私の白い一日と音楽。

私にとって音楽は無くてはならないもので、十八歳で親元を離れ

単身生活になってから今まで心を癒し励まし奮い立たせてくれた

心の栄養みたいなもので、自分で収入を得るようになってからは

オーディオ機器を揃え好きな音楽を聞き始めてからは

私の最大の楽しみになりました。 

今でも捨てられない赤井電機のオープンリールに吉田拓郎の曲を

入れ音質の良さに興奮したのは忘れられず、五十年以上の歳月を

経てもその頃に部屋で酔いしれ興奮したのを想い出すほどです。 

自営業になってからは店内で一日中聞けるので、音楽のジャンル

が自然に広がりクラッシックやジャズなど自分でも予想もして

いなかった音楽へと発展しました。

アルバム数は六百五十枚以上にもなりましたが、ほとんどは

情報図書館から一枚ずつ借りてきてパソコンに取り込み

クラッシク・ジャズ・軽音楽・歌謡曲・Jポップ・洋楽に分けて

編集しUSBに取り込んで聴いています。 

音楽とは音を楽しむと書きますが、歌などはメロディーだけでなく

歌詞に共感するものもあり、クラッシックやジャズなどは

胸が締め付けられたり胸が躍るような官能感覚があったりして、

何か不思議に血が騒ぐような感覚の中に今を生きていることを

実感させられ癒されます。 

妻がいる頃は店でも車でも音楽漬けなのにと言われ、家で流すと

怒られるので自制しておりましたが、妻を亡くしてからは

居間だけでなく寂しさを紛らわすため寝室にもミニコンポを置き

ほぼ一日中聞いています。 

妻が元気な頃の居間は妻の主戦場なので、侵略すると無益な戦に

繋がると思い我慢していたのですが、その大きな理由は

人を愛するということは、ある意味自分の我が儘な自由を失い

不自由になることでもあると思っていたからです。 

その代わりに毎日の生活をサポートしてくれ寂しさを癒し共に

歩んでくれた中で、妻も私への我慢で不自由な思いは必ずして

いたと思いましたので、お互いの自由を侵略しない心掛けは

長い結婚生活を維持して行く秘訣でもあり、このような相手へ敬意を

お互いに払うことを持続して行くことが、夫婦という男女関係を

越えた人生のかけがえのない同士のような存在に繋がった

ような気がしております。 

今の私の生活は妻がいた時の生活とは自由と不自由が完全に

入れ替わっておりますが、時々娘が大学生活に旅立つ時に

言った『自由ほど不自由なことはない』という言葉を、

一人になって身に沁みながら妻を想い出しています。 

今の私がテレビを見るのは朝と夕食を食べる時と歯磨きの時

だけですが、そのほとんどが映画などを録画しCMを飛ばして

見ており、ニュ-スは要約して見られるBS・ニュースと日曜の

週間ニュースだけで済ませております。 

ひとり身になってからはこんな生活なので世情に疎くなり、

事件や事故などはお客様との会話で知ることも多いので、

詳しく知りたい事柄はパソコンや新しいテレビのユーチューブで

検索し調べるようになりました。 

一般的にニュースとは災害や事故・事件や紛争・戦争など

不快なものが多いので、ひとり身になってからは無意識に

避け最小限になったのだと思います。 

私がひとり身になってから一番気をつけていることは、

娘や婿殿になるべく迷惑をかけずに幕を引く事と思っており

ますので、仕事を続け家の中も綺麗にするように心掛けて

来ましたが、病後は何事にも時間がかかるようになりましたので

怪我をしないように朝などは余裕を持って起きております。 

十時開店の三時間前に起きて、辛いリハビリを紛らわすために

Jポップ・演歌・洋楽などの歌声が入る音楽をかけ四十分ほど

行ってから洗顔を済ませ台所に立ちます。 

まず居間のコンポでクラシックをかけてリンゴを一口サイズに

切り分け口にしながら、朝はがっつり食べるように心掛け

コーヒー・肉野菜炒め・ピザ風トースト・玉子焼き・生野菜の盛り

合わせを用意し、ここまででリハビリを入れ約二時間を要します。 

食べ始める九時頃にテレビをつけ世情をウオッチングし、

朝食後は一日五~六本吸うタバコに火をつけトイレで一服する

のですが、一度店を開けたら自由が効かない身ですので

この一服の時間が無心になれる私にとっては至福の時です。 

何事も矛盾が真理と思う私は、身体に良いことはばかりでは

心に悪く、心に良いことばかりでは身体に悪く潤いがない

思っており、少し身体に害のある楽しみや少し邪悪な遊びの

楽しみも必要で、どちらかに極端に傾き過ぎると心や身体が

破綻するのでは? と都合よく考えております。 

最後に洗い物を済ませ台所を綺麗にして仏壇の妻に挨拶をし

玄関で必ず『行って来ます』と言うのは妻がいるつもりで

過ごしたいからで、帰宅時も『お母さんただいま』と言うのも習慣で、

仏壇に行き一日の良いことも悪いことも報告してから

夕方はジャズをかけて買物の整理やかたずけをします。 

その後落ち着いたら夜のリハビリですが、一時間半ほどの

苦行なので少し乗りの良い音楽なしではできず、まだ痺れが残る

足首のリハビリは四十分かけて入念にします。 

こんな生活が出来るのも娘と婿殿の夕食の差し入れの

お陰ですが、退院後から一年半もお世話になっているので

心苦しく早期の自立を目指して励んでいます。 

リハビリを続けて思うことは、努力の効果が目に見える結果に

繋がるのは三ヵ月後で、頑張っているときはただ苦しく辛いだけ

ですが後遺症を残さないための継続です。 

『継続は力』という言葉がありますが、快楽とは違い全ての物事は

頑張っているときは苦しく辛いだけですが、苦しさや辛さを

乗り越え達成したときの喜びは快楽とは全く別の充実感で、

頑張った自分を確認できた時に自信を生んでいます。 

快楽は刹那的ですが努力が生む自信は生きる勇気と未来への

希望に繋がるもので、一般的に努力しない人は他者を過大評価し

自らを過小評価して諦めが早いから継続できないのです。 

私は偉大な業績を成し遂げた偉人も凡人も本質的には大差ない

と思っており、偉大な人は目標を持ち努力による小さな差の

積み重ねを五年・年と毎日継続して大きな差になっている

だけだと私は思っております。 

またその努力の方向が時代の流れと合致すると世界企業にまで

発展したり歴史的な発見や発明になったりするのですが、

その時代の流れとの合致や発見・発明も努力によって

引き寄せた偶然に近い必然があったと思っております。 

そしてもうひとつ幸運を運ぶ大切な要素が人間性で、なぜか?

この人に協力したいと他者に思わせるような魅力があること

ですが、それはその人の生き方の姿勢の中から発せられる

皮膚感覚で感じられるもののような気がします。 

それは知識の量や地位などではなく、その人の努力への姿勢や

深い思いやりのある他者への配慮などの利他的なもの

生み出しているもので、その人と会話しているだけでも感じる

爽やかさや楽しさのような極めて情緒的なものだと思います。 

リハビリ後の夕食は毎日ビールを欠かさず映画を見ながら

ゆっくり食べるやはり至福の時で、お茶を飲み歯磨きを始める

まで一時間半ほど楽しみます。 

最近は後片付けや掃除・洗濯など全てが終わると寝る前に

ピアノの練習をしますが、ピアノの音で気持ちが安らぐのか? 

心地良い疲れで入眠し熟睡できるのと、成果も楽しみで悲壮が

何とかできるようになったので、今は六曲目ブラームスの

ハンガリー舞曲に夢中です。

婿殿に正規の楽譜で演奏してもらい感動してから、電子ピアノの

中に簡略にアレンジしたものがあったので挑戦していますが、

私には生半可なものではなく新たな暇つぶしが出来ました。

BS・NHKの街角・空港ピアノという番組を録画して見るのですが、

独学で演奏しているという人を見ると勇気をもらえるだけでなく、

私のように音楽に癒され救われるというコメントも共感できるので、

欠かせない番組になっています。

月二回の定休日は妻と過ごしたように夏はパークゴルフに行き

リハビリになるので約五時間一人で廻り先日は百六十四ホール

ひたすらボールを追いバーディを目標に歩き続けました。

翌日は関節・筋肉痛で大変ですが、この痛みを修復している

に実は成長ホルモンが大量に出ており、米国のセレブ達は

この高額な若返り成長ホルモンを注射していますが、

私のは五百円で楽しんで得られる若返り成長ホルモンです。

冬の定休日は妻とカラオケに行っていたので一人で二時間ほど

歌い続けますが、九十点以上を目標にして声を出し肺と

横隔膜を使い続けますが、病気で喉に穴を開けてから声量が

落ちたので回復を意識してのことと、声を出すことはストレス解消

にも繋がっていると思っています。 

この二つを一人で行っても、妻と交わした何気ない会話を

いつも想い出すので全く寂しくなく、ひとりの方がコロナ感染で

孫達に迷惑をかける危険も回避できるので安心です。

しかし流石の私でも一人で行けない所がデパートや

アウトレットで、妻が喜んだのでよく連れて行ったのですが

目的もなく一人で彷徨うことを想像するだけで虚しくなるのと、

家族連れが多いため一人身を実感させられるからで、

多分これからもずーっとひとりでは無理だと思います。

妻を亡くしてから半年ほどは朝までほとんど眠れぬ夜を

過ごしていたのですが、眠ろうとすること自体がストレスなので

好きな音楽を聴いているうちに眠るだろうと思いミニコンポを

買い聞いていたのですが、ある時ご主人を亡くしたお客様が

吉田拓郎が好きで眠れない夜に聞いていると話したので、

私も好きですと言ったら手持ちのCDをコピーし届けてくれました。

その中の『白夜』という曲を深夜聞いた時に、

妻を失った私の心境にピッタリだったので、以後床に入ると

必ずこの曲を聴いてから眠るのが習慣になり、

もう五年半も必ず聞いてから眠ることを続けております。  

特に太字にした歌詞の部分には共感する毎日で、

私の人生における一番目と二番目の大切な暇つぶし相手

だった妻と娘を支える張りを失い、私の人生の幕引きの時期

思うようになっていたからです。 

就寝前には一日の終わりを実感しながらタバコを吸い牛乳を飲み

終わると仏壇の妻におやすみの挨拶をして、ぽっかり穴の開いた

私の白い一日が終わります。 以下がその歌詞です。

 

『白夜』作詞・松本隆 作曲・吉田拓郎

風が凪いだ空に 旗は動かないし

客が降りた汽車は 鎖に繋がれる

映画館の椅子を 掃除してる女

駅のベンチの上 酔っ払いの寝息

みんなみんな終わっちまった

みんなみんな終わっちまった

やっぱり君も帰っちまった

今夜はとっても白いよ

 

閉じた店の窓に厚い布が張られ

人のいない路地を 風が渡り歩く

自由だった街の 祭り騒ぎ失せて

赤や青の信号 虚しさだけ照らす

みんなみんな終わっちまった

みんなみんな終わっちまった

時代と共に去っちまった

今夜はとっても白いよ

 

世代なんか嘘さ 夢と笑えホロ苦い若さ

みんな何処に消えた 旧い親しい友よ

ゆうべ見た夕日 赤いトンボたちよ

星は巡り今夜 白い闇の夜だ

みんなみんな終わっちまった

みんなみんな終わっちまった

立ち尽くす僕を置き去りにして

  今夜はとっても白いよ

 

この歌が車で流れると、私の心境など知らない孫達は

サビの部分を大声で歌ってくれますが、妻への追悼歌みたいな

ものですのできっと妻も喜んで聞いていると思っています。

無邪気な孫達とたくさん遊んだ日は、心の穴も少し小さくなった

ように感じられ、まるで色鉛筆で塗られた塗り絵のように

色褪せた私の白い一日が色付いたような気持ちになります。