続・七つの大罪。

人間の『七つの大罪』傲慢・貪欲・嫉妬・憤怒・貪食・色欲・

怠惰について書いた続きですが、この人間の邪悪さの肥大が

ネット環境における誹謗中傷で自殺者が出たり、イジメによる

不登校や自殺者に繋がったりするだけでなく、社会的な問題である

三万人以上の自殺者数なども実は手を差し伸べる人が少ない

だけでなく、人を貶める人達の方が多いことに原因があるのでは

ないか? と私は思っています。 

人を傷つけることや貶めるようなことをする人達が増えたのは

平等意識の浸透にも遠因があり、その平等意識が自分自身の

実像である身の丈を越えた自尊心の肥大を生むことに繋がっており、無意識的に上位に嫉妬し下位を貶めるという破壊的な

行為に走るという、身の丈以上を求めることによる精神的な

機能不全に苦しむ人達を増加させたからではないかと思います。 

平等意識が自尊心を肥大させることは何も悪いことではない

のですが、自尊感情に見合う努力をせずに苦しみ続けると

自尊心以下の自分に耐えられなくなり、未熟な人は無意識に

友好的・創造的な行為ではなく人を傷つけるという破壊的な

行為に走る傾向が強くなってしまうのです。 

誹謗中傷やイジメをする人も無差別殺人を犯す人も、

『自分だけが何故?』と思う被害妄想から始まっているのですが、

自分の社会的評価や家庭内評価が低いことは、

自分自身が創り上げた人間関係と自尊心に見合った

自分を創り上げるための学業や仕事での努力を怠った結果

なのですが、それは認めたくないので『他の誰かを引きずり落とす』

という破壊行為に走る悪循環に落ち込んでいるのです。 

自分がどの程度の人間なのか? を思い知ることが

できない人ほど、他者が創造したものや他者の行為に嫉妬し

容赦ない批判で誹謗中傷するのは、実は自分に自信がない

反動で虚勢を張っているから批判的・攻撃的になり、

自己規制できない弱さで残酷な行為に走るのですが、

実態は自己嫌悪に苦しみもがいているのです。 

クレーマーもイジメも誹謗中傷も動機は他者にあるのではなく、

自分自身が理想の身の丈に成長していない未熟さを

自覚させられている苛立ちなのだと思います。

努力しない人ほど『努力しても報われない』という言葉で

自己弁護しているから報われないのですが、努力する人は

『努力すれば報われる』と思い続けるから報われるのです。 

人間はひとりでは生きられないとよく言われますが、

生きる力とは実は他者から授かっているもので、

端的な例としては自分の子供ができると労働への意欲が湧くように、自分のためより愛する他者の存在こそが生きる意欲を賦活

しているように、子供の存在こそが自己規律に繋がっています。 

人間関係では身近な人をイジメたり貶めていたりしていたら

険悪になるだけですが、優しい言葉をかけたり困っている時に

手助けしたりして友好的な関係を構築していたら感謝される

喜びだけでなく、こちらが困っている時に当事者だけでなく、

その行為を見ていた人などが手を差し伸べてくれたりするなど、

日常生活が豊かに楽しくなり自然に生きる力が賦活されます。 

敗戦と共に帝国主義から戦勝国アメリカによる民主主義が

導入されましたが、消化・血肉化されていない押し付けの民主主義

丸呑み思考は、誰もが『何者にもなれる』という短絡的な

思い込みを持つことに繋がり、現代の日本人は疑いもせずに

身の丈を越えた幻想を抱くようになったのだと思います。 

何事もネガティブなものから生産的なものは生まれず、

生産的なものは全てポジティブ思考からしか生まれないように、

自尊心に見合う身の丈になるように努力を積み重ねる人は、

人間関係においても相互扶助的・創造的に振舞いまい

人に優しく思いやり、自分には厳しくすることができるから

人間の持つ七つの大罪感情も希薄になって行くという

好循環が起こっているのだと思います。 

人間とは贈与されると自然に反対給付の返礼義務感情が

必ず沸き上がってくる動物ですが、反対に搾取されて持つのは

不快な憤怒と憎悪の感情なので友好的・生産的な関係は

構築できないので生き残る上でも必ず不利になります。 

これは夫婦や親子や友人関係にも反映されますので、

関係が良くない人がいるなら相手への贈与が不足していると

自覚できれば修復できると思います。 

伴侶や子供や友人を愛せない人の本当の理由は、

駄目な身の丈の自分を受け入れ承認できないという、

本当の自分を愛することができないことに起因しているのです。 

昔は憎しみから対象相手のワラ人形を作り釘を打ち付けて

呪い殺すという風習がありましたが、イジメや誹謗中傷などの

優越感で心の穴を埋める行為も呪いに似ており、

現代人のイジメや誹謗中傷や無差別殺人などの行為は、

無差別に人を呪い殺している行為と同じだから多くの

自殺者を生むことに繋がっているのです。 

このような状況から脱却し心の滋養を高め負の連鎖を断ち切る

方法は、好きになれない惨めな自分自身を受け入れるという

自分自身への呪いを解くしかないのです。 

身の丈の自分を好きになるという自分への呪いを解くことができれば、比較対象の廻りの人達への不満も緩和し存在を承認できるので、

存在に感謝が生まれ優しい贈与の気持ちが生まれて来ます。 

優しさや感謝の贈与を受け取ったとき、人は血の通った

共感の喜びで生きる力が賦活されるという善の循環が起こるのは、

共感のとき『自我の拡大』の喜びを実感するからです。 

『なぜ自分だけが恵まれないのか』と『なぜあいつだけが

恵まれているのか』の答えはたったこれだけのことです。  

現代資本主義的な思考では、恵まれていることがお金の多寡に

なっておりますが、私はお金では決して買うことができない

共生・共感できる人が多くいる人こそが恵まれている人で、

幸せを実感できる毎日こそが生きている意味であり、

それこそが人間の生きる力を賦活していると思っています。 

高度成長からバブル崩壊までの期間に日本人が血肉化した

『お金で買えないものはない』という変質した常識は

もう崩壊し始めています。 

この間違った常識が『お金万能主義』に繋がっただけでなく、

生活のために必要なお金の使用・交換価値の満足を越えて、

ブランド品や高級車や高級住宅を持つという象徴的な価値を

重視する更なる欲望の肥大によってエゴも肥大し、

合法的な搾取の広がりによって格差が拡大してきたのです。

お金より大切なのが健康ですが、他人との比較や収入のための

ストレスや人間関係の悪化が発病率を上げるそうですし

健康に留意し過ぎるのもストレスだそうですので、できるだけ

楽しく機嫌よく暮らすのが自律神経と健康に良いそうです。 

身の丈の自己評価と外部評価の違いに苦しむものには

恋愛感情もありますが、これも巧くくすぐると男の他愛ない

自己肯定感を上げて円滑な恋愛関係に持ち込めます。 

男は女性から『あなたには??の才能があるね』とか

『あなたの顔立ちは私好み』などと言われると非常に脆く

騙されるのは、自己評価以上の外部評価に戸惑いながらも

理想の身の丈に成長していない男の苛立ちを木端微塵に

打ち消してくれる言葉に繋がっているからで、

これは女性に対しても使える魔術だと思います。

夫婦・親子関係でこの手法を駆使している家庭が円満なのは、

それぞれがそれぞれの身の丈を評価し承認されることで

自己肯定感を獲得するからで、反対給付の返礼義務による

贈与感情が自然に相互に起こるために、家庭内に円滑な

循環作用が働くからだと私は思っています。 

自己評価とは外部の評価の承認によって上昇し賦活されるもの

なので、自己評価の低い呪いに苦しむ人達の間違った選択を

止める手立ては、自分で自分にかけた低評価の呪いを

誰かが承認してあげ呪いを解いてあげる積み重ねで、そうすれば

他者を貶めることが蔓延した社会を少しは住み良くできると思います。 人間とは何事においても受動的な要素によって

自己の評価を確認しているもので、仕事も性的官能も愛情も

友情も他者の評価による言動によって自己の存在価値が

評価・確定されているものです。 

仕事ではその仕事内容を他者が見れば『どの程度の人間か』

が判り、性的官能も相手の官能によって自分の官能が賦活されて

おり、愛情や友情もこちらの思いを相手が受け止めてくれて

返礼される感触によって確認され構築されております。 

仕事とは権利であり義務と憲法で規定されており、

収入より社会に必要とされる役割を果たすことに意義があり、

同様に伴侶や子供を持って必要とされる役割への義務と責任が

発生していますが、お互いが相手を必要としなくなると簡単に

壊れるように、自分の存在自体いつも他者の存在という

受動的な要素によって自分の存在が確認されています。 

  他者を貶めるような破壊的な行為は簡単ですが、 

  破壊した人間関係や社会の秩序を再構築するには

  大変な手間と時間と苦労が必要なのですから、

  もう他人と比較することから起こっている邪悪さを自覚して

  自分と他者への呪いから解き放たれるべきです。

  人間の持つ七つの大罪という邪悪なものが自分自身の中にも

  あると認め受け入れないと『自分自身を愛する』ことができず、

  自分を愛することができない人は他者を愛せないという理路は、

  内なる自分との共生が他者との共生に繋がっているからです。