進む心の貧困化。

格差社会とは経済的な問題を基準にしておりますが、

経済的に豊かな人達の中に心理的な貧困を抱えた

心が貧しく卑しい人達が、グローバル資本主義と共に増えてきた

ように感じています。 

階級社会の昔は貧しい農民が豊かな殿様や公家などを

羨むことなど考えもしなかったのですが、西洋思想である

『人間は生まれながらにして自由かつ平等の権利を有する』という

人権宣言の考えが広く普及したことによって、

相対評価による財貨や権力所有の差による心理的な富裕と

貧困の差を自覚する感情が生まれたのだと思います。 

私が行商を始めた頃は高度成長の始まりでしたが、

新興住宅地を訪ね歩いた時に多くの人達が尋ねたのが

隣近所の家財道具の詮索で、この頃から人に有って自分にない

相対的な劣位を意識する感情が蔓延し始めました。 

カラーテレビはあるか大きさは・冷蔵庫は大きいか? などで、

我が家の車は軽自動車だが隣は外車なら隣より我が家は

貧乏だという、何事も相対的な劣位と優位で推し測るように

なったのが近代社会の特徴で、ここから際限のない欲望の

不幸が始まったのだと思います。

私が子供の頃は継ぎ接ぎだらけの服が普通の貧者が多い

時代でしたので、数少ない富裕者は富を誇るのではなく

富に一種の疚しさすら感じていた時代で、関川夏央さんが

『共和的貧しさ』と表現した貧しくても穏やかな時代でした。 

その後私の鮮明な記憶ですが、近所の寿司屋が乗用車を

買ったとき地域の人が大勢集り羨望の眼差しで眺め、

寿司屋の親父と家族は満面の得意顔だったことです。 

この頃から富裕と貧困は所有物に連動した相対的な

優位と劣位として識別する記号になり、富裕者は

富を誇るようになり貧者は貧しさに自己責任的な疚しさを感じる

逆転した時代が始まったように思います。 

近代教育の生まれながらにして平等であるという刷り込みから、

自分には他者にある何かが欠けているというだけで不幸を感じ、

貧しいことは自己責任でもあるという心理的な疾しさを抱えた

貧困意識による不幸に陥る人達が増えたと思います。 

統計による煽り運転をする人は高級車に乗っている人達が

多い理由は、自分は相対的に優位な人間なのだという

優越感意識が強いからで、私はこのような対象相手を

卑下する考えの方が心理的には貧しい人間のように思いますが、財貨や権力所有などの外見的な差による心理的な優劣の風潮が

定着したことが現代社会の諸問題の原因でもあります。 

職業に貴賎はないといっても、一般的には高収入と見られる

職業の人と低収入の職業の人への対応で区別が存在するのは、

多くの人達が損得利害感情を優先していることと、

もう一つは人間の内面を見抜くという『人を見る目の確かさ』

備えていない人達の唯一の尺度がお金になったなのです。 

この経済的な富裕と貧困の問題と、精神的な豊かさと貧しさを

混同しないで捉えないと本当の幸福とは何か? 

は見えてこないと思うのですが、その精神的な豊かさに配慮できない人達こそ実は心理的な貧困に陥っている人達なのです。 

私はひとり身になって台所で洗い物をするたびに、

いつでもお湯が出るだけで豊かさを実感するのは、

私が子供の頃は冷たい水でしたので手はアカギレで

足はシモヤケが普通のことでしたし、トイレで洗浄便座に座るたびに

昔は新聞紙でお尻を拭いていたことを想い出して、

『昔の殿様より良い生活をしている』と実感しいつも感謝しています。 

どんなに豊かになっても『他人にあって自分にないもの』を

考えていたら貧困の意識は際限なく続きますし、中途半端な

プチブルの人ほど意地悪なのは『自分にはあって他者にない』

優越感だけを自尊心の拠り所にしているからです。 

しかし資本主義社会で物を売るという経済活動においては、

自前の欲望に満足する人間が多くては困るので、

人間の限りない欲望を刺激し続けることが求められ、

努力ではなくお金で買える優越感を提示し刺激し続けるのです。 

だから経済的に優位な人や権力や名声を得ている人達を

CMに登場させ、その人達の模倣をさせるように誘導して

商品を売り込むという手法を取っているのですが、

その結果として貧しい者はより貧しく富める者はより富を増やす

という悪循環に繋がっています。 

私も美味しいものを食べたいとか良い肌触りのものを着たいとか

カタログを見てこんな車に乗りたいという欲望はあっても、

実現するだけの甲斐性がなく手に入れられなくても、

『自分は貧しい』という貧困の意識に囚われることがないのは、

欲望とは満たすたびに塩を舐めるように渇きが増す

際限がないものと思っているからです。 

自分の収入と自分の欲望に折り合いをつけて生きること

こそが大切で、私は自分の欲望を実現するために自分の収入を

増やそうという意識が少ない理由は、その収入を増やすことを

実現するために大切な人との時間を犠牲にしたり失ったりすると

思っているからです。 

他人にあって自分にないものを確認して不幸な気持ちになるより、

今自分に備わっている健康や家族や手に届くものに向けて

努力し感謝して生きることの方が自分の人生を愉快に

楽しくできると思っていますし、人間とは何か不足なものを

抱えていないと傲慢になるような気もするからです。 

私は行商から始めて娘が大学を出て数年経過するまでの

約三十年間借財の返済に追われて、預貯金はほぼゼロの

危機感の中でひたすら働いてきましたが、不幸などと

思ったこともなく愛する家族やお客様のために働けること自体に

心の張りと幸福感を感じて過ごしてきました。 

やりがいのある仕事という概念も、最近は自分自身が

金銭的に豊かになることを指しているようですが、

社会に必要とされ役に立っていると思える仕事であることや

家族に必要とされることの方が私にはずーっと重要なものでした。 

高級車に乗り『自分は成功した特別な人間』という不特定多数の

承認を求める選択は自己顕示欲を満足させるのでしょうが、

少数でも自分をかけがえのない必要な人と思ってくれる人

いなければ、その人の人生は寂しく虚しいものと思いますので、

私は社会的な承認より家庭的な承認の方が優先でした。 

こんな状況が長く続いた結果として、ほどほど豊かな人達の

エゴも肥大し続け弱者への配慮や思いやりが欠けた、

全てを自己責任論で弱者を卑下するエゴが肥大した

建前だけの綺麗事で飾る時代になってしまいました。 

格差問題なども単なる収入差だけで捉えるのではなく、

社会を適正に機能させるためには役割に伴う階層化は

必要不可欠なものと認めることで、その役割の差による

収入の差は当然起こってくることなので、階層化と格差は

別問題と区別して考えるべきことです。

しかし昔の階層化のように農民の子は農民のような差別的な

階層社会は終焉し、努力と能力で階層上昇を果たせる社会に

なったはずなのに、現在の格差拡大は貧困と富裕の

連鎖社会になっていることが問題で、それは親の収入と子供の

偏差値が相関している統計にハッキリと出ております。 

問題は癒着やコネと世代間の理不尽な差別的な格差で、

これらは政治的に解消可能なことだったのですが、

失われた三十年間に行われたことは逆でコネと癒着が進み、

富者をより有利にする政策が行われた政治的な不公平を

許し続けたことが一番の問題なのです。 

努力した者と怠けた者を平等に扱うことも差別であることを忘れて

ひたすら不平等を叫ぶのではなく、区別と差別を一緒に論じない

成熟した声も必要なのですが、日本人の生得的な問題点は

悪政による不満に対していつも政治的な行動に反映できない

受動的な体質です。 

コロナ禍でも同じで国家権力に対しては受動的ですが、

弱者には能動的な行動を起こし自己責任を楯に声高に

責めたてる人が多かったのも心の貧しさの現われです。 

この現象は職場にも蔓延しており、相対的優位を求めて

排外主義的なエゴから強者におもねり、その抑圧の矛先を弱者に

向け己の利益誘導を諮っている人達の増加も心の貧困です。 

本当は何事も協力し合って利益を増加させ公平に分配した方が

良い結果を生むと思うのですが、全体の利益を多くすることより

仲間より自分の方が多いという相対的な勝利という優越感の方を

重要視する歪んだ思考が蔓延しているからイジメや

パワハラやセクハラや過労死などで自殺者が減らないのです。 

島国根性まるだしで全体の利益増加より、同じ日本人の中で

同じ社員の中で己が優先的な勝者になることを目指している

人間が増加し続けている歪んだ心症です。 

心の貧困現象の蔓延はクレーマーの増加で、コンビニ経営者が

土下座を受け入れたのは『事なかれ拝金主義』ですが、

クレーマーは土下座によって擬似的な敬意を受け取る社会的な

承認感情を持つからで、ネットの嫌がらせなども努力を

必要としないで承認と達成感を味わうから止められないのです。 

プーチンや阿部元首相のような権力構造も一緒で、

最初は思いつきの無理難題だったのですが受け入れられる

社会状況が続くと、本人は意外にも『これも通るんだ?』という

心境だったと思うのですが、増長し続けても無理が通ったから

強力な権力として機能しているように見える背理があります。 

旧日本軍指導者やヒトラーの権力構造も同じで、

権力とは幻想に支えられているものなので、実は権力者は

幻想消出への不安に怯えているのが実態で、独裁者のスターリン

もヒトラーも晩年は精神を病み睡眠薬の常用者だったそうです。 

心の貧困化が進んだ社会では強者と弱者に片寄るので、

思想的にも極端になり社会の分断化が進むのですが、

日本のように政治に失望した無力感から約半数の人が投票に

行かない状況だから、自民党は旧統一教会・日本会議・財界と

癒着が進み、結果として国民全体の二十五%得票すれば

政権を維持・運営できる構造になっっていたことが、

阿部元首相の強権政治と癒着・コネ社会蔓延による更なる

格差拡大に繋がったのです。 

人間とは悲しいことに『共和的な貧しさ』は共有できても

 『共和的な豊かさ』を共有できない理由は、強欲という心の貧困に

起因しており金銭的・物質的に豊かな人ほど強欲で、

相対評価で幸せを測る思考回路の定着がエゴ肥大に

更なる拍車をかけて心の貧困化が進んだのだと思います。

  自由の実現より平等の実現が難しいのは、平等の実現には

  政府という権力が富を得ている者から取り上げ、貧しい者に

  再分配することでしか実現できないからで、富者からすると

  自分が努力して手に入れた(大概は搾取)富を独占する

  自由を奪われたという被害妄想的な不満感情を持つからです。 

  そこには沢山の協力者によって得たという感謝や、

  沢山の貧者から手に入れた富という思考回路に

  至らないことも心の貧困化が作用していると思います。 

  どんな強者でも老いや病によって必ず肉体的な弱者に到る

  のですが、大部分の人は想像力が貧困なので自分自身が

 身体的弱者になって家族や隣人に薄情されて思い知りますが、

  このような顚末強者の時に天に唾を吐いた天罰なのです。

  私は病で寝たきりの時の夜に涙が自然に流れ枕が濡れても

  拭うこともできませんでしたが、毎夜三カ月ほど続きましたので

  それまでの人生に流した数百倍の涙の量だった思います。

  涙ってこんなに出るんだ? と最後に思えた時に収まりましたが、

  このような肉体的な弱者になった時には、どんなお金持ちでも

  権力者でも貧困でも普通の人でもそれまでの生き方の結果が

  浮き上がってきて良くも悪くも思い知らされます。

  これからも健康であるだけで幸せであると思っているので、 

  今でも痺れが残る足首の辛いリハビリを継続できるのは、

  娘と婿殿の二年間にも及ぶ差し入れのお陰と感謝し続け

  ささやかな恩返しの気持ちで続けています。

  人間とは他人のものを羨んでいるうちは心が病み貧しくなり、

  反対にあるものに感謝し愛する人に贈与する思いやりを持つと、

  人との繋がりの中で絆が深まり豊かな人生になると思っています。

  人を見分ける簡単は方法は、子供や老人のような身体的な弱者

  に対する言葉や行動に出ており、弱者に抑圧・命令的な棘のある

  言葉を使う人は要注意人物と判断して上手に避けることです。