ありふれた幸せ。

人は人に注目されることを望み実現すると快感を覚えるのですが、豊かな時代になってから特にこの相対的に優位に立つことを求め過ぎる傾向が強くなり、学力・地位・お金など全てを相対評価で考えてしまい、誰もが不幸な気持ちに陥っている時代になっているように思います。 

では相対的に優位に立つことを実現した人の立場になって考えてみると、内心ではこの優位な立場を失いたくない思いに実は怯えているが沢山いると私は思っています。 

相対的に優位な立場の高学歴同士や美男美女同士の結婚を

『人も羨む結婚』などと報道されたりしますが、

結婚など他者の評価である相対評価の高い人を選べば

幸せになるわけではなく、最終的には自分と伴侶だけの

心の通い具合で考える絶対評価で考えないと幸せな

気持ちにはなれないと思います。 

勿論私も若い頃は欲望の塊でしたので相手に望むものが

多かったのですが、妻と出会って結婚した時に思った

ことは『ありふれた幸せ』に持ち込めれば上出来で

歳を取るにつれ判り合える関係になり健康で普通に

暮せることにお互いが満足できて、時々これが幸せなの

かな?と思えるといいな! と考えるようになりました。 

他者の入り込まない日常に時々幸せを実感することは、

同士にしか判らない絶対評価で感じていることです。 

人間は何かを手に入れてからその代わりに失ったものに

気付くのですが、同じように何かを失ってから初めて

その失ったものの大切さを初めて実感することも

多々あると思います。 

私の店のホームページを開くと『幸せであることを意識

できる生活』と入れてあるのは、何気ない普通の生活の

中に幸せが沢山存在しているのに、幸せを相対評価で

考えるから実感できない人が多くいるからで、家族や

夫婦だけの絶対評価で考えたら幸せを実感できる

ことが沢山ありますよ! と言いたいのです。 

普段は健康な家族で過ごしているのに子供の学力、

父親の地位やそれに伴うお金などを望みがちですが、

実は家庭の平和はそれらではなく家族全員の健康で

辛うじて維持されている危いもので、特に健康は

どんなにお金を積んでも決して手に入らない恵まれた

ものだからです。 

愛する家族の誰か一人でも病気になると家庭の平和は

一機に崩れ不安定になり、精神的・肉体的な苦悩に

見舞われます。 

私の病気なども病気になって健康の有難みを改めて実感

するような所がありましたが、病気が一段落しベッドで

寝たきりの時に私が思ったことは、娘と婿殿に沢山の

迷惑をかけて申し訳ない気持ちと、妻を見送った後で

本当によかった!と思ったことでした。 

病気から元気になっても一人でやって行かなければ

ならない不安などより、多分娘には理解できると思う

のですがきっと妻は精神的に不安定になり娘達にもっと

迷惑をかけただろうなと思い私は安堵したのです。 

私にとっての妻は無邪気な子供のように全面的に

私を信頼し依存していた所が可愛いかった人で、

人と言う字の短い方のように頼る妻を支えることで

私が支えられていたような依存関係だったのです。 

そんな妻の喪失感から立ち上がれたのは、妻との幸せ

だった日常の想い出とお客様と娘達家族の存在でした。 

妻が元気なときはそんな依存関係のありふれた毎日に

幸せを感じ、長年変わらず来店してくれるお客様に

必要とされている有り難さを実感できたことも

幸せでしたので、売上増や店舗拡大などの

野心が次第に色褪せ消えて行ったのです。 

物事を相対評価で考えて上を目指し努力することは

良いことですが、その努力がいつも報われないと

不幸な気持ちになるのは間違っていると思います。 

確かに結果は大事ですが、それよりも努力した

過程の方がもっと大切で、それが生きることの意義と

生き抜く力に繋がっているのです。

勝者の影には敗者がおり、勝者も必ず敗者になるのも

必然ですので、人生はその後をどう生きるか? 

が一番試されることなので、そんな辛い時ほど

自分自身を絶対評価で俯瞰して捉える余裕を

持つことが良く生きることに繋がっています。 

人間は誰もが必ず死を迎え全てを失うようにできて

おりますので、世間にどう思われるか? という

相対評価などよりも、自分自身の人生を自分自身の

絶対評価で生き抜くことが後悔のない人生に繋がって

いると私は思っています。 

 自殺や事件を起こしている人達の動機を注視すると、

 心の中にいつも他者との相対評価に怯えている揺らぎ

 があり、自分自身の心の中の本当の望みやそれらを

 実現できない弱さをしっかり見つめていないのです。 

 前にも書きましたが人間性を基礎づけているのは弱さ

 なのですから、いつも自分のその弱さを自覚した所から

 始めないで他者を羨んでいては、自分自身の

 弱さを強さに変えることはできなのです。 

 『隣の芝生は良く見える』と言いますが、努力して

 大きなものを手に入れた人の良い所は見えていますが、

 その大きなものを手に入れた人のみが知る苦悩

 凡人は見ようとしていないのです。 

 成功や栄光は見えていますが、それまでやこれからの

 苦悩をている人はごく少数で、人生は死を迎える

 まで延々と選択の悩みと努力の積み重ねは続きます

 ので、他者の相対評価にわされずに自分自身を俯瞰し

 見つめ続けなければ必ず足元すくわれます。 

 私は今孫達と遊んでいる時いつも思うのは、

 人が羨むようなそれたことを成し遂げるよりも、

 人には気付かれないような『ありふれた幸せ』を

 手に入れ元気でいて欲しいと願い一緒に遊んでいます。 

 人が羨むような輝きをいつも放っていると、廻りはその

 輝きに必ず眩しさを感じており、その眩しさの陰には

 嫉妬の危険潜んでますので、目立たないありふれた

 生活の中に幸せを見出して欲しいのです。 

 前野隆司氏著『幸せのメカニズム』の本には、幸せを実感

 するは次の四つの因子が必要と述べています。

 ①より良い自分を求め努力しているか? 

 ②自分を大切と思ってくれる人がいるか? 

  他者への手助けと感謝の思いがあるか? 

 ③物事を楽観的・前向きに考えられるか?

 ④自分と他者を比較せずに、ありのままの自分を

  信じる自己肯定感を持っているか? 

 この四条件が幸せを循環・継続させると述べていますが、

 私はこの中の四番目の自分と他者を比較せず、

 自己肯定感を持つことが一番大切だと思っています。 

 また収入による幸せ研究調査の結果では、年収1千万円

 まで質的な満足感に比例して幸福感が増すが、

 それ以上になって福感は増加していないそうです。 

 つまり1千万円までは生活満足度が上がって幸せを感じ

 ていますが、それ以上になっても感情的満足度

 上がらないので幸せを実感できないのです。 

 人間が幸せを感じるものには二つあると述べており、

 ひとつは地位財と呼ばれる所得・地位・車や家などの

 物質的財産などを人と比較して満足を得るものです。 

 二つ目は非地位財と呼ばれる健康・愛情・自主性など

 人と較しないで幸せを得られるものです。

 地位財は慣れと共に幸福感が薄れ持続しないが、

 非地位財は日常いつでも幸福感をじられ持続する

 というコメントには説得力があります。 

 ではなぜ収入の増加で幸せになれると思う人が

 増えたのか?ですが、これには心理学・行動経済学で

 ノーベル賞を受賞したダニエル・カーネマン教授の

 造語フォーカシング・イリュージョンという言葉が

 解答を与えてくれます。   

 日本語に訳すとフォーカシングは焦点でイリュージョンは

 幻想ですから、人間は間違った『幻想に焦点を当てた』

 という意味で、現代人は幸福になるために間違った

 収入(お金)だけに焦点を当て日々努力している

 言っているのです。 

 事実ダニエル・カーネマン教授はノーベル賞受賞時に

 『私は心理学での受賞を喜んでいますが、この受賞が

 私を特別な存在するとは思わない』と述べています。 

 私は行商から始めて二年後の店舗創業時はトイレも水道

 もないプレハブ店舗で十年、その後今の店舗併用住宅の

 借財返済に追われて過ごしてきましたのでずーっと余裕

 などない生活の連続でした。

 そんな生活の中で毎年正月の海外旅行から帰国する

 二ユースの放映を見るたびに、妻は『一度いいから

 ハワイに連れてって』と言ったのですが、

 『あなたが甲斐のない私を選んだ,あなたの責任が

  半分あります』が私の返事でした。 

 しかし店舗借財返済後に、来年の正月休み三人でハワイ

 へ連れて行くけど条件があり、それは『ハワイへ行った

 と決して誰にも話さない』を守ることでした。 

 人が聞いてもいないのに話す行為は、自分の相対評価を

 あげようとしている無意識領域にある自己顕示欲で、

 果たしてハワイへ行くは自分が本当に望むものなのか? 

 に気が付いてもらうためです。 

 駄目出しに翌年は香港へ連れて行ったのですが、

 その後の少し落ち着いた頃に妻が『もう海外旅行は

 行かない、家が一番良い!』言った時は唖然と

 しながらも、やっと理解してくれたと安堵しました。

 その時に海外旅行の借金返済が済んだら、私が長い間

 望んでいた『恋愛・新婚時代を過ごした東京の想い

 の場所巡りしないかい?』と提案し、妻が亡くなる

 四年前の今から十年前の正月に実現しました。 

 娘にはこの旅行が私の借財返済後の唯一の願いだと

 前から話しておりましたので、ホテルとレンタカーの

 セット旅行を手配してくれ代金十五万円はプレゼント

 ですと言って費用を出してくれました。 

 これも正月休みの秘密旅行でしたが、宿泊先の京王プラザ

 ホテルに着いて驚きました。 

 私達がいた四十年弱前にはこのホテル以外更地に近かった

 所が、高層ビル群になっていて正面に都庁がありました。 

 ホテルで寝る以外は車のナビを使い、私達が出会った

 池袋・常盤台の歓楽街にあったオカマバー『しぶ六』

 や妻が住んでいた畳のアパート・勤務していた

 建設会社、翌日は私の勤務地の調布や寮の東村山

 でしたが寮以外は痕跡がありませんでした。 

 合間に妻の希望で東京の新名所なども数カ所歩き廻り、

 帰宅二日前には新婚時代を過ごした小平の森の中に

 地主の大家さんが立てた一軒家へ向かいました。

 近づくと繁華街に激変しており森は住宅街に

 なっていましたが、塀で囲まれた一軒家・六棟

 当時のままあり二人で感動してしまいました。 

 その家の前で『ここでふたり獣になって燃えたね』

 言うと、妻は『中も当時のままなのかしら、見たいね』

 などい出話に花が咲き一時間程がアッという間でした。 

 近所の人が不審そうに見ていたので車に乗り、

 妻の手を握り『これからもよろしくね』と言うと

 『こちらこそよろしくお願いします』と返してくれ

 本当に幸せなひと時でした。

 最後の日は横浜の中華街と赤煉瓦倉庫で遊び帰宅でし

 がその後『楽しかった東京旅行をもう一度したい

 と妻が言い続けていたので、再度計画していた前年の

 暮に他界し実現できなかった無念さは、妻を想い出す

 たびにいつも沸き起こります。 

 このふたりだけの想い出を確認できた旅行は非地位財に

 当たる二人だけの絶対評価による心の満足で、

 海外旅行と比べてどちらが幸せを感できたのか? 

 は理解して頂けると思います。

 現代は三組に一組の離婚率ですが恋愛とは大いなる

 錯覚で、像を受け入れるには寛容という広い心が

 必要なのですが、その寛容が難しくできない人は

 私のように恋愛時代を想い出し錯覚し続けていれば

 不思議に寛容に通じています。

 妻が50代の頃化粧をしながら『みっともなくなった』 

 と愚痴ったとき、後ろから覗き込み本当にみっとも

 なくなったね!でも後ろから抱くと錯覚できるよ

 と言ったら、妻が『ではこれからはそれで頼む!』と

 言ってから受け入れたのか? 愚痴らなくなりました。

 お米もお茶もコーヒーも冷めてからも美味しいのが

 良品質品すが、夫婦や恋人も冷めてからの人間関係が

 両者の品質めていると思い定め、何度でも錯覚する

 努力をして欲しい私は願っております。

 私が思う幸せになる秘訣は逆説的ですが『家族や廻りの

 人達をいつも幸せしたいと考え行動する』ことで、

 求めることよりも先に贈与することです。

 私は娘を育てながら、この子は何時・何処で・誰と

 幸せになるのだろうと思いながら育てていました。

 また同時に娘は果たして誰を幸せにできるだろうか? 

 も願い想像しながら見守り続けて来ましたが、

 今は婿殿と孫達を幸せにするために奮闘しております。 

 若い人達には他者と比較しないで日常の何気ない瞬間に

 感じる幸せの大切さに気付いて欲しい事と、金銭的・

 肉体的・精神的に変な時こそ支え合うことが、

 私のような老境を迎え人生を振りり眺めた時に、

 その辛苦こそが夫婦で共に生きた証に必ず

 思えますので、是非そう信じて辛苦を乗り切って欲しい

 と願っております。