下手に出る技術と色気が必要な時。

日韓や米中間の経済・外交の摩擦問題は、近所や友人の関係と同様にそれぞれの未来への利害関係で現在起こっているのと、過去における根深い歴史的な怨念が背景にあって起こっているかのどちらかで、このような問題の外交交渉には、幼少期に複雑な家庭環境で葛藤を抱えて育ちながらも理性で克服したような人が最適です。 

最近の外交は経済封鎖とか核ミサイル保持という『力が正義』の幼稚なゴリ押し外交で、強者によるより弱者へのイジメ外交だから、弱者の怨念によってテロと辺境紛争が絶えないのです。 

私が書くことは人間生活における些細な出来事における人間心理が多いのは、この些細な人間心理の理解こそが夫婦や親子関係を作り上げる基礎で、その人間理解こそが会社や学校など社会に広がり、その心の機微が外交交渉における摩擦を和らげることにも必ず通じているからです。 

最近の日韓関係の問題は、ヤクザの親分(米国)子分(日本・韓国)と同じで、同じ子分でも今は同格と思っている韓国が日本への過去の恨みを持ち出し、優位に立って未来の利益に繋げ自国民衆の支持を集めたいという政治的な意図が背景にあります。 

しかし日本の韓国(この時は軍事政権)への過去の清算を諦めさせたのは親分である米国だった歴史的な事実を米国の現政権は知らぬふりをしているので、韓国は過去を持ち出し親分には言えない不満を同等に近づいた日本には言えるから、現在の韓国の経済や内政問題の不手際を外交問題で民衆の目を眩ませる政権維持政策でもあります。

日本も米国の言いなりになっている腹いせを、優位に立っていると思っている韓国に向けて意地悪しているようなもので、子分同士の醜い内輪揉めですが中国につけ込む隙を与えるという危機を孕んでいます。 

夫婦関係がこじれた夫が外で浮気をしてより一層こじれたようなもので、妻は非難していますが夫はこの心理状態に追い込んだ妻の過去を責めているようなもので、そこに何事にも口を挟んでいた実家(米国)がしゃしゃり出て治めた防衛問題ですが、お互いの不満は抑圧したままなので未来への火種は抱え続けたままです。 

これ以外にも複雑な要素と思惑が絡んでおりますが、国家間でも個人の人間関係でも利害を越えた友好関係もあり、米中関係のように利害が怨念にまで発展するのも、お互いが強気一辺倒で下出に出られない関係の中で作り上げた怨念です。 

一般的には日常の積み重ねが人間関係を作っており、その関係性が作用して個人の未来の軋轢や安寧に繋がり、軋轢から生むものと安寧から生まれるものの違いは時間が経過するほど拡大し明確な違いとなって現われて怨念にまで発展し戦争になったのです。 

国家と違い人間に老いと死だけは平等に訪れますので、老いを迎え体が不自由になった終末期は権力も財産も無力化しますから、その人の生き様の結果は周囲の人達の接し方に明確に現われます。 

人間とは生きている限り『認められたい』という衝動に囚われる動物で、これは子供でも大人でも死まで持ち続ける病みたいなものですが、老いを迎え弱者になった時に周りからどう対処されるか? がどう生きたか? と繋がっています。

認められたい衝動は自尊心という自らを維持するために欠かせないものをくすぐるからで、先日読んだ『天才に尽くした女たち』という本で天才達の私生活部分を読むと、名声やお金を持つ男の妻になることが女性の自尊心をくすぐり、その男に従うことが学問や芸術への奉仕と錯覚しておりましたが、ほとんどの女性が不幸な人生に繋がっていました。 

モーツアルト・ゲーテ・アインシュタイン・ワーグナー・マーラなどで、唯一マーラの妻だけが長い忍耐が報われたのかな? と思える内容でした。 

この天才達も夢中になった分野においては、『認められたい』という自尊心を満たしてくれたから夢中になったのですが、認められたことで次第に傲慢になって妻を不幸にしていました。 

しかし一般的な凡人でこの『認められたい』という自尊心を満たすものがない不幸な人達は、日常生活でお金を使う時に尊大になってクレーマーになったり、学校や家庭や職場で弱者へのイジメや虐待やパワハラしたりなどを無意識にしています。 

しかし多くの人達は認められないことを認めると自己嫌悪に陥るので、『考えない』ようにするためにスマホゲームやカラオケやパチンコなどで思考停止して時間を潰しているのが実情だから、その時間潰しの産業が巨大化している時代になったと私は思っています。 

人間の『認められたい』という欲望の内容は男と女では違い、男は外の世界に向って行きますが女性は内向きで夫や子供や同性のような身近な人達に求めていたのが過去の時代だったと思います。 

現代は女性も外の世界に向って自己実現を求める時代になっているので、自分の子供は欲しいが面倒な結婚はしなくても良いという人達などが出たり、虚栄の自己実現では埋められない寂しさから結婚相談所や婚活サイトが盛んになったりしていますが、どこへ逃げても結局贈与を伴う相互理解への確信が持てないと心の安寧は訪れないと思います。 

時代と共に価値観や道徳観なども大きく変化しており、その変化が生き方や男女関係のあり方の変化に繋がり少子化や単身世帯の増加に繋がり、その結果として多くの人の孤立化が世代と性別を問わず深く進行しています。 

昔の日本は村社会的な相互依存を前提にした封建社会でしたが、高度成長の頃から西洋的な自立を促す教育方針に変化しましたが、実はその自立そのものが孤立と密接に繋がっています。 

私も親からの逃走と自立を目指し東京で生計を立てられるようになった時、言い知れぬ寂しさに悶々として暮している自分に気が付きましたが、そんな時に妻と出会ったので愛情に飢えた狼のようだったと今振り返って思います。 

どんなに経済的に自立しても『人はひとりでは生きられない』という寂しさを味わっていましたので、妻との出逢いで相互依存できる対象に出会った時の胸の高揚感は、人間の本質が求めているものを実感させるものでした。 

人間とは弱いもので、誰かに甘えたり頼ったりできる相手がいない自立はやっぱり寂しいのだと思います。 

しかし相互依存を上手くやっていくには、やはり苦悩を伴う譲歩や知恵が必要で、お互いが譲歩し合う積み重ねが相互依存を持続させる愛情を育んでいるのです。 

正直に甘えたり頼ったりするには、安心してその人に下手に出る技術と色気が必要なものですが、それができるようになると人間として成熟した『徳』や『自信』が後から訪れています。 

この自立と相互依存の矛盾を認識し受け入れられない人間は、社会の中で上手に幸せを手に入れられないような気がします。 

もう階級社会だった封建的な相互依存を前提にした社会には戻れない時代になりましたので、自立を前提にした孤立が進んだ社会の中で生き残るためには、国家も個人も下手に出る巧みな技術を磨き、その行為の中に誠意と信念を漂わす色気を身に付けることが必要で、国家においても個人においても競争社会のこれからの時代を心豊かに生き抜くために必須なものになりました。 

仕事などでも『他人の要求に応える』ということが、苦痛ではなく喜びとしてできるような個人の心構えや組織のあり方などを構築しないと、物は豊かでも精神が病んでいる人間だらけになってしまうような気が私はしております。