約一年の入院・闘病生活で落ちた筋肉と固まった関節の回復のため、早朝四十分と閉店後の夕刻に一時間半ほどストレッチと筋力トレーニングをしているのですが、嫌々だったのが三ヵ月経過した頃からやっと習慣化できて来ました。
その目標は病気前まで続けていた頼まれた時の孫の保育園送迎と水泳のためで、特に水泳は発病前のようにバタフライをもう一度泳げるようになることが目標です。
まだ足首から先の神経が繋がっていないので痺れていますが、痺れが取れる前に筋力の回復と肩甲骨や膝・足首・股関節などの稼動域を広げ柔らかくしないと、関節炎などの怪我に繋がってまた病院の世話になるのが嫌だからです。
閉店後の一時間半のリハビリは娘と婿殿の夕食のおかずの差し入れのお蔭で出来ることで、もう四ヶ月半もお世話になっているので早く足の神経を繋げて自立を目指しているのですが、筋力の手応えはあっても足の神経の感触は外側だけしか感じないので気に病みながらの毎日です。
私は人生において何事にも目標がないとつまらないと思っており、生きている間は暇つぶしの目標を見つけ夢中になっていると時の経過も早く楽しく過ごせますし、その目標を達成した時の満足感と共に飲むビールの美味しさを味わう時には、今を『生きている』という実感が湧き上がるので病気克服も残り人生の暇つぶしに加えました。
私が思う暇つぶしの一番は恋愛で妻を口説き落とし初めて妻のアパートで夕食を出された時の、『私だけのために作ってもらった料理』を実感しながら食べた喜びは格別でした。
二番目が子育てで、娘がひとり立ちした二十四歳頃に『もう人としての花が咲いた』と確信でき親としての責任を果たせたと思った時に、帰宅し妻とビールを飲みながら『あとは女としての花を咲かせてくれる相手』を見つけることだけれど、これから先は私達の役割ではないからと話したことを想い出します。
三番目の暇つぶしの仕事は事業の拡大よりお客様からの信頼を得て、社会と繋がる糸口として商いを細く長く死ぬ間際まで続けたいが願いであり目標です。
もう一番目と二番目は失ったので三番目を抱えながら趣味の領域で目標を持ち楽しむのですが、人間は成長と共に五十歳位までは様々なものを獲得しますが、五十歳位からは様々なものを失っていくのが人生だと思っており、失う最後のものが命の火が消えるときと思っております。
ただ何事も失いそうな時に最後の無駄な悪あがきをするのですが、いよいよ失うときが訪れたら未練を捨てて潔く手放すのが良く生き続けるためには必要です。
今の私にとっての水泳・特にバタフライは最後のあがきみたいなもので、病気からの回復過程における最大の目標だった再び孫達と遊ぶことの次です。
死人状態で死を望んだ三ヵ月間の赤子のような状態から、手が少し動くようになった時に娘から携帯が届き、その携帯に届く孫達の励まし映像(六歳のボケと二歳の突っ込み漫才やお父さんのピアノ伴奏による歌の数々)に促され再びバタフライができるようになろうとの決意も生まれましたので、五カ月間の拷問のような痛みのリハビリでしたが死を望んだ三ヵ月間と比較したら全く苦ではありませんでした。
三十七・八年前に泳げるようになりたい一心で水泳を始め、その後喘息になり医者に『直らない』と言われたので、直そうとランニングを始め三年位で喘息を克服した頃に、テレビでトライアスロン大会の映像を見て『やってみたい』と妻に言い本格的に練習を始めました。
恐らく十五年間位続けたと思うのですが、娘が東京の大学に行くことになり旅立った夕食時に乾杯をしようとしたら、妻が乾杯の前に言うことがある『??ちゃんは私が産んで、あなたが育てたようなものだから仕送り・授業料は責任を持って果たすようにね!』と真面目な顔で言われました。
私は心の中で店も手伝わないで卓球と水泳に通う妻が堂々と言うのに圧倒され、『はい、頑張ります』と即答しましたが、妻が投げ出した娘との係わりを助けていたつもりで行っていたことが、実は妻の『母親としての役割』を奪っていた部分もあったのか? と心を痛めたことも忘れられません。
翌日から責任を果たすべく思案し、トライアスロンは止めてマラソンと水泳だけにしようと決意し、妻に告げいつも一緒に行っていた友人にも連絡をしました。
止めた理由は友人が大会中の自転車で落車し鎖骨を折って入院したことがあるのを思い出したからで、友人は公務員だったのでノンビリした入院生活でしたが、私は日雇いの自営業者なのでもし自転車で落車して入院生活になったら妻との約束が果たせなくなるからでした。
決意したら未練は捨てて潔く手放すと決めていましたので、その時が思っていたより少し早く来ただけと意外とスッキリした気持ちでした。
以後はマラソンと水泳の大会に出て楽しんでいましたが、北海道マラソンで膝の痛みがひどくリタイアーした時にマラソンも止めようと決心し、それからは朝夕三十分の徘徊で足を使い運動の趣味は水泳だけになりました。
こんなことを振り返ったのは婿殿がトライアスロンの大会に出場すると最近聞いたからです。
婿殿が自転車で長距離を走っていたのは知っており、水泳と時々のランニングも健康維持の一環だと思い込んでいた私には驚きと懐かしさが入り混じった嬉しさでした。
人間は生まれてオシャブリから始まり、おもちゃで遊び習い事を始め、やがて部活動などで運動や趣味へと広がって、社会人になってからも何かしらの楽しみを見つけると、それらが人生を豊かにすることに繋がっております。
大人になることは生計を立てるために仕事を持つのですが、私は生計だけの為に生きることは心を貧しくするような気がしており、心の余裕とか遊びとかを持つことに繋がっているのは実は趣味みたいなもので、それが社会の中で世代を越えた横の繋がりを獲得することにも繋がっています。
独身の人などには異性との出会いに繋がる可能性もあり、人生において様々な人との出会いこそが生きることを豊かにしてくれるもので、その出会いの中で人の温もりに触れる喜びや苦しみや葛藤なども人間的な成熟に繋がっています。
限りある収入の中で実質的には無駄な趣味にお金を使うことが遊びで、その遊びが心の余裕を生んで仕事に励むという矛盾が実は心と身体の健康に繋がる善循環を促進しています。
娘が小学校五年生の時に学校から帰宅するなり突然『何のために生きているのか?』今日寝るときにお話してと言って遊びに出かけたことがあります。
どのように答えるべきか? 思案しましたが、その夜正直に答えようと思いお父さんもずーっと考えてきたけど『生きていることに意味はないと思う、そんなことを考えたのは嫌なことがあったからでしょう』と言うと頷いたので『反対に生きていて良かったと思ったことはある?』と聞くと『有る』と答えたので、どんな時と聞くと『楽しくて幸せな気持ちのとき』と答えたので、お父さんの答えが正しいのか? 判らないけど『楽しく幸せになるために生きている』のが生きている意味だとお父さんは思っています。
??ちゃんが幸せそうならお父さんもお母さんも幸せな気持ちになるように、自分が幸せになれば廻りの人達も幸せにすることに繋がっていると思うので、まず自分が幸せになることを考えて生きて欲しいとお願いしました。
果たして娘が覚えているか? 判りませんが、親が不安を抱えながらも何かに挑戦している背中を子供が見て育ち、達成感を味わい喜んでいる姿を目の当たりにすることは無言の教育効果を生んでおり、自然と子供達も何かに挑戦してみようと考えることに繋がっています。
婿殿のトライアスロン挑戦に遊び心や未知の領域への好奇心
が含まれているか? 判りませんが、私の経験では娘に意外
な相乗効果が生まれ、以後娘が『私の今年の目標は??』と
口にしていましたので、お父さんの挑戦する姿は孫達にとっ
ても良い刺激と手本になって行くと思います。
そして挑戦には様々な不安などが交錯しており、私は三十歳
を越えてプールで泳げるようになったので足が届かない海や
湖で泳ぐのが恐くて、洞爺湖と函館の海で泳ぐトライアスロ
ンの最初は恐怖心からスイムでリタイアーでしたが、不安
の交錯や挫折も再挑戦の決心も全てが人間的な成熟に少しは
役に立っていたと思っています。
婿殿の挑戦は横浜と広島と聞きましたが、恐らくオリンピッ
クディスタンスのスイム1.5Kmバイク40Kmラン10Kmで、横
浜は恐らく赤レンガ倉庫近辺の海を泳ぎバイクとランは港湾
付近の周回コースで行われると思うのですが、ここは十年ほ
ど前に妻と東京中の想い出の場所をレンターカーで廻り、余
った最後の日に横浜へ行き夜に赤レンガ倉庫で食事した懐か
しさもあるので応援に行きたい気持ちです。
家族の誰かが何かに挑戦しているとき、口には出さなくても
家族の誰もが挑戦の成就を願っており自然と家族の結束にも
繋がって相乗効果は沢山あると思います。
サーファーだった婿殿は四月の海の冷たさや怖れはないと思
いますので、完走と無事の帰宅をひたすら願っております。