君達の成功は運か?努力か?

深夜に米国のマイケル・サンデル教授と若者のトークバトル番組がNHKでやっており、面白いのでたまたま目に入ったときに見ていますが先日は米国・中国・日本の一流大学生と『君達の成功は運か?努力の結果か?』をテーマに討論

していて、深夜なのに最後まで見てしまいました。 

最近米国で起こった事件では、有名人の子供がイエール大学やスタンフォード大学などに不正に入学しており、その仲介人は二十八億円もの資金を元に、試験官への賄賂や偽装の

障害者特権やスポーツ実績など様々な方法を使い不正入学

斡旋して五十人もの逮捕者が出ました。 

出演していた大学生のほとんどは公立大学で米国はハーバード大学生六人・中国は精華大学六人・日本は東京大学五人と

私立の慶応大学一人でした。

米国の不正は全て私立大学で行われていましたが、慶応など

は幼稚舎・中学・高校からエスカレーターで慶応大学まで

行けることや、多額の親からの寄付金で入学している実体も

あり、先進国ではお金持ちの家に生まれた幸運が社会に

通用する学歴に繋がっていると言い、私立大学の寄付金

制度などは合法的な不正入学に繋がっていて学歴も親次第

と述べており私もその通りだと思っています。 

中国に私立はないので幼児の頃から勉強漬けで、高校生に

なると昼寝三十分を除き朝六時から夜十二時まで勉強

していたと述べていましたが、貧乏な家に生まれたら

このような勉強環境は無理なので、中国では貧しい

農村部の子供の大学入試には貧困への配慮として

ボーナス加点があるそうです。 

そして今回のコロナ騒動時に協力した医療従事者には昇格や

給与を三倍にした他に、その子供の大学入試においては

十点の加点約束されたそうですが、この加点には米国と

日本の学生は異議を唱えましたが、中国の学生達は競争の

激しい中国の大学受験で十点の加点は非常に大きいが、

六人のうち二人が賛成し異議はないと述べ文化の違いを

実感させられました。

もし日本の医療従事者の子供に、このような配慮が報道されたら大変な騒動になると思うのですが、医者の子供が医者に

なっている実情を考えると、日本の医療従事者の士気が

上がるは間違いないと思います。 

人を動かす極意は『飴と鞭』が一番簡便で確実な方法で、

人格で人を動かすなどは容易なことではなく、特に独裁国家

は『飴と鞭』の恐怖政治が主流で、北朝鮮では現在鞭として

軍幹部がみせしめに次々に粛清されております。

米国の統計では親の所得上位二十%の子供の六十%が

名門大学に入学しているそうですが、日本でも統計を取れば

かなり近い数字になるのでは? と私は思っています。 

では何故名門大学に入ることが重要なのか? と聞かれ、

米国では学位なしでは金銭的に豊かに暮せないと答え

ましたが勿論日本も中国も一緒です。

裕福な家庭であれば幼児期から家庭教師をつけられ、

今日本の有名大学で採用している小論文など、東京には

専門の塾があり高校生になったら裕福な家庭の子供は

通ったり通信添削などを受けたりしておりますが、

ほとんどの人達はその実態すら知らないと思います。 

学生達に『受験競争は必要か?』と聞くと、受験競走には

プラスもマイナスもあるが必要だと思うと答えましたが、

では『受験競争の勝者で良かったか?』と聞くと、

中国の学生達は子供の頃からの勉強漬けで『失ったもの

は大きい』と答えましたが実感が伝わって来ました。 

では『投資銀行家は看護師の三百倍の収入を得る』価値は

どうして生まれるのか? と聞かれた学生は『給与も需要と

供給の関係で成り立っている』と答えましたが歯切れが

悪く、自信を持ってそれだけの給与を得る社会的価値の

ある仕事をしているからとは言えないと半数以上が答え

親を選べないと同様の不平等が職業にも存在している

認めていました。 

勉強環境と同様に能力主義は勝者と敗者を分断し、社会では

異常な格差拡大で分断を更に広げておりますが、仕事の

社会的な価値を考えたら農業や看護師の方が社会的価値が

あり、投資銀行家などお金持ちだけに必要な職業です。

   私が思う勉強や仕事への取り組みの基本は知りたいという

 好社会から必要とされるという責任感から努力する

 こと充実感を持つのが人間の本質で、勉強も仕事も高額な

 収入を得るためだけでは老いてから虚しくなると思います。 

私が娘を育てた基本は勉強より社会性を得るための遊びを

して育てましたが、小学三年生の時に『毎日遊んで勉強

できる方法を教えて』と聞かれた時に、拘束されている

授業中に中し記憶する習慣にすれば良く、お父さんの学年

でいつも番だった人はその方法で東大に行った

話しました。 

私は娘が知的好奇心から望むことは了解しましたが、極端な

学力向上は望んでいませんでしたので『この方法を習慣化

するのは大変で効果は三年後位だからやめた方が良い』

言いましたが『やってみる』というので、軽い気持ちで

『頑張れ』とだけ答えたので、中学・高校でも塾には

行っていません。 

なぜ勉強ができるようになりたいの? と聞くと、勉強が

出来る子を先生が可愛がるからという子供らしい答えでしたが、娘のその不純な動機を褒めた時『悪い動機をなぜ褒めるの?』と聞いたので、人間は何事も不純な動機の方が

長続きするからですと答えました。

しかし人間とは不思議な生き物で、持続し達成したとき

意外にも初期の不純なもの何処かに消え去って

充足感で満たされているものです。 

この習慣化の効果がはっきり出たのはやはり中学に行った

頃で、中学では英語も楽して身に付ける方法を聞いたので

夜歯磨きの時間だけで高得点を取れる方法を教えました。

中学では合唱部に嵌まり七時頃まで帰宅せず、帰宅後は

中学最後の発表会でショパンの幻想即効曲を弾くために

毎日ピアノを一時間位練習し、食事後はドラマなどを見て

好きなことを楽しんでいたので勉強をしない日もあり

やっても三十分位でした。 

高校受験の時に担任が札幌南高校を勧めましたが、娘は

高校で新しい友人を沢山作っていっぱい遊びたいというので、私服で自由な校風の開成高校へ行きました。

高校受験の三日後まだ合格発表も出ていないのに、担任の

先生が『南校に合格していました』と告げにきたので、

自分の中学から学区外南高合格者を出したかったか? 

南高を受験し落ちたら困るから開成にしたのか? 

そのどちらかの邪推からそんなことを告げに来たので

しょうと先生をたしなめたら丁重に謝罪して帰りました。

高校では期待していた演劇部の顧問が転勤で休眠状態だった

ので入部せず、二年生までノンポリのように過ごして

いましたので成績は少しずつ落ちましたが、勉強は自分

ためで親のためはないからご自由にと告げました。 

娘が中学二年の時に私はあなたは親を選べず借金だらけの

我家に誕生させられたが、どう生きるか?の全てはあなたに

選択・決断する権利がある。私はあなたを勝手に作った

責任として社会に出るまではあなたが望む選択を尊重し

希望に全力応えたいと思っています』と話して

いましたので、勉強は娘の選択・決断次第なのです。 

その記憶があったのか? 高校三年生になる直前に慶応大学

を受験したいと言ってきましたので、私は受かったら

行かしてあげますよと言うと、『借金だらけでお金は

大丈夫なの』と聞いたので『この店は銀行の抵当に入って

いて、いざという時は銀行に渡せば借財はなくなり

家賃を払えば営業を続けられる』と話電卓で

その収支を説明しました。 

『家が自分のものでなくなってもいいの?』と聞いたので、

『家もお金も生きている間の道具で、死んだら持って

行けないものなのでいいのですよ』と答えました。

私からの唯一の条件は『家では二時間以上勉強しないで、

つもの時間に寝ること』でした。 

その理由は家族との時間や青春時代は取り戻せない大切な

時間で、特に青春などは胸に棘が刺さったような想い出が

多いのですが、その時々の苦悩や幸せの記憶こそが人生を

振り返った時に貴重なものだからで、その上に親子一緒に

過ごせる時間は人生四分の一位しかない

大切な時間だからです。 

そして人間は自分に相応しい場所で生きることが実は

幸せに繋がっていて、中国の子供のように勉強漬けでは

失うものが大きく二時間の勉強で合格しなければあなたに

相応しい大学ではなく、幸せとは他者との相対評価でなく

自らの価値観による絶対評価で考えないと実感できない

ものだからです。

人生は金銭的に豊かになることだけが目的ではなく、

その時々の喜怒哀楽そのものが人生で、その中で選択に

迷う弱さが成熟に繋がっていて、家族や友人など人との

心の触れ合いこそが幸せを実感させるものだと

私は思っていると伝えました。 

勉強を自分の意思で決めるべき理由は、その選択に

責任が伴っていることを背負って生きなければならない

からです。 

親の欲望を取り込み承認を求める生き方ではなく、果たして

本当に自分自身の望みなのか? を思案し決断することが、

その後の自分の人生に責任を持って生きることに繋がり、

その責任を果たすことが実は心を豊かにしているのです。

学歴がないと収入が少ない現実に不満なら、幾つになっても

勉強して取り戻せばいいことで、学生時代に勉強しなかった

任は自分自身にあることを自覚すべきなのです。 

人間はやらされることは嫌ですがやりたいことは集中する

ので、この一年間の娘は初めて本気で勉強に集中して

いましたが、私は時間が来ると娘の部屋をノックし

『時間ですよ』と言うと、『あと十五分だけやらせて』と

頼まれて了解したことが懐かしく想い出されます。

その後に家族三人で果物をつまみながら一日の様々な話を

してから一緒に『おやすみなさい』でした。 

合格後は借財の返済と学費・仕送りのために、国民金融公庫

と信用金庫と江別市の制度融資の三件から融資を受け自転車

操業でお金のやりくりをしていましたが、娘が大学三年生の

時に資金がショートしそうだったので、銀行の支店長に

店舗担保取って下さいとお願いしました。 

十九年前でこれも時効だから書きますが、支店長は決算書を

見ながら私に事情を聞き『こんな危険なことをしてまで』と

呆れましたが、娘にも取引先にも迷惑をかけない一心で

あと五年で支払いが終わる店舗の抵当を差し出した気概に

惚れたと支店長が不正融資をしてくれました。

私が追加融資を頼んだ訳ではなく、娘の希望を叶えるためと

取引先に迷惑をかけないために全財産を差し出しただけなの

ですが、支店長は『追いつめられ困った時、ほとんどの人は

嘘をつくが、全てを差し出されて驚いた』と言っていましたが、恋愛と同様に人は惚れてしまうと盲目になります。 

現在の支店長にこのような権限はないのですが、当時は

私が他の金融機関から借りた三件の融資を隠し本部に

申請すると許が出たというバブルの余韻が残っていた

時代背景にも恵まれたのです。 

このような幸運のドアーには取手が付いていないので自分

では開けられませんが、実はドアーの奥に幸運の女神様が

いてから押し開き招き入れてくれるのが本当の幸運です。

運の八割は自らの行いで運ぶから『運』と書きますが、

偶然落ちて来る幸運や不運も二割あります。

支店長の不正融資は全てを差し出した私自身が運んだ幸運で、バブルの余韻が残っていたことは落ちてきた幸運で、

悪運なども八割は自らの行いが運んでいる

私は思っています。

この危機の前にも父の理不尽な要求を飲んだための

借財増加があり、二度の危機がありましたが支店長に

聞かれたことに正直に答えたら、頼んでもいないのに

二度とも手を差し伸べてくれましたので本当に二度ある

ことは三度あるのですね。

勉強は知らない事を知ったり、できない問題や運動が

できたりした時の達成感と成長できた感覚が大切で、

仕事も社会から必要とされ信頼されているという喜びの方が

優先で、合格や収入は目的のようですが実は過程の結果に

過ぎないのです。 

大学二年生の頃帰郷した時に娘が『慶応受験は自分の得意

科目で一番偏差値の高い所を調べ、過去の問題集をやって

みたら解けたから』と白状しましたが、人間は努力し自信

が持てた試してみたくなる動物だと思うと話しました。 

学力は親と環境の運か? 本人の努力か? 多分両方あると

思いますが、大切なのは知的好奇心があって勉強することが

後悔のない人生に繋がっていて、一流大学入学が高い収入を

得る手段であってもよいですが、高い収入こそが目的では

達成後きっと次の目的を失い虚しくなると思います。 

子を持つ親が忘れていけないことは、子供は親の所有物では

なく自我と人格を持った一人の人間として尊重すべき

存在で、親を選べなかった子供に勝手に作った責任から

逃れ育ててやったなどと口にすることは間違いです。 

私はその誕生させた責任を果たすために、幼少期の娘に

ハラハラドキドキで思春期にはヒヤヒヤし続けながらも、

の横で守り続けるから『親』と書くのだと自分

自身に言い聞かせ続けて毎日を過ごしていました。 

今の私は孫達と接しながら『お母さんに内緒』とチョコや

グミをあげて共犯関係を作り仲良くなっていますが、

三歳の孫は『爺からチョコをもらった』と報告しています。 

最近はお姉ちゃんに自我の自立傾向が見られるので『二人で

考えて何個食べるか?決めて下さい』と言い決断を尊重して

いますが、『ご飯を食べられなくなるから』と自らに言い

聞かせながら二個で我慢できるまでに成長しています。 

私は人間誰もが持つ怠慢や欲望への誘惑の中で、全ての選択

・決断にはそれに伴う責任が必ず発生していることを

自覚させるように育てることをいつも意識していました。

何事も親が指図するのではなく自らの意思で正しい選択・

決断ができるように導くことが親の仕事と思っており、

勉強だけでなく日常生活もそのように導くことが子供達の

幸せな未来を切り開く力に繋がっていると思いながら

孫達とも接しいます。

一流大学に合格したことが果たして成功なのか? と私は

思っていて、一流大学に合格しても後に不幸になっている

人は沢山おり、一流大学に行かなくても教養があり幸せに

なっている人も沢山います。

学歴などのその時代の価値観に振り回されずに、得た知性

消化・吸収し教養に昇華して自分らしく生きることこそ

幸せに繋がっていると私は思っています。