娘の幼稚園時代。

娘が二十六歳(七年前)になった時の父の日、久々に帰宅した夕食時に『一人でも生きて行ける自信がついた、今まで見守ってくれて有難うね』と言われ、『もう少し父親をさせてー』と懇願してから様々なことを想い出します。 

特に年長から通った幼稚園での出来事は、親として私達がどう振る舞うべきか? 哲学させられ親として育てられた気がします。 

ほとんどの子は年少から通っている幼稚園で、年長途中からは娘一人だった多勢に無勢のせいでしょうが、通い始めて一週間後に暗い表情で帰宅しました。 

何か有った事を問い詰めないように妻に内線電話で伝え、閉店後にドライブに誘い『幼稚園は楽しい?』と聞いても『うん』と言うだけでした。 

親にも口が堅いのは娘自身のプライドなので、問い詰めない配慮で面と向かい合わないように運転席と助手席のドライブ中だけ幼稚園のことを聞くドライブを一週間ほど続けましたが言いません。

しかし八日目『口に泥を入れられている』とぽつりと言いました。 

びっくりしましたがこちら動揺すると娘も動揺するので、平然を装い『嫌だと言えば』と言うと『言えない』と言うので『じゃあ、ずーとやられたら』と話し、帰宅して普段通りに遊んであげて家ではその事に触れずに過ごしました。

最初の様子が変な時から体調変化を気を付けていても大丈夫でしたので、幼稚園には何も言わずに娘自身に解決させる方法を思案し、親として出来ることを思案し続けました。

事実を知ってから私自身も悩み続け、毎日のドライブが二週間目になる頃、可愛い室内犬でよく吠える犬を飼うお客様が来店して閃き、お客様に七時頃に行くので犬をベランダにとお願いし娘を連れて行きました。 

娘は可愛いと叫び走って見に行ったのですが、近くに行くと犬が凄い勢いで吠えたので驚き、飛んで逃げてきました。 帰りの車の中で『あんな小さな可愛い犬でも、本気で怒ったら恐かったでしょ。あなたも本気で怒ってごらん』と話しましたが、無言で思案していました。

それから綺麗な夕日が見える所に車を止め、初めて身を乗り出し娘の目を見て『ごめんね、お父さんには何もしてあげられない、あなたが戦う以外にね』と言い娘自身が立ち上がるのを待つことにしました。  

毎日娘の帰宅を内心ハラハラの気持ちで待っていましたが、その翌日『本気で怒ったら止めたさ』と自信たっぷりの帰宅でした。 

ドライブ中以外はこの件に触れずに日常を過ごす親の二週間に及ぶ苦悩を知らず、娘はこの出来事を覚えていません。

もし幼稚園に言って私達の力で解決していたら、たぶんトラウマとして娘に残っていたと思います。

その後小学校五年生の時にも下校時に、外靴が無いことが一週間続きましたが、隠した愉快犯が見ているからそのまま室内靴で帰宅させて収まりました。

私は最初から犯行の子供は推察できていたので、担任と教頭が事情と犯人を報告に来た時には『??ちゃんと判っています、低学年の時に遊びに来て、帰る時にいつも小父さんの家の子になりたい』と言っていた子なので、そのままにしてあげてとお願いしました。

その後その子が二十二歳になった時に『小父さん就職した』と来店し『今でも私が知っている中で小父さん達夫婦が一番仲がいいと思う』と言い、会社で使うコーヒーを一度だけ買いに来ました。

私達も喧嘩しますが、子供が親に求めているものを象徴しています。