核家族。

フランスの哲学者ミシェル・フーコは五十年程前に核家族化が家庭を生きにくい場所にし、虐待自殺を増加させると予言していました。 

密室化した家族では、絶対化された存在が弱者を支配し、弱者は広い視野で物事を相対化して見る眼を養う能力が損なわれると言うのが理由です。 

私が子供の頃、父の言葉や体への暴力(お前達の為という偽善)を受け、父を絶対化しかけた時、偶然遊びに来た伯父さんが私の知らない過去の父の駄目さ加減を陰で私に暴露しました。 

この出来事以来、冷静に家庭や職場での父を観察し相対化して見る事ができるようになり、それまでは気が付かなかった多くの父の弱さを知って育つ事が出来ました。

大家族では、父母の過去の暴露は日常で、それぞれの表と裏・建前と本音を繋ぎ合わせ事実を推し量る能力が自然に育ちます。

家族それぞれの駄目さ加減を知った上で成り立つ家庭は『癒しの場』になって子供も少し力が抜けて育ちます。 

しかし強者が君臨している密室の家庭では、どのようにしてこの危険な場所から傷を負わずに逃走するか? がいつも頭の中を一番大きく締めているので、視野が狭い子供になってしまいがちです。 

伯父・叔母がその兄弟を牽制しあう親類関係が、実はその子供達の中に社会性を育むことに繋がり、それが相対化した視野を育み、社会での真の生きる力になります。

家庭は最小単位の社会で、家族への礼儀・自分の立場をわきまえる・自分自身を守る術を学ぶ中で、一人一人の弱さを助け合って生きていることを学び、これが社会へ出た時に他者と共に生きて行く社会性を身に付けることに繋がっているのでは? と思います。 

核家族化した時代の処方箋は、親が自分自身の駄目さ加減を自分で暴露して、子供に日常の親と過去の親を遠景・近景で見て親の実像に迫る作業をそれとなく経験させることです。

それが自立し孤独に耐えられる人間に繋がり、暖かい親しみのある家庭を作る能力を育てます。

親の実像を捉えた子供は、孤独に耐えた人間にしかわからない、傍にいてくれる人の温もりへの感謝と敬意の気持ちを持つことが出来ると思います。

私は父を反面教師としましたが、シミのように沁み込んだ文化的な嫌なものを薄める努力も、妻の母性的な手助けなしでは難しかったと思います。