白と黒半分で生まれる。

国民総中流時代のぬるま湯の時代から格差時代が続き、心の闇を抱えている人達の事件に触れる度に思い出す事が有ります。 

娘が高校の倫理の授業で性善説・性悪説を知った時、私はどちらの立場を取るか? と聞かれました。 

その時『人は皆、真っ白な心で生まれて来たのに、以後の環境その他で真っ黒にされてしまった人が犯罪者では』と話しました。 

娘は、お父さんは性善説か? と言い戻りました。 

人は言葉と同様に善悪も環境や経験から学び、そんな不幸な人達と身近に触れた時の不快さを味わった時は『罪を憎んで人を憎まず』の難しさを思い知ったものです。 

しかし大学四年の帰省時に娘が『人は真っ黒と真っ白半分で生まれて来て、以後の環境で黒が増えたり白が増えたりするのではないか? そして誰の心にも小さくても黒も白も残っていると思う』と言いました。 

就職活動で悩み『就活を止め、引き篭もって本を読みたい』を了承して以後、立ち直って帰省時のことでした。

社会から孤立してみて、自分の中に有る闇と向き合い自己嫌悪を感じる嫉妬や憎しみや暴力的なものが自分の中にもあるのを初めて自覚したとその時に話しました。

私の中にも有るので、心から納得して『あなたが正しいと思う、勉強になりました』と話し、本当に心を新たにさせられました。

誰でも経済的・精神的の両方で追い詰められたら、この心の闇が肥大し、持て余した果ての事件や事故に繋がる可能性を秘めています。 

働き始めて十年が過ぎ先日電話で、今は決算時期で猛烈に忙しいので二十日間連続勤務と聞き、『頑張らないで、自分にご褒美を! 心と体が疲れると、心の黒の部分が増えますよ』と頼みましたが、果たしてあの時のことを覚えているのか? 子育ては私にとって最高の人生勉強です。