人生は堂々巡り。

歳を重ねたせいか? 最近ニュース報道を見ていると、人間とは

究極的には同じ事を繰り返す堂々巡りをしているのだなあーと

思うことが多くなりました。 

権力闘争や金儲けに奔走したり恋に狂ったりするのですが、

これらは人間の本能として脳幹に組み込まれてしまった

生き物としての性なのだと思います。 

しかし私は『人間は考える葦である』と言うように、

進化の過程で本能すら抑制できる前頭葉が異常に発達した

理性的な動物でもあるとも思いたいのですが、戦争も含めて

愚かな同じことを繰り返している虚しさを思い知らされます。 

人間の長い歴史のほとんどが殺し合いによる権力闘争ですが、

権力を手に入れると一般の人より豊かな生活をできることや、

優越感や征服感というの自己満足が根幹の動機としてある事と、

食料やお金の蓄財のように溜め込み独占・占有できることが

人間の限りない欲望の肥大に繋がっているのです。

人間以外の動物は生きるため最小限の水と食料だけを求め

テリトリーを守り維持することに最大の違いがあります。 

私は三十代頃から現代人は『昔の殿様より豊かな生活をしている』

思うようになり、他者と比較して幸せを測るような衝動や欲望に

無意味さを感じながら生きて来ました。 

生きる事に意味はないと思っていますが、およそ一億の精子の

中のひとつが卵子と結び付き誕生したのですから

生まれてきただけでも奇跡なので、生きている限り愛する人や

社会に必要とされるように過ごしたいと願って精一杯働き

続けたいと私は思っております。 

ニュースでアメリカや日本のお金持ちが宇宙に行った報道を

見て思うことは、高額なお金を自己顕示欲に使うより

アフリカなどの後進国にコロナワクチンを贈ることに使う方が

社会から尊敬され意義が有るのではないか? 

と思ってしまいます。

それは昔の権力者や今のお金持ちの所有している財産は、

庶民や社員の労働によってもたらされたもので、

自分ひとりの労働によって得たものではないと思うからです。 

BSのNHKで『欲望の資本主義』という番組が時折

放映されますが、資本主義による欲望の限りない肥大化の

数々の問題点が経済学者や哲学者への取材で指摘され、

地球環境も含めた格差の縮小が議論されますが、

自由と平等の視点からあるべき社会と国家のありかたを

見聞きするたびに、現在を生きている者が果たすべき

未来の人達への責任を考えさせられます。 

人は何を手に入れても死は宿命として待っており、

私は何を得たか? よりどう生きたか? の方が重要

なのではないか? 私は思っていますが、

現代社会では所詮負け犬の遠吠えに過ぎないようです。 

私はいつも余裕のない少し不安を抱えた生活の緊張感が

大切と思っておりますが、それは沢山のお客様の人生を見てきて

ある時期からお金は少し足りないくらいの方が懸命に生き

幸せに繋がっているのでは? と思うようになったからです。 

宇宙旅行も高級車も豪邸も自己顕示欲の象徴みたいなもので、

世帯主が贅沢をしている姿を見ている家族には

贅沢が当然に映りますが、家族のために懸命に働く

親の姿から学ぶような絆は弱くなるような気がするからです。 

しかし私は人間の欲望や欲求を否定しているのではなく、

欲望や欲求こそが人間の文明や文化の発展にとって

欠かせないものだとも思っていますが、重要なことは

何かを手に入れるためにはいつも何かを手放し犠牲にする

覚悟が必要ではないか? と言いたいのです。 

文明が未発達の頃に人間の力ではどうしようもない事態に

遭遇した時に、神への貢物をして祈りを捧げたような

土着文化と一緒で、何かを得るためには何かを犠牲にしないと

必ず後悔みたいなものが襲ってくると思うのです。 

たとえば有名人になりたい欲求で努力して手に入れると、

何処へ行っても自分がまるで『人寄せパンダ』になったみたいに

好奇心の強い人達に囲まれる不自由さが待っています。 

お金を持つとお金目当ての人達が近寄ってきますので、

果たして誰が自分自身の人間性そのものへの愛着を

持ってくれているのか? 見分けが付かなくなります。 

才能なども片寄っている方が方向性は明確になるのですが、

マルチな才能を持っていると果たしてどの道を選ぶか? 

で悩み、選択後の道で上手く行かなかった時には

後悔したりもすると思います。 

才能などは親指と一緒で長さを失った分だけ力が強いように、

何かが欠けていることが飛び抜けた才能に繋がっているもの

だからです。 

決断はたとえ上手く行かなくともこの道! と思えるものを

選択することなのですが、全ては堂々巡りでどの道を選んでも

得たものと失ったものが入れ替わっているだけで、

必ず人は何かを得ると何かを失うことが宿命として

背負うように出来ています。 

豊かになることは便利になることですが、そのために

運動が減ったので成人病などが増えました。 

最新科学では筋肉を使う運動によって筋肉から

エクソソームというカプセルの中に様々なメッセージ物質が

入った物質が放出されて、脳に届くとマイオカインという

ホルモン物質が欝を予防し、その他のホルモン物質が糖尿病や

大腸癌や肥満などを抑制し記憶力が増強するそうで、

このエクソソームは最近まで細胞のゴミ箱のように思われて

おりましたが、実は健康維持の宝箱だったことが判明しています。 

運動して汗をかいた後の爽快感から鬱予防も頷けると思いますが、

運動しないで筋肉を使わないと脳の新しい神経細胞も減少

するそうで、脳と筋肉が連動して起こる脊髄反射によって

転ばず歩行することにも繋がっています。 

最新科学で筋肉はこのような働きによる生命維持装置の

働きをしているのは、『生きることは動くこと』の宿命に対応して

進化してきた結果だからで、楽をして動かず贅沢をすると

病気になり病気になるとリハビリで運動を強いられるという

堂々巡りが待っています。

骨が脆くなるのも骨への刺激が少ないためで、

飛び跳ねる運動を行うと骨を作る骨芽細胞が刺激され

活性化し骨密度が上昇するそうですが、骨を作る骨芽細胞から

放出されるエクソソームには免疫力・記憶力・筋力・精力などを

高める指令物質が含まれ脳に届くと上昇するそうですので、

豊かさなども本当は程ほどの方が健康のためには良いのです。 

人間の健康は様々な臓器から放出されるエクソソームに

内蔵されたメッセージ物質の指令によってバランスが維持

されているそうですが、このシステム構築は不便な生活の中で

体を動かすことを前提に対応し進化し構築されてきたのです。 

肉食が早かった欧米人の膵臓が日本人より大きいのは

肉を消化するための環境対応で、魚や葉野菜中心の

日本人の膵臓が欧米人並の大きさになるには、

肉食習慣から三世代の経過を待たないと対応し肥大できない

から急激に日本人の膵臓癌が増えているのです。 

人間の身体は環境の変化に対応して進化してきたのですが、

現代文明の進化が急激過ぎたことで成人病や鬱病など

精神疾患を生んでいるのも便利さを得て健康を失うように、

得るものと失うものが文明の進化と共に入れ替わっているだけ

全ては堂々巡りなのではないか? とも思います。

 人類の歴史は戦争の歴史でも有りますが、現在ロシアが

 ウクライナに侵攻し緊迫しているのも、NATO拡大による

 ロシア・プーチン大統領の孤立感が軍事的な過激行動を助長

 しているのですが、クリミヤ併合への侵攻時と同じやり方を

 繰り返しているのです。

 プーチン大統領は国内の民主化圧力とNATOなど西側陣営

 拡大圧力など、国内・国外ともに追詰められた孤立化によって

 精神病では一番凶暴になる分裂病(自分の行っている泥棒政治

 の心の中を判られることを恐れる)状態になっているのでは?

 と想像しています。 

 日本の敗戦で終わった太平洋戦争なども国際的な孤立に

 追い込まれた為でしたが、人間は孤立感に襲われると

 病弱な者は躁鬱病(自分の気持ちなど誰にも判らないと固守

 るので完治が難しい)に、反対に肉体が強固な者は無差別殺傷に

 走り凶暴化するのだと思います。

 ちなみに一番軽い神経症は自分の気持ちを判って欲しい病で、

 人間が基本的に持つ承認欲求です。

 日本の敗戦もそうでしたが国民が自国指導者の選択を間違うと

 その国民には悲惨な危機が必ず訪れます。 

 人間は社会的な生き物で、この社会性が群れを作り覇権を争う

 行動を生むからイジメや戦争が起こるのですが、

 これも学校や会社組織や国家間においても延々と続く

 堂々巡りなのではないか? と思います。 

 中国の覇権主義も経済成長による軍事力の拡大が背景にあり、

 人間は力を持つと群れの拡大化と凶暴化に走る傾向がある

 のも本能的のような気がしています。 

 たとえ言葉や文化が違っていても人間としての喜怒哀楽は

 共通しているのですが、個人間や国家間においても

 文化的な違和感の方が表面に出易く、その違和感を刺激し

 国民を煽動することが政治家の権力維持には安易で好都合

 だから堂々巡りの戦争が続いたのだと思います。 

 人生の堂々巡りからの脱却方法は、肉体的には骨身を惜しまず

 身体を動かし、精神的には何かを望むなら何か犠牲を払う事で、

 犠牲が嫌なら動物のように最低限の欲望に制限することです。 

 私は裕福な人などよりも、たとえ人より能力が劣っていても

 能力の勝る人を妬まず羨まず素直に敬意を払い、

 その人なりに誠実に精一杯生き続けている人こそが

 堂々巡りから抜け出している人生の勝者だと思っております。