パラドックス。

孫達と接していて私が長く生きた経験から得た親とは違う

価値観をそれとなく与えることで、孫達が物事を相対的な価値観で

見ることに繋がれば良いなと思いながらいつも接しています。

私達が子供の頃は貧しく祖父母と同居が普通でしたが、

今振り返って思うと両親と子供が縦糸の関係とすると、

私の場合は祖父や伯父が横糸のような存在になっていたことが、

父の権威という縦関係の絶対的な一つの価値観を相対的に見る

一種の解放になっていたように思うからです。 

私が父を相対化して見られるようになった一番の出来事は、

遊びに来ていた伯父が私をパチンコに同伴させ景品で

お菓子を取り、帰宅前に神社で食べさせてくれた時に

伯父が私に、『兄貴(私の父)は子供の頃から何をやっても

長続きせず駄目なのに、親父は甘やかし写真学校まで

出してもらっても独立もできず、まあちゃん(私)の母さんの

働きで持っているようなものだ』という言葉でした。 

この伯父は秀才タイプで市役所に入り、性格さえ良ければ

収入役にもなれた人と後で聞きましたが、老いてからも

私の所に遊び来た時に『まあちゃんは兄貴の子供とは思えない』

と真面目に言うのでした。

たとえ父を否定していた私でも、真っ向から父を否定する言葉に

子供ながらに嫌な思いをしたのですが、この伯父の言葉を

冷静に分析して正しいと思えた時、権力的・絶対的な存在の

父から解放され父を相対化して見られるようになりました。 

私はこの父を相対化できたことがきっかけで、自立による

精神的な開放を果たすために勉強をしようと考えるようになり、

小学時代の劣等生が中学生の三年間で進学校に合格するまで

猛烈に勉強することに繋がりました。 

この伯父の存在も祖父と同様に横糸でしたが、高度成長以後の

核家族化はこのような横糸が存在しない家族形態になった

のですが、この両親という縦の関係性だけで成長する子供達の

逃げ場のない弊害みたいなものを心配しています。 

それは様々な価値観を相対化し俯瞰して眺める視線や

思考から獲得するもので、丁度織物が縦糸と横糸で織り上げる

ことで美しい柄が出来上がるような、人間的な魅力や膨らみに

繋がるものが横糸のような気がしており、画一化された

若者の思考は核家族化にも一因があるような気がしております。 

ユングは人間の外形的な側面をペルソナ(仮面)と呼びましたが、

父親も母親も子供に対し親としての仮面をかぶっておりますが、

伯父が暴露したような仮面を取り除いた親の実体を

暴露する存在が子供の成長と成熟に必要なのではないか? 

と私の経験から思うのです。 

核家族化が更に進展した現代は父親不在で家族団欒で

食事する機会が少なくなっておりますので、母親には

父の男らしさと母の女らしさという両方の仮面が必然的に

要求されますので、家庭における母親の精神的な負担が

増加しているうえに、現代の母親達は横糸による手助けが欠けた

孤立状態に置かれていることが、欝や毒親の増加要因と

孤立感による『子供を育てることへの不安』が、未婚増加や

少子化原因にも繋がっているのではないか? と想像しています。 

そして仮面には二種類あり、自分は親としての義務と責任を

果たさず子供に勉強などの義務と責任を求める偽善の仮面と、

自分の至らなさを自覚した上で懸命に果すべき親としての

義務と責任の仮面をかぶり遂行しようとする二種類です。 

突然親になり戸惑いながら母親や父親の仮面をかぶって

振舞うのですが、その仮面で行っている行為そのものが

良くも悪くも『その人の本当の自分の姿』になって行く、

つまり演じている自分が実態になって行くような気がします。 

人間の習慣なども同じで、礼儀をわきまえ規則正しく整理整頓を

心掛けた生活が実は内面を整えているという、仮面という外側から

心という内面が構築されているパラドックス(逆説・背理)

があるように思います。 

母親の仮面をつけた時、母親としての義務と責任を引き受ける

という決断の人と、母親の権利のみを行使する人に分かれますが、

その決断内容の違いのひとつ一つの積み重ねが人間性として

創り上げられ、子供の人間性に反映・投影されます。 

よく『本当の自分』とか『自分らしさ』などと言いますが、

そんなものは生まれながらに存在しているものではなく、

成長段階でどのような仮面を身にまとって来たか? 

こそが本当の自分を創り上げていると私は思っています。

核家族が常識の現代社会の中で、核家族化と教育の画一化が

子供達に及ぼしている影響を思うと、閉塞した縦糸だけの

家族構成の中から抜け出せず虐待やネグレクトに苦しむ子供は、

親や社会を相対化して見る視点を得る機会に恵まれず、

葛藤による内面的な成熟の機会を失っています。

私のように伯父という横糸で救われた人が昔は多くいた

と思うのですが、現代社会では行政が横糸として介入する時代で、

そこに血の通った人間がいないと子供の心は癒されないから

負の連鎖が生まれているのでは? という危惧です。 

俗に言う『異能の人や異端の人』などは閉塞した縦糸環境で

育った人が多く、その閉塞状況の多感な時期に横糸による

異能の承認によって思考回路に化学反応を起こした人達で、

実は横糸には異能や異端者を生み出す効能もあると思います。 

そして画一的な社会における異能者や異端者の減少は

社会や国の発展にマイナスに働いているのでは? 

という危惧も感じています。 

社会や国が秩序を保つには画一化は好都合ですが、

社会や国の発展に必要な化学反応の触媒的な役割を果たす

人は少数の異能者や異端者のような気が私はするのです。 

昔のように国立大学の授業料が安かった時代は、貧しい家庭の

子供でもアルバイトをしながらの苦学が可能でしたので

少数の異能・異端者を輩出できましたが、

今の格差底辺の子供達は鼻から無理と諦めておりますので、

出自的な多様性の芽なども摘まれている状況です。 

これからは意外と登校拒否や引き篭もりなどの閉塞状況から、

何かのきっかけで横糸的な人や出来事に出会うという、

バネのような反発力から異能者が生まれるような気がしています。 

核家族化が始まった時、コピーライターの異端者・糸井重里が

『家族解散』というキャッチコピーを発表したのですが、

家族がバラバラになれば部屋も電化製品も別々に必要

なることを意図した言葉で、この家族をバラバラにすることこそが

高度成長の消費拡大の原動力になったのです。 

日本では約二十年間賃金上昇せず格差が拡大していますが、

スウェーデンでは実に五十%以上の賃金上昇を達成している

裏側にもパラドックスが隠されています。

  スウェーデンは税率が高く社会保障が充実していますが、

  賃金決定は労働組合と企業で決められ、同種企業は

  利益状況に関係なくこの賃金決定に従わなければなりません。 

  その結果生産性の低い企業は賃金上昇に耐えられず

  倒産を余儀なくされますが、倒産企業の社員は次の生産性の

  高い就職先が決まるまで国の社会保障で手厚く保護されます。 

  このシステムによって倒産すべきゾンビ企業が淘汰され、

  生産性の高い企業だけが生き残り増加することに

  繋がっているから賃金上昇が続いているパラドックスです。 

  これは労働者の権利を守る社会主義的な発想ですが、

  反対に厳しい生産性を求められる企業経営者には

  資本主義的な競争原理の発想が求められているのです。 

  このシステムは労働者にとっては社会主義と資本主義の

  長所を組み合わせているですが、格差拡大が進む

  日本などの先進国で行われているのは、反対の資本家の

  富のみ増大させる社会主義の発想で、労働者には競争を強いて

  低賃金で働かせるという資本主義的発想の逆転行為だから

  ゾンビ企業は淘汰されず、若い失業者は社会保障が充分でないので

  失業に怯え長時間労働と賃上げなしに耐えているという、

  社会主義と資本主義の短所を組み合わせている

  国情だから富の偏在が加速しているパラドックスです。

  資本主義社会で平等を目指すには、公権力が累進課税強化

  によって富める者から奪い、貧しい者に分配する社会主義的な

  行為からしか実現しないのですが、それは富める者にとっては

  富を維持し搾取する自由が奪われますので

  『自由と平等は両立しない』パラドックスが隠されているのです。 

  世界的富裕者8人の資産と貧困者36億人の資産が同じ

  という異常な格差状況の中で、貧しい者は平等を主張し

  富める者は自由を主張しますが、アメリカ型の資本主義では

  決して両立できませんので、このまま放置すると、紛争・戦争・

  環境破壊など地球規模の危機に必ず繋がって行くと思います。 

  アメリカ型資本主義の矛盾は独立宣言時の建国思想にあり、

  その思想には自由はあっても平等の思想などないから

  黒人・黄色人種への差別がなくならず、全てにおいて

  個人の自由が優先し憲法に銃を持ち自分で自分を守る権利が

  明記されている自己責任思想もあるので銃規制ができないのです。 

  このような矛盾現象の典型的な例がトランプ元大統領の

  支持層に現れており、支持者の多くが白人貧困層なのに

  平等など求めずトランプ元大統領同様にアメリカの

  孤立主義的な自由のみを叫び続けているパラドックスです。

  現在の格差拡大は自由と平等を両立する努力を放棄し、

  資本家に有利な究極の資本主義を悪用した独占主義で、

  倫理や人権を無視し失業の恐怖によって労働者を奴隷のように

  働かせて、目指すは独占・寡占・官僚化政策の中で

  必然的に進む強者繁栄の不平等社会の格差拡大なのです。 

  この富の偏在によって賃金上昇が行われないので多くの

  労働者の消費が落ちるというパラドックスを生んでいるから

  経済成長ができないのですが、国内消費の不振でも経営者側は

  賃上げせずに企業利益を生むには海外展開すれば良いという、

  経営者側だけの分配と含み資産の増加いう社会主義的発想で、

  労働者には競争という資本主義的発想で追い詰め続けています。

  ちなみに搾取による企業の含み資産は500兆円を超えており、

  これだけで日本の借金1255兆円の半分近くを返済できます。

  資本主義とは資本家に有利な制度で、マルクスの言うように

  資本家的生産様式には自由な経済活動はあっても平等

  という思想はないので、不平等が生む分断を防ぐには

  スウェーデンのように国家が介入した平等政策を導入しないと、

  国民を主体にした民主的な国民国家は実現しないと思います。

  資本主義では成長を、共産主義では分配をですが、

  そこに民主主義的な生産性の三つを公平な形で

  組み合わせているのがスウェーデンモデルだと思います。 

  ではなぜこのようなシステムに変換できないのか? は 

  政治家と財界人と官僚などの権力癒着・利益構造があるからで、           

  所詮人間とは他者のことより自分の地位や権力を守ることを

  優先するパラドックスが存在するためです。 

  このような癒着構造を破壊しスウェーデンモデルを実現するには

  権力者の若返りこそが急務で、人間の身体と同様に

  人材の新陳代謝こそが健康な国作りに繋がる理由

  明治維新の立役者を見れば明らかで、理由は若者には人生

  における癒着期間が短いというパラドックスがあるからです。

  資本主義に自由と競争と搾取と差別はあっても、

  平等と博愛と民主の思想などなく、勝者はお金さえ持てば

  共同体である社会や家族からも縛られない魅力的な

  エゴイスティックな自由が手に入るのですが、その欲望の

  資本主義の結果が8人の勝者と 36億人の敗者では、

  現在の資本主義は大多数の人類にとっては悪夢です。

  今後のAIによる技術革新は更に雇用を奪いますので、

  敗者の増加は社会を分断し不安定にし続けますが、

  社会的な危機も戦争同様に突然訪れます

  日本の政治がスウェーデンのようにできない理由は

  国民の政治的無関心と諦めの蔓延にもあり、

 過酷な状況に追いやられている若者達の方が投票に

 行かないのも皮肉なパラドックスです

  もうひとつの大きな理由はスウェーデンの人口が

  東京都より少ない1,022万人で政策運営が容易なことです。

  フィンランドなども北海道より少ない500万人位だから

  高税率・ 高福祉の合意や統治システムも簡略化できるので、       

  政策運営の舵取りが容易なパラドックスも隠されています。

  中国のような巨大な人口で対立意見を認めない一党独裁の

  共和体制では強権的になるのは必然なのです。