色褪せない感情。

妻を亡くして五年半を経過しても『妻が好き』という感情が

色褪せない不思議を考え続けて参りましたが、その答えが

普通の人は親から貰う『自己肯定感』を私は妻から授かった

からという結論に辿り着きました。 

私は幼少期から体力も学力も劣等生で、食べ物も極度の

好き嫌いだったので褒められることなどなく育ち、自分に

自信など成人まで微塵も持てなかった状態でした。 

就職を東京にしたのは単純に父の支配から逃れるためでしたが、

自分なりの考えで営業をしていたら成績が上がり認められる

喜びを知り意外でしたが、これは社会的な評価であって

自分という人間性を認められたことではないので内面的な

不安はいつも抱えて過ごしておりました。

ボクシングミドル級元世界チャンピオンの村田諒太選手が、

統一戦に敗れる前のメンタルトレーニングの時、

心理カウンセラーの先生に『世界チャンピオンでなくなっても、

自分を認められる自己肯定感が欲しい』と述べていましたが、

両親が六年生の時に離婚、『その当時の家庭環境が辛く嫌で

たまらなかった』というトラウマが渇望の遠因で、人間とは誰もが

誰かの承認によって自分を肯定できるのだと思います。  

私が妻と知り合ったのは二十二歳の時で、高校・短大・就職まで

一緒の友人に池袋の『オカマバー』が面白いから行こうと誘われ、

嫌々行ったそこで妻も同郷の友人と来ていて四人で話していた時、

友人が私に『可愛い女の子の方に二人の名刺を渡し、

どっちに電話が来るか?試そう』と言われたのが縁でした。 

私には軟派する勇気などなかったので妻との出会いは

未だに続く友人のお陰だったのですが、女性に晩熟な

最初はぎこちない交際でしたが性的な関係になってからは

互いの警戒心が解かれ、安心して依存し合える初めての快楽

夢中になり二十三歳の時に結婚しました。 

子供の頃から私の話しを聞いてくれる人などいなかったのですが、

妻は生来的な寡黙な性格でしたのでひたすら私が話して

いるうちに自分がこんなにおしゃべりだったのか? と

気がついたのは交際が親密になってからでした。 

恐らく仕事への自信と好きになった女性に受け入れられたことで、

私が押し殺し眠っていた本性が噴出したのだと思います。

俳優などにも極度の恥ずかしがり屋だった人がいるように、

人間はある場所の箍が外れると本性が噴き出るのだと思います。

人を好きになると誰でも自分自身を知って欲しい事と、

対象相手の全て知りたいという気持ちになるのが自然ですが、

反対に恋愛や結婚の破局は『あなたという人が良くわかった』という、

人間としての底が見え未知のものがなくなった時です。

人は自分の予測を越えた反応をされた時、相手の心の中にある

未知の心情を知りたい欲求に駆られるものですが、恋愛とは

対象相手に未知なるものが多い方が持続するように思います。 

私の妻はそんな未知なる対応が多く、その出来事は私の

もう一つの眠っていた好奇心の強さが溢れ出てきた時でした。

結婚後に妻が貯金を六十万円持っていると通帳を見せたので、

友人が嵌まっていた競馬がどうしてもやってみたくなり、現金で

車を売ったお金を持って仕事中に東京競馬場に行きました。 

妻の貯金額までは負けても穴埋めできるという安心感でしたが、

一ヶ月で五十万円負け月末会社に入金するためにと

妻に告白し穴埋めをお願いしました。 

この時の妻は悲しそうな顔をして『もうしないでね』と言い

翌日銀行から引き出し渡してくれましたが、その貯金は

三畳一間の安アパートで五~六年かけて貯めたものなので、

怒らないことに私は肩透かしを喰った思いでした。

しかしまだ十万円残っていたので、私は負けた分を取り戻すべく

約束を破り再び競馬場に行き負けて再度妻に頼んだのですが、

その時も怒りの感情よりも悲しそうな顔で絶対にもうしない

という『約束の念書を書いて』というだけでした。 

交際期間も入れて四十三年間一緒でしたが、私に対して

怒りの感情を露わにしたという記憶がほとんどなく

どこかで悔しい思いをして帰宅した時なども、

私に『意見はいらないし仇を討つようなこともしないでね!

ただ聞いてくれるだけいい』と言う一般的な人からすると

不思議な人でした。 

娘を育てている間も私の記憶で娘を怒ったのは一度だけで、

それは初めておねしょをした夜間でしたので翌日妻に

『失敗を叱ったら恐れるようになるから優しくしてあげて』と言ったら、『面倒見る身になってよ』と言うので、では私が対処すると言うと

『じゃお願いね!』 と変な意地を張らず自分が苦手なことは

全てを私に頼っていましたので、恐らく娘は妻に怒られた

記憶は一度もないと思います。 

私達は父の所業によって金銭的・精神的にも苦しめられましたが、

その間私の母は父を恐れて身を呈して守るような行動や

私達に侘びを言ったりすることもなかったのですが、

父の死後私は月二回の定休日には必ず母も連れ富良野や

増毛や積丹などで季節を楽しみ、地場の温泉と昼食と夕食に

美味しいものを楽しむことを母の認知症予防のため

十年ほど続けていました。 

この間も妻は私や母に嫌味なことも言わず、温泉では

母の背中や頭を洗ってくれて母と話した女同士の何気ない

会話の中身を私に言うだけでしたので、私はその夜の就寝前には

必ず妻に照れから慇懃無礼なほど丁重に『今日も一日遊んで

頂きありがとうございました』と頭を下げるのですが、

妻は『判ってくれればいい』と言うだけでした。

生来のものとは言え頭が下がる思いで、

母のことも『私がお母さんの立場ならきっと同じようにした』と、

母を責めるのではなく母に同情してくれておりましたので。

そのたびに『この人を守り大切にしたい』と心から思いました。 

妻は女性の仕事である料理も上手な方ではなく、子育ても

苦手な部分は全て私に依存し仕事の手伝いもしてなかった

不安からか? ある時突然『私より好きな人ができたら言ってね』

と告げ、『あなたは一途だからその時は別れてあげる

言われ困って『ありがとうございます』と答えましたが、

きっと娘も結婚し老いて行く自分の未来への不安から

私の愛情を再確認したかったのかな? と推測しました。

四十三年間で私に異議を唱えたのは、父を勘当して七年後に

父を許そうとした時だけでしたが、私が『妻が好き』という

感情が色褪せないのは一般の人とは違う対応の中に、

私の偏執な自我も含めた全てを妻が承認してくれた確信が、

私の心に自己肯定感の種を植え付けてくれたからだと思います。

私が自我や好奇心を剥き出しにして手に負えないことをしても、

感情的にならず呆れ顔で笑みを浮べ、娘が生まれた頃からは

まるで子供に話すように意味深な笑みを浮かべ

『あなたの好きにしていいんだよ』と言っていました。 

借財の上に借財を重ねたときも口を出さずに、信頼なのか? 

考えていないのか? 判らないのですが、不安も口にせずに

黙ってついてきてくれたので、寝る間もなく仕事をして

そっと床に着いた時に安心して寝息を立てている妻の様子に、

いつも不思議に働く幸せを感じたものでした。 

自己肯定感の獲得には自分が恐れている劣等感のような

不安や怯えを信頼している人に承認されることが必要なのです。 

例えば私が孫に『??ちゃんは恐がりのようだけど、

実は慎重な良いところなのです』と言った時に、

孫が『ピアノ・学校・学童保育・公文など沢山の新しい大人と

逢うたびに緊張するんだよね』と言ったので、

『緊張するのは世界が広がって友達も増え大人になっているんだよ』

と話したら『本当にそうだよね!』と喜び抱きついてきましたが、

実は信頼できる好きな人から欠点を長所と認められるような

他者からの承認が自己肯定感の獲得には必要なのです。 

私は普通の人とは違って本当のことは怒らないので、

妻はある時期から私の欠点である『小生意気でひねくれている、

面倒くさい男だね』などを枕詞に話しかけていましたが、

真面目な話の時に私が自虐的になると『それがお父さんの

悪い所であり、良い所でもある』と慰め褒めてくれました。 

妻は何事にも自信が持てないタイプでしたが、孫達と同様に

自分は愛されているという確信みたいなものを私に対して

持っていて、娘が大学に旅立った夕食時に妻が突然

『あの子は私が生んであなたが育てた子供だから、

仕送りと授業料の責任をしっかり果たしてね』と念を押されました。

その時の妻の自信と確信の様子には本当に呆れましたが、

私はただ圧倒されて『はい頑張ります』と答えましたが、

このような意表を突く言動にも不思議な未知の部分を感じました。 

このようにお互いの欠点を長所として認め合うことが、

お互いの自己肯定感を育み互いにかけがえのない大切で

必要な人と思える幸福感に繋がっていると私は思っています。 

ちなみに最新科学で判明している長寿に繋がる一番の要素が

『幸福感を感じて暮す』ことで、その次が運動で

お金持ちになることではないそうですが、それはストレスが

少ないために幸せホルモンが自律神経を最良に調整するからです。 人間が生まれながらに持つ承認欲求が満たされないと、

なぜ苦痛に感じるのか? それは自分の存在意義が揺らぎ

透明な存在に感じてしまうからで、犯罪者や自殺者などは

心の根源に潜むその苦悩の暴発なのだと私は思っています。 

私の店や居間や寝室には妻の写真がどこにでもあるので、

いつも独り言のように妻と会話しているのですが、

先日下の孫が『爺じは婆ばが大好きなんだね』と言うので

『どうして判るの?』と聞くと、車の中の小さな妻の写真を指差し

写真がどこにでもあるからと言われました。 

十六年ほど前に妻と東京の想い出の場所巡りに行った時、

新婚時代を過ごした一軒家が当時のまま残っていました。

二人で感動し一時間ほど家の前で新婚時代の話をしていたら、

三十年以上前の記憶が鮮明に蘇り『ここで夜ごと激しく燃えたね』

と言うと『そうね』と嬉しそうに微笑み、私に『元気なうちにもう一度

東京巡りに来ようね』と言い、その後も何度も言っていましたが

予定していた前年に突然亡くなったことは今も後悔の種です。

若い時の性的な快楽は興奮物質アドレナリンと快楽物質

ドーパミンによる錯覚ですが、今も色褪せない私の感情は

安心や絆を感じる幸せホルモン・オキシトシンの作用

による妻の人間性への愛しさのような感情です。 

女性は出産時に大量のオキシトシンが分泌され陣痛を起こし

分娩を促進させますが、このオキシトシンこそが母性を強化し

子供への愛着を強くさせています。 

私の『妻が好き』という感情も、毎日妻の写真に話しかけることで

このオキシトシンが分泌されているからのような気がします。

私が今まで様々な苦悩や困難を潜り抜けてきた事を振り返り

思うのは、その困難に立ち向かう勇気と自信が持てたのは、

妻からの承認による自己肯定感の獲得と、東京に出てから

以後の様々な経験の積み重ねでした。

妻を失ってからの私の生きる目標は、孫達がせめて小学校に

上がるまで元気でいて、娘達のために妻の分も何かと力に

なりたいでしたが、あと二年で下の孫も入学です。 

そこまで頑張ればいつ妻が迎えにきても心残りはないので、

最近は妻の迎えを楽しみに百人一首・七十七番の短歌が

時折頭に浮かびます。

 

瀬をはやみ  岩にせかるる 瀧川の

われても末に 逢はむとぞ思う

 

折角元気になったので、あと二年待って迎えにきてくれる

ことを願いリハビリに精を出しています。 

私が思う男とは幼児性が死ぬまで抜けない生き物で、いつも

妻や恋人に承認という母性を求めており、その承認を確信

すると守ってあげたいかけがえのない人になるようで、 

まるで女性が三蔵法師で男は従い戦う孫悟空だと感じています。

両親の承認を得られない子供が不良になるのと同様に、

妻の承認をもらえない男の苛立ちが攻撃的な言葉や

暴力的な行為になっているのでは? と思います。

夫婦関係とは主導権を巡るパワーゲームのようですが、

社会的に駄目な男ほどプライドが傷つき僻みが強まるので、

下位を意識させられる攻撃的になり、社会的に安定し

精神的に成熟した男は家庭では妻を上位に置くのだと思います。

倫理的な面を考慮した場合、意地の悪い男は意地の悪い女と

結婚すると情緒が安定するので上手く行きます。

男の操縦法は子育ての極意と一緒で、表裏一体の欠点を

『いいんだよ』と笑い飛ばし、『そこがあなたの良い所でもある』

と褒めちぎるだけで惚れ薬として作用しますし、男女関係は

鍵と鍵穴の関係に似て相手の相性に合わせて自尊心を

くすぐってあげると心のドアーは意外と簡単に開きます。

男の世界は権力と報酬と知性で動きますが、家庭において

最終的に男を操る最大の武器になるものは母性を悪用して

夫を幼児のように寛容に扱うことが最良策ですが、女性は

勘が鋭操るのは無理なので誠実さ以外に策はありません。

夫婦関係や人間関係を良好にするものは、学問や才覚など

ではなく誠実さと包容力と正直さで、逆に悪化させる要素は

自己顕示欲と虚栄心が強いことですので慎むことです。

パートナーの運気を上げる女性を『あげまん』と言いますが、

私のようなねじ曲がった鍵に忍耐で鍵穴を合わせてくれた妻は、

私には肩透かしと意表を突く未知との遭遇の毎日だったから、

沢山の想い出と共に妻への感情が色褪せないのだと思いました。