模倣するように、学びや努力を

放棄する人間が増えると大衆心理から学びと努力を放棄する

ことを模倣しているという逆説で、恐ろしいことですが

間違った模倣が確実に進行しているような気がします。 

ファシズムもポピュリズムによる大衆心理が生むものですが、

人間とは大勢の他者と同一であることで安心感を持つことに

起因しており恐ろしほど似ております。 

社会の表層に現われている現象が,実はその背景にあるものに

突き動かされているものに『毒親とDV』の存在があると思います。 

よくDV被害の人が親になるとDVをしてしまう連鎖があると言いますが、毒親も同じで人間が生得的に身に付けたものは文化的なもの

も含めて克服が非常に難しいものなのです。 

個人の人格的なものを尊重されないで育つことが

愛されないことですが、そのように育った人が親になったとき

子供の人格を尊重し愛情をそそぐという育て方ができないのは、

『どんな自分でも愛された』という経験から得る自己肯定感がないと、自分自身に自信と確信が持てないので無意識的な

マウンティング行為で不安を消化する行動を取ってしまうのです。 

また最近の高齢者に多いのが子供達に親孝行を強要する

親達ですが、この人達も同様の成育背景がある上に

夫婦不仲が多く伴侶への不信から子供に依存している人達で、

子供は父からも母からも個別に親孝行を責め立てられ

逃げ場のない苦しみを背負わされております。 

しかしこの現象は親の育ちと夫婦仲に起因している問題

自立できていない親の子供として生まれたことは子供には

選択の余地がなく行われた事と理解する必要があります。 

毒親やDVの親からの最善の離脱方法は、まず親を

『可愛そうな育ち方をした人』と思うことで、次に親を背負うことより

自分自身が幸せになることを優先すると決断し宣言することです。 

現在は私のような独居老人が多くいるのも、背景にあるのは

年金制度が整ったからで、昔は親子同居が当然のようだったのは

収入がなくなった親を見捨てられない状況だったからです。 

決して親孝行で同居したのではなく、昔は親が退職後に

年金という収入がなかったので已むに已まれず面倒を見ていた

のですが、子育て同様にそこから情愛が育まれたのです。 

そして昔は長男が親の財産を全て相続し親を面倒見ていた

のですが、相続法ができてからは全ての子供に平等の

相続権利が認められ、現在は年金があるので親を施設に入れて

義務と責任はお金で代替し放棄できますが、相続権利だけは

当然のように主張するから親族間で揉めるようになったのです。 

相続で揉めるようになった原因の背景はもうひとつあり、

今の高齢者は高度成長とバブル経済による資産インフレ

によって資産が膨張した恩恵を受け財産があり過ぎるからです。 

日本の歴史で今だかってなく、これからも起こりえないほどの

資産インフレの結果が統計にでており、日本全体の

金融資産の六割六十歳以上で占めている結果に現れています。 

長寿化の影響で認知症の人の資産は二百五十兆円にも

なっており、相続人不在で国庫に入る金額は増え続けていますが、

これらは消費に廻らないので経済にも悪影響を及ぼしています。 

何事も結果には全て原因となる背景がありますので、その背景を

想像することが重要と思うのは『具体的な想像をすることは、

未来を現実化する力を生む』ことに必ず繋がっているからです。 

豊かでも貧困でも人間には百八の煩悩が生きている間は

必ず付き纏うのですが、何事も表層だけで捉えるのではなく

背景を想像してみることは、妬み僻みを極小化し人生を絶えず

俯瞰的な視点で捉えられるので、より良く生きることと幸せに

繋がっていると私は思っています。

果たしてどのような年になるのか? 三歩進んで二歩下がる

ようでも少しずつ住み良い社会になるとひたすら願っております。