遠藤周作の生活ではなく人生を!

少し長いブログになりますが、遠藤周作氏の未発表原稿である

『影に対して』が二十五年ぶりに発見され発刊されましたことに

触れて書いてみたいと思います。

私は小説をほとんど読まないのですが、エッセイなどで遠藤氏が

口癖のように『生活ではなく人生を』と言っており、NHK・BSの

特集番組『封印された原稿』を見つけたので録画し見ました。 

私は人間とは何者なのか? に興味があるので、読む本は心理学・

歴史人物・思想・科学と偏っているのですが、遠藤氏がこの作品を

何故封印したのか? その背景と心理を知りたくての録画でした。 

取材から確認できた作品内容は私小説の純文学で、

書いた時期は遠藤氏デビュー後に肺結核で肋骨七本と

片方の肺を取った二年半の闘病生活後のものと判明しました。 

主人公は売れない作家になっていますが遠藤氏自身で、

公務員のような安定した生活が一番と公言するみみっちい

利己主義の父を軽蔑して育っており、対照的に母は

バイオリンに人生をかけた音楽に生きる人でしたので、

不和から両親は争いが絶えず子供時代は耳を塞ぎ耐えて

過ごしたそうですが、その両親は遠藤氏が十歳の時に離婚しました。 

その後父はすぐ再婚し遠藤氏は義母と過ごしましたが、

母は貧しいアパート暮らしで遠藤氏が三十歳の時に母の

孤独死の知らせを受け駆けつけたときに撮った死後の写真が

書斎の本に挟まり見つかりましたが、二度と見るのをはばかるほど

苦しげに顔が歪んでいたそうです。 

遠藤氏の兄は幼少期優秀でしたが、遠藤氏は対照的に劣等生

だったので父は兄を可愛がりましたが、母は成績より遠藤氏の

文章能力を評価し小説家になりなさいと励ましてくれたそうです。 

このような経緯の中で母を見捨て再婚した父の生き方への

反逆が憎しみに繋がって父とは疎遠な関係でした。

ある時軽井沢で弟子の人と散歩中に父・義母とすれ違った

ときも露骨に顔を背けたそうです。 

この小説の中で離婚した母からの手紙として書いているのが

遠藤氏の気持ちですが、内容は安定した生活の

アスファルトの道は安全だけど振り向き後ろを見ても

足跡なんか残っていない、しかし歩きにくいが砂浜の道には

足跡がクッキリ残っているあなたも志の高い足跡を残すような

人生を歩んで欲しいと結んであるのです。 

安寧な生活をひたすら求め生きた父と、生活ではなく

志の高い人生を生きた母を見て育ち、安寧な生活を求め

母を見捨てた父への憎しみを抱えながら、作家という安寧とは

真逆の不安と戦う自由業を選択した自らを肯定したかったのが

肺結核前までの遠藤氏の人生だったと思います。

しかし遠藤氏はこの封印された原稿『影に対して』とほぼ同時期に、

『沈黙』も書き発刊しており、どちらも病気回復後に書かれている

ことに遠藤氏の心理的な変化が伺い知れます。 

それは約二年半に及ぶ闘病生活の間は作家としての収入もなく、

文壇からも忘れ去られるのではないか? という生活への不安に

襲われたと推察され、軽蔑していた父の求めた安寧な生活の

大切さと共に人間が本質的に持つ弱さを味わった経験

『沈黙』と『影に対して』を生んでいたのです。 

どちらも醜いほどの人間の弱さを描いているのですが、

この頃から生活の大切さを思い知り人間の弱さを許すことの

大切さを学び挑んだ作品だったのだと思います。 

しかし『沈黙』はキリシタン布教を描いた小説ですが、

『影に対して』はほぼ実体験の私小説ですので生存中の

父や義母や兄への遠慮もあったから、清書も済み出版できる

原稿だったのですが封印したのだと推量されました。 

遠藤氏の長男も出演しており現在はフジテレビジョンの副会長を

しており、原稿を読み二十五年の経過を経て父や義母も

死去しているので、父の作家としての立場を尊重し出版を

決意したと述べていました。 

フジテレビジョン就職時には父からお前は『安全なアスファルトの

道を行くが足跡なんか残らないぞ』と言われたそうですが、

後年遠藤氏に『アスファルトの道は心地良いですが、

お父さんが嗅いだことのない排気ガスを吸っています

と言ったら苦笑していたそうです。 

私も六年ほど東京でトヨタに勤め当時としては給与も良く

過ごしましたが、退職した理由は尊敬できない上司の指示に従う

という排気ガスを吸うのが嫌で重役に抗議したら、

一生排気ガスを吸うのが我慢できないとサラリーマンは

勤まらないと担当重役に言われ、上司を告発するようなお前は

必ずハシゴを外される、今の年齢のお前になら何か出来ると

勧められたことが私の自営業への転身理由だったのです。 

この録画番組を見て思ったのは、私も遠藤氏と同様に

父を軽蔑して育ち家族よりも自分の立場を優先する

父の男としてのあり方を四十歳位まで蔑み続けておりました。 

私自身も遠藤氏同様に幼少期は成績が悪かったので、

父の期待もなく扱われておりましたが、私自身への理不尽な

ことは軽蔑で済み憎しみまでは行きませんでしたが、

私が三十八歳頃に今の店舗を持ち一年ほど経過した頃、

父の自己保身優先のエゴで兄達家族を追い出した時の

様々な醜い所業には深い憎しみを覚えました。 

その時に私は兄夫婦に厳しい言葉で改心を迫り、自分達の不徳を

父に謝罪し許しを請えば援助しますと勧め、兄夫婦が謝罪を決意し

実行したのですが父は私への嫉妬もあり平然と見捨てたのです。 

その後父は私が毎月援助していたお金を断りに来て、

その代わりに私に無理難題を押し付けたのですが、

その実現には今の店舗の借財の他に千二百万円ほどの

借財を背負わなければなりませんでしたが了承しました。

父との沢山の嫌な記憶は忘れることが一番の薬なので

書きませんが、父は老後の自分の生活の安寧を兄に期待し

サラリーマンを辞めさせてまで家業を継がせたのですが、

期待に反した兄を見捨て再起の道を閉ざした上に、自分の老後の

期待を別の子供に乗り換えた所業が私には許せませんでした。

私は父に無理難題を受け入れる代わりに、息子からですが

『あなたを勘当するので、今後は逢っても他人ですから』

引導を渡しました。

その時も父は醜い言葉を吐きましたが、私はその時に

年間総売上の三倍近くの借財を背負いましたので、

以後十八年間自転車操業が続き三度破綻の危機がありました。

一般の住宅ローンと違い自営業は潰れるリスクが高いので

借財返済期限は長くても十八年なので毎月の支払金額が

一般の住宅ローンの倍の月額支払いになるのです。

大変な時には取引先への支払いに困り車を売り節約しましたが、

その間の配達なども夏は妻の自転車で、冬はそりに商品を

乗せて行いましたが若さゆえにできた懐かしい想い出です。

私の危機は親によるものでしたが、その危機を救ってくれたのは

三度とも他人の取引銀行の支店長達でしたが、父を勘当した

七年後に父がまた子供と問題を起こし転居すると伯父から

知らせがあったので、熟慮し父を許す承諾を妻に求めました。

その時まで決して異論を挟まなかった妻が『お父さんがこんなに

辛い思いをしてきたのに私は嫌です』と泣きながら訴えたので、

お母さんが嫌なら明日引越しを手伝いに行かないからと

諭し寝たのですが、翌朝寝坊の妻が早起きをして化粧を

していたので『行っていいの?』と聞くと小さく頷きました。 

私が父を許す決意をしたのは金銭的・精神的な迷惑にも、

妻は私の両親の悪口や愚痴を決して言わずに私を信頼してくれ、

娘と三人の生活が本当に幸せだった事と、人を憎み続ける

ことはその憎んだ場所で人生が止まるとの思いが理由でした。 

私は妻と結婚してから初めて生まれてきて良かったと思うように

なっていたのですが、許した最大の理由は『あんな父でも、

いなかったら私は生まれず妻との生活がなかったから』との

思いだったからですが、後日それが嬉しかったと言ってくれました。

兄にはその後何度か援助しましたが傷口は深く、その後離婚し

子供達二人にも見捨てられたことを知り行方だけは? と思い、

調理師の資格を持ち住む所もない状態だったことから推察し、

きっと最後にいた旭川から近くの山奥のホテルか旅館の

住み込みで働いているだろうと思い、定休日に妻と母を遊びに

連れて行った温泉で早めにあがって聞き続け、富良野で所在を

確認しましたが兄に甘え心を起こさせてはと推察し、

ここで情けをかけては駄目と思い会わずに帰宅しました。

私の兄の不甲斐なさや遠藤氏の母がバイオリンに生き

妻と母の役割を果たさなかった罪が二人に有ったとしても、

自分の立場と生活を優先し家族を裏切るような行為は、

人間が持つ本質的な弱さをたとえ認めたとしても

人として許せない行為だと私は今も思っています。 

私の兄の弱さは父にも原因があり、老後の世話を期待し

兄には全ての面で甘く育てたことが兄を堪え性なくしたのです。

また人間の繋がりとは利害を超えたものでないと長続きせず、

当事者の利害が一致している時は良いのですが、

利害で結び付いた関係は利害の不一致で必ず破綻します。 

子育ての要諦は『鉄は熱いうちに打て』の言葉通り、

子供にある程度の葛藤を強いて、じっと見守るだけの

薄情の情けを忘れてはいけないことで、甘やかすことは

愛情などではなく真の深い愛情とは厳しさが伴う子供への

薄情に親が耐えるという深い思慮が必要だと思います。 

打たれ強く育てれば人生の岐路で人としてのやせ我慢が

できるようになり、苦しいときに逃げずに見栄を張る積み重ねが

地力をつけることにも繋がり、弱さを少しずつ克服して

しなやかな強さに変え心優しい人間になって行くのです。 

醜い自己保身行動を取る人は臆病な犬のように吠え続け

威張りますが、実は自分に自信が持てない人で甘やかされ

育った不運もある可愛そうな人でもあるのです。

 サラリーマンと自営業の両方を経験して不安と闘う度合いは

 自由・自営業だ思いますが、生活への不安と闘い続けた

 十八年間の中で血の気が引くような不安に怖われた時には、

 いつもサミュエルウルマンの『小心さを圧倒する勇気と、易きに

 つこうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない』の

 言葉を励みにして痩せ我慢を続けました。

 しかし捨てる神がいれば拾う神もおり、不利な状況でも

 道義的に正しい選択をしていると、いつも誰かが見ていて

 認めてくれ手を差し伸べてくれましたし、いつも妻は私のその

 選択を『見栄張る君』と笑い認めてくれたことが私の支えでした。

 一人身になった今は私が病気で約一年も閉店していたのに、

 再開後にはほとんどの固定客のお客様達が再来店してくれ、

 まだ社会から必要とされている喜びも私の心強い支えです。

 人生において誰もが弱き者や恵まれない者に出会うのですが、

 そんな時にこそ人間の本質が溢れ出してくるような気がします。

 私がお世話になった方のシベリア捕虜収容所内の醜い人間の

 所業をお聞きした話ですが、日頃偉そうにしていた上官達が

 食料を奪い合う状況を見ていた二等兵の若者が、上官達を蔑む

 ように『可愛そうに』と言って自分は餓死して行ったそうです。

 普段誰でも口では立派なことは言えるのですが、追いつめられた

 ときに取る実際の行動は別な人が多く、特に利害関係を巡る

 ときに自己保身を計るかどうか? に本性が出ています。

 日頃偉そうに話している人が賄賂を貰っていた報道のように

 お金持ちほど強欲ですが、誰でも生活に直結するお金が絡んだ

 損得勘定時に人間の本性が剥き出しになって溢れ出るから、

 財産相続問題が起こると大概の親族がもめるのです。   

 私は父に対してもそうでしたが、どんな場合においても

 相手の欲が垣間見えて、この人と議論しても無駄と判断したら

 どんなに損をしても譲る見栄を張る癖があります。

その理由はお金を巡る論理でたとえ私が正しくても、意地を張る

ことが相手と同じ次元に成り下がることに繋がっているからで、

その後の人生にその思いを引きずって生きるのが嫌だからです。

譲られた方は金銭的には得したようですが内心では判っており、

長い人生のその後において人間的な損をすると思っています。

こんな私の行動が金銭的に余裕があるからと誤解されますが、

ほとんどが父の時と同様に借財を背負って果たして来ており、

妻が心配し『お金は大丈夫なの?』と聞かれたときの答えは

『お金は銀行に一杯あるよ』でした。

お金は妻を口説いた時と同じ熱意で信頼を勝ち取れば

手に入るのですが、返済は本当に長く苦しい道のりでした。

格差社会が進んで損得勘定が優先される時代ですが、

私は一時的に利を得るよりも継続してじてくれる協力

得た者の方が利が多いから『ける』という漢字になっている

と理解しており、特に仕事は人を相手にするものですので

信者を持てない人の仕事や商いは繁栄しても続かず、たとえ

続いてもそこに相互の心豊かな人間関係は存在しないので

やはり寂しいものだと思います。

過去の生き方が信用を生み困窮時に手を差し伸べてくれる

人がいる幸運に繋がるように、他人同士の夫婦でも親子より強い

絆で結ばれることが家族にせをび人生を豊かにします。

お互いを信じ合えない愛なき夫婦では暗闇の人生です。

遠藤氏の祖父が九十歳を過ぎて老人病院にいることが判り、

気まずさから息子さんを誘い逢いに行き何も言わず祖父の手を

握り別れた後に、ポツリと『もういいんじゃないかな』と漏らした

のが相克の和解の言葉でしたと息子さんが述べていました。

男の人生とは自分に合ったスタイルの仕事を見つけるための

格闘最後に言っていたのですが、その通りだとも思いました。

私は志など高くなくても『生活の中にも人生はある』と思っており、

老いて肉体的な弱者を迎えた時に自分がどう生きたのか?

は否応なく回顧させられるもので、人生の数多くの選択の

正しさも過ちも自分自身を欺くことはできないと思っております。

誰の人生にもその人なりの足跡は必ず残っており、

死後伴侶や子供や孫などに良くも悪くもその人の人間性が

足跡として記憶に残り、砂浜の足跡が打ち寄せる波で

消えるように、その記憶を持つ人達がいなくなった時に

人間は二度目の本当の死を迎え足跡が消え去る

私自身は思っております。