嘘は大切。

一般的に大人はたくさん嘘をついているのに、子供には

『嘘つきは泥棒の始まり』と厳しく戒めますが、誰もが日常生活

の中で嘘をつかないで過ごしていると実は非常にギスギスした

潤いのない関係になると私は思っております。 

そんな考えを持っている私は、孫達に『ついて良い嘘を教える』

ためにお父さんやお母さんに内緒にできるならとの条件付で

チョコやグミをあげ,共犯関係による固い絆を構築しているので

二人には爺は大好きといつも言われております。 

下の孫は三歳半頃から内緒にできるようになりましたが

その頃から知的能力の上昇は目覚しく、私が娘宅を訪問し

私がポケットに手を入れると親が見てないのを確認し、

自分のポケットにチョコやグミを入れてもらうのを待っていました。 

下の孫がズボンを履いていない時は私に『ちょっと待ってね』

言って、急いでポケットのある洋服を身に付けて来ますが、

娘がずーっと傍にいて話をしている時には我慢できず

『お母さん目をつぶって』と要求することもありました。 

こんな事をすると子供が際限なく食べると思うでしょうが、

それは最初だけですので私は『何個食べていい?』と

聞かれても『お好きなだけどうぞ』と答えますが、

必ず『ご飯を食べられなく位に食べたら爺が怒られるので、

よろしくお願いします』と付け加えます。 

欲望の制御も規制されてではなく、自分達の意思による

選択と決断が尊重されると必ず葛藤しますので、成長と共に

次第に自己制御が上手になりお姉ちゃんはもう安心です。 

二年生になったお姉ちゃんには自分の部屋に机があるので、

二人でチョコとグミの隠し場所を決めて空袋は内緒で

私に渡すので私はポケットに入れて持ち帰りました。 

両親は100%知っているのですが、知らないふりをしてくれていた

ので子供達の知的能力の向上に繋がりました

カナダの大学で行った人間は何歳から嘘をつけるのか? 

という調査結果では、早い子供では二歳からで遅い子供でも

七~八歳ですが、三歳から四歳の子供の中で嘘をつける子供と

嘘をつけない子供の知的能力の相関関係測定すると、

嘘をつける子供の方が知的認知能力が高いという結果

出ており、最近は日本の大学でも心理学研究の一環として

同様の実験・調査を行っていますが結果は同じです。 

では何故嘘をつける子供の知的能力が高いか? ですが、

嘘をつくことに伴ってその環境や条件に整合性を

保たなければならず、正直に事実を告げることよりも

複雑な思考回路が必要になり、知的思考には格段の

負荷がかかるからです。 

私が渡すチョコやグミの袋を最初は家のゴミ箱に入れられず悩み、

初めは稚拙な方法のために二度ほど発見され失敗しましたが、

失敗から学び二人が考えた方法が私から受け取る時に空袋を

持ち帰ってもらう方法で格段の進歩が見られます。 

また両親に判るのではないか? という不安との葛藤も

精神的な成熟を促すのですが、二人にとっては爺という

大人の了解が免罪符としてあることが、一般的には悪いとされる

嘘へのハードルが下がる安心感から嘘をつけるのです。 

嘘にはホワイトとブラックがあり、たとえば友人と話していて

見たいテレビ番組の時間に遅れそうな時や話を中断したい時、

相手に正直に告げると気分を害するのですが、

『実は人との約束があるので』と告げる嘘はホワイトで

人間関係を円滑にするために必要な嘘です。

夫婦間でも親子間でも円満を保つための嘘は必要なのに、

最近の若い夫婦間ではスマホによるお互いの位置確認アプリで

絶えず相手の場所を確認する人達が増えているそうですが、

『あそこで何してたの?』と問い詰め合いが増えることに繋がり、

こんな行為が二人の関係を良好にすると私には思えず、

むしろ不信感を増大させてお互いを監視し合い

お互いが不自由になっているだけのように思えます。 

このようなアプリの使い方は共働き家庭の子供の安全と安心の

ために使用すべきもので、このような使用方法を間違えることも

日常生活の中で幼児期から嘘の使い分けを学び

身に付けていれば行わないことでは? と私は思っています。 

幼児期に大人の管理下で孫達のような些細な嘘をつく

葛藤経験を積み重ねることが、ついて良い嘘と

ついてはいけない嘘の判別が自然に身につくことに繋がっており、葛藤の繰り返しが倫理観の確立にも繋がっていると思います。

オレオレ詐欺のような人を陥れるような嘘はブラックですが、

この境界を学ぶためにも実際に経験することが大人になって

からの倫理観形成の基礎として私は必要と思っています。 

事実孫達は時々心理的な負担に耐えられない事柄では、

お母さんに内緒にできなかったから告白したと後日私に話す

こともあり、そんな時に私は『偉いね!』と褒めてあげます。 

これは俗に言う『良心の呵責に耐えかねて』ですが、こんな時に

親がどう対処するか? も子供の倫理観の形成に影響しており、

怒るか? 褒めるか? の違いが子供の正直さや素直さの

芽を摘むか? 育てるか? の分かれ道になります。

しかし孫達にあげ続けるのも問題で、止める方策に悩んでいたら

お父さんに食べているのを見つかり怒られたそうで、

娘から『もう机に入れている内緒は止める』ようにメールがあり、

これを機会に孫達に正直に『お母さんに爺が怒られた

話すと二人とも納得し素直に了承してくれました。

翌日ドライブ中にお姉ちゃんが『私達のために爺が怒られて

ゴメンね』と、下の孫も『うんわかった』と素直に了解したのは

自分達のために私が怒られたという利他的な行為に

報いる為に自分達も我慢するべきと得心した出来事で、

孫達が私の立場を思う利他的なものを学んだ副産物でした。

悪事に伴う学びと絆作りも終わり、まだ子供達の成長にとって

怖い人は必要なのでお父さんの対応は丁度いい潮時でした。

法学者の末広厳太郎氏の『嘘の効用』という本の中で

大岡越前についての記述があり、大岡越前の裁きには

温情があったから庶民に人気が出たのですが、当時の厳格な

法では罪になるような人達に温情をかける裁きをするときに、

法の適用を逃れるための『上手な嘘』をつき情状酌量すべき

人達を救ったからとありました。

その方法は事実認定を行うときに厳格な法を潜り抜けるための

巧みな嘘を考案庶民の正義を守るという手法で、

大岡越前は日頃から相手のことを思う良い嘘を巧みにつける

人格者だったからだそうです。 

その根底にあるのは法律とは時代と共に変えていかなければ

ならないものなのですが必ず対応は遅れがちになるからで、

大岡越前は『法律が時代遅れで厳格過ぎると庶民が嘘をつく』

という危惧から行ったのだろうとの推測記述でした。 

これと同様に親が子供の要求を聞かず自分の考えを押し通し

厳格に育て過ぎたら、やはり子供はきっと嘘 つきになると思います。 一般的には嘘の容認と共に報酬という餌を蒔くことも悪のように

捉える傾向がありますが、私は子供への動機づけとして

報酬を与えることも大切だと思っています。 

ただし面白いことに報酬が過剰ではその後の意欲が減退し、

報酬が少ない方が動機づけの効果があって目標への意欲が

増し継続することが判っております。

報酬が少ない方が努力をゲーム感覚 のよう感じ目標に

向い嵌まって行くことが心理学の実験で証明されております。 

この実験では報酬が多く些細な事でも褒め続けると、

やがて子供は努力せずに褒められようと悪い嘘をつくことが

確認されており、報酬が少ない子供が自らの意志で目標に向う

のとは正反対に、ただ親の欲望を取り込んで褒められようという

ラベリング効果(良い人と言われた人には良い人を装う

・ラベル人間になること)に向ってしまう逆効果に繋がるそうです。 

このラベリング効果を避けるためには褒める時の言葉が重要で、

『頭がいいね!すごいね!』ではなく『よく頑張ったね!』を

使うのが良く、理由は『頑張ったね!』は結果ではなく本人に

しか判らない努力の過程も含め褒めている言葉だからです。 

感謝されない家事労働などは報酬なしで努力している

ようなものですが、時折ご主人が料理をしてくれたり

子供がお母さんの誕生日にお礼の手紙をくれたりしたら、

報われた気持ちになるのは少ない報酬なのですが

日頃の行動を認められた気持ちになるからです。 

最近の脳科学で確認されているのですが、努力できる人は

報酬を感じる部分の脳が活発に働く人達で、努力できない人は

この報酬系が不活発で、その代わりに損得勘定の方が活発

なので努力が無駄と思ってしまうからですので安心して下さい。 

努力による結果の報酬を強く感じると努力することが楽しくなり、

新たな目標を持つ良い循環に繋がるのです。

この報酬系が活発かどうか? はドラマや映画を見ていて、

人の幸せや悲しみに共感できるかどうか? が判断基準で、

共感できない人は人の幸せを妬み僻む傾向が強く、

人の不幸を蜜に感じるサイコパス脳の持ち主が多いそうです。

参考にサイコパス脳とは、表層では正常さを装い他人の欠点や

脆さを見抜いて人を操る能力に長けている脳の持ち主で、

一般の人のような不安心理や共感能力を持たない狂気を

抱えている脳持ち主の人です。

最新研究でサイコパス脳の持ち主で多い職業順位は 

①企業経営CEO ②弁護士 ③マスコミ ④セールス 

⑤外科医 ⑥ジャーナリスト ⑦警察官 ⑧聖職者 の順で

一般的に想像する犯罪者だけではなく仮面をかぶった

反社会的な超エゴイストのお金持ちに多いそうです。 

嘘の良し悪しの分かれ道になるのは、相手を思いやる嘘か? 

貶める嘘か? が分岐点で、その使い分けには葛藤を重ねる

経験が必須ですが、何事においても成熟に不可欠なのが

自問自答の葛藤なのだと思います。 

私が何事も孫達の選択と決断に任せるその裏側には、

孫達が気づいていない義務と責任が付随しているからです。

親の扶養を受けている間は親の規制に従うべき理由は、

義務と責任を果たしていないから自由と権利は規制されるのです。

それは未熟な自由や欲望を我慢する忍耐を身に付けさせる時期

でもあるからですが、『飴と鞭・寛容と規制』のさじ加減に

答えはなく親が子供をしっかり観察しながら判断する、

親自身も葛藤を積み重ねる以外にないと私は思っています。

これからも私は孫達との事柄については、孫達への扶養義務を

果たしている娘と婿殿の意向に心から従って行きます