お金の使い方。

買物に出てレジの会計を待っていると、最近はカードで支払う人が

多くなったのを実感しますが、私は親のその買物行為を見て育った

子供達の金銭感覚が成長過程でどのように身に付けられるのか? 少し心配になります。 

昔はお年玉や街のお祭りにお小遣いを貰い、駄菓子屋に行き

その金額の範囲で自分の欲しい物を工夫し選んでいる時に、

自分の所有するお金の使える範囲である『入るを持って出るを

制する』事を無意識に学んでいたような気がするからです。 

今の状態を子供目線で考えると『どこでも何でも買える魔法の

カード』に見えるのではないか? と私には想像され、果たして

どのようにして金銭感覚を身に付け生活の維持を計って行くのか? が老婆心から心配になるのです。 

人間はなまじ収入が有ると奔放な買い物生活をしがちで、

年収一千万以上の人達は預貯金が少なく、年収六百万以下の

人達の方が断然に預貯金が多いのも、やはり限りあるお金への

認識を持つことが『入るを持って出るを制する』ことを学んでいる

からだと思います。 

カードで買物をしてもスマホの家計簿アプリで金銭管理をしている

人もいるのですが、どうしてもどんぶり勘定になりがちな人が

多いのでは? と私自身の経験から推察してしまいます。 

物とお金のやり取りの中で果たしている頭の中の計算は

実は欲望と制御の葛藤をしている場ですので、成長過程の

子供時代に経験すべき大切な事と私は思うのです。 

子供時代の私は物に飢えていたので、お小遣いを貰うと制御できず、いつもアッという間に使い果たしていつも怒られておりました。 

この抑えきれない飢えの経験から学んで働くようになってからは、

自分が本質的に持っている欲望の飢えを一度満たし解消して

からでないと本当に持続できる制御などできないと思ったので、

当時としては贅沢な車に乗り・仕立て背広を着て・美味しい物を

食べ漁っていたので貯金などない独身生活で、給料日前の

財布は常にカラッポ状態になる程で、物欲の飢えをひたすら

満たし続けていました。 

当時は高度成長で給料は毎年上昇しており、独身で会社の

寮生活でしたので財布は空でも朝夕食には困らず、

昼食はツケが効く定食屋があったので妻と結婚する迄の

私の貯金は驚くほど少額でした。 

しかし内心ではこんな生活は長く続かないと思っていたので、

結婚した時から妻に給料を全額渡し小遣いを貰う生活にした

のですが、妻との生活で満たされ精神的な飢えが満たされた

せいなのか? 物欲が減少し始めました。 

振り返って思うのですが、自我の強い私が自我を抑制する

傾向の強い妻との生活の中で、の情緒が安定し始めたことが

一番の要素で、子供が母親の愛に飢え満たされない反動で駄々

をこねていたような精神状態を物欲で消化していたのだと思います。 私が沢山の人達の生き方を見てきて、お金の使い方には

このような内面の人間性が反映されていると思います。

いくら高額な収入を得ても信頼できる絆を自覚できるような人を

持てない人は、無自覚な不安と不満による衝動買いの波に呑まれ

刹那的な消費による物欲の満足を求め続けるような気がします。 

前に書いた邪悪さの克服も『悪い事を知って悪い事をしない

人間になる』のと同様に、お金の正しい使い方も間違った使い方を

して失敗しないと本当に正しいお金の価値を生かした使い方は

身に付かないのでは? と思い至りました。

私は時折孫達二人だけでコンビニや近くのスーパーに好きな

お菓子などを買いに行かせますが、店員さんとの会話の練習を

してから行かせて私は外で待っているのですが、最近は上手く

出来て自信をつけていますがもう少し成長したら五百円で

買えるだけ買っていいよと告げ、頭の計算と欲望の制御の

葛藤をさせたいと思っています。 

娘を育てる時もいつもこのような事を意識していましたが、

特に高校生頃からお金の使い方を勉強させるために決して

干渉するような囲い込みを慎み退路を絶って追い込むことを

避け失敗への逃げ道を用意してあげるように心掛けていました。 

洋服の買物などもお金を与え自分で選ばせ節約分は

娘の小遣いとして与える中で、着合わせまで考慮できない沢山の

失敗から学ぶことが社会人になる頃に生きると思っていました。 

大学受験の時には、受験料の振込みや受験のための日程から

旅行会社との交渉も全て娘自身にさせ、その支払いも全額を

娘に現金で渡して振込みも旅行会社への支払いも全て

娘自身にさせました。 

最初は不安そうでしたが、このことで受験によってどれほどの

お金がかかるのか? が一番の学習で、このような一連の

経験から受験への覚悟を知ったのか? ホテルは乾燥するので

風邪対策に寝る時には濡れタオルを何枚か掛けて寝るなど、

全ての物事を自分で予測して対策を考えるようになりました。 

しかしこれまでもその後も金銭的な失敗は沢山ありましたが、

若いうちの失敗のほうが怪我の傷は浅いので責めることは慎み

『またひとつ失敗から学び利口になったね』と褒めるように

努め、同じ失敗を重ねた時は学んでないね! と軽くあざ笑い

やり過ごしていました。 

私は何事も矛盾にこそ真理があると思っていて、

お金も放蕩と節約の両方を経験することこそが真のお金への

理解に繋がると思っているのですが、いつかテレビで

明石家さんまが急速に成り上がった若手芸人の贅沢放題の話を

聞き『今のうちに調子に乗っとけ』と言ったのが真理を突いた

深い含蓄のある言葉と思ったことがありました。 

人生は一度きりで山もあれば谷もあり、どちらの景色も見られた

だけで幸せな事と思うことができると、後の人生で落ちぶれても

意外と僻まず生きて行けます。 

成り上がり放蕩を続けても学べない人は谷を知らないからで、

一般には谷を知らない人を幸運のように思いますが、

私はそのような人は明石家さんまのような助言もできない

未成熟な人だと思いますので、きっと人間的な繋がりにおいては

寂しい人生を歩むのではないか? と思っています。 

お金においても人間関係においても様々な葛藤を通じて

人間は少しずつ成熟して行くもので、お金の使い方には

弱き者や恵まれない人への心遣いができるという人間としての

成熟度が必ず表出していると私は思っています。 

私も結婚し子供を持ち責任が増加するにつれてお金の大切さと

我慢を学びましたが、自分自身の欲望を抑えても妻や娘の

欲しい物を与える喜びは自己満足でしたが、自分自身が

そのようにできたのは調子に乗れると時に調子に乗った

記憶が実感としてあったからだと思います。 

お金の使い方で大切なことは長期的な視点で俯瞰した使用

考える事の例ですが、娘が大学受験の三ヵ月前に小論文で

行き詰まり泣いていると妻に呼ばれた時、仕事をしていた

夜の十一時頃でしたので『小論文の参考書を持ってきて、

明日の学校に備え寝なさい』と告げ寝かせました。 

その後夜の仕事を止めて妻も寝かせ、私は朝まで二~三冊の

参考書全てを読み翌日店を開けてから一番良いと思った

樋口裕一氏著の出版社に電話をして著者の連絡先を聞きました。 

事情を告げると樋口氏は白藍塾という小論文教室を開設している

からと塾の電話番号を教えてくれたので、電話し事情を言うと

樋口氏本人が出て『残り三ヵ月では無理で有名大学受験の

子供は高校生になると始めている』と言われました。 

無理を承知でお願いしたら慶応対応の課題資料と添削三回で

十六万円ならと承諾してくれたので、その日に帰宅した娘に

『やってみるかい』と言うと『そんなにお金がかかるの?』と

遠慮したので、あなたは中学・高校も塾には行っておらず

『落ちて浪人するより安いのでは』と言ったら喜び了承しました。 

届いた資料で勉強し一回目の赤ペン添削が届き読んだ後に

私の所に来て『すごいよ、これで受かる』と言うので、

私も添削内容を読み感心させられました。 

たった三回の添削で十六万円の価値判断は人それぞれですが、

私は単純に考えて浪人して再度受験する費用のことを思えば

安いと思っていました。 

娘が大学を卒業し何年か後に樋口氏が講演で札幌に訪れ

娘のホテルに来た時に上司が娘の話をしたら、娘を覚えていて

会いたいと呼ばれた時には三回の添削内容と娘が受験した時の

小論文の課題内容までも覚えていたそうです。 

一般的に人は無形のものへの価値より贅沢品などへの消費に

価値を置きがちですが、私は嬉しいとか楽しいとかのような

達成感を伴う無形の心を豊かにするものへの価値を優先

すべきといつも思っています。 

私自身は有名大学合格が未来の保証になるとは思っておらず、

目標を持って達成する中で得たものが未来の生きる力に

繋がると思っており、何でもいいから娘が元気で楽しそうに

暮してくれることが私と妻の喜びで幸せだと今でも思っています。 

最近は企業も個人も短期的な利益を求める傾向がありますが、

目の前の少しのお金を惜しんで後悔するほどの損に繋がった

経験は誰でもきっとあると思います。

 人生の岐路においては大局を見て惜しまずお金を使う

 度胸も大切で、人生を俯瞰した未来への投資を決断することが

 心を豊かにするための生きたお金の使い方と思っています。 

 人間は成長するほどに物欲の金額が上昇しますので、

 幼少期からある程度物欲を満たしたという喜びの記憶があると

 以後の衝動に耐えられますし、親や誰かの愛情に満たされた

 という確かな記憶がある人は僻みや妬みの感情が少なくなるのは、

 現在の意識の世界を包み込んでいる過去の記憶である無意識の

 領域が満たされていると、卑しい醜い行動を抑制できること

 繋がっているのと同じではないか? と私は思っています。 

 どれだけの収入が有るか? などよりどのようなお金の使い方を

 しているか? が人間性を現しており、その人間性こそが

 その人の人生を豊かにも貧しくもしていると思います。

 孫達が私の所に遊びに来ている時、気の置けないお客様に

 了承を頂きお姉ちゃんにレジを打たせ、 お釣りを

 『ありがとうございました』 と言って渡させるのも、

 お金がどのようにして入っているのか? を楽しみながら

 皮膚感覚で身に付けて欲しいとの思いからです。

 生きるための大切な手段としてのお金の出入りを学ぶことは、

 どのように使うのか? に通じているような気がしています。

  私のように老いて欲望が減少して思うことは、社会的相対評価

 を上げることにお金を消費することの喜びよりも、日常の中で

 五感に染みわたる自分だけの喜びに消費することの方が、

 寂しさが癒され少しは心豊かな気持ちになるように思います。