盗人横行の時代。

相も変わらず膿が出続ける大企業の不祥事ですが、関西電力経営陣の会見を見ていて非常識な世界の常識に慣れてしまうと、世間の常識を理解し辞任するのに一週間もの時間を要する馬鹿さ加減で、現代社会の無責任な拝金主義の縮図を見せつけられて呆れを通り越して可愛想になりました。 

私共のお客様にも名の通った企業の社長や取締役を勤めた方もおりましたが、多くの男達が引退して普通の男に戻るまでお金が絡んだ権力闘争の空しさに気付けないのは、男という生き物は自分の所属する世界から排除されることを異常に恐れていることが根底にあるからです。 

男の世界は上下関係による仕事という狭い世界で、自分の立場が全てになるのはオスのDNAによる闘争本能からで、自分が勝者であり続けている間はその勝利が他の全ての傷を癒してくれるので闘争を続けます。

しかし退職で男世界の上下関係と無縁になって、自分の人生を継続する大切なものが自分の中に欠落していたことを思い知るのですが、それは仕事を通じてしか社会や人と繋がっていなかったという虚しい孤立感を味わって初めて知るのです。 

この種類の男は若い時『誰が食わしていると思っているんだ』と吠え、老人になると妻や子供達に依存しながらも相変わらず威張り散らし嫌われ者になっているか、誰にも相手にされない孤立感で認知症になって有名で高額な病院や介護施設に放り込まれている人達です。 

現役時代から陰で支えている家庭の妻への感謝があれば、子供の教育や躾にも係わり親子の情を通わすのですが、お金を入れるという生計だけでは夫婦や親子の情は通っていないので、その生計の役目を終え年金生活になれば、国による生計なので熟年離婚か家庭内離婚状態になるのです。 

全て身から出た錆なのですが、今自分が求めている家族や友人からの温もりを、それまで自分が家族や友人に与えて来なかったことには気づかずに嘆いたり怒ったりしていますので孤立は深まるばかりです。 

家庭内で妻や子供の人格を認めた言動の人は、妻や子供の味わってきた傷の痛みも共有していましたので、退職後寂しさの傷が疼いても癒してくれる家族や友人に恵まれており、社長だったことなど一切出さずに老犬として地域社会で振舞い、同じ老犬のお世話をしていた人もおりました。 

一般的に男の仕事世界は愛情など存在しない競争と闘争の社会ですので、今のような盗人が天下を取った社会では、稀にいる愛情深い男は偉くなれず賄賂などとも無縁です。 

私は店頭で女性と多く逢いますが、少数ですが退職し上下関係と無縁になった男性もおります。

そのような男の人達を客観的に見ていると、男とは『自分が大切だと思っていたものを失うまで、大切なものに気付けない』悲しい性を持っている人が大多数のように思います。 

現役時代はいつも生臭い大切な何かを自覚しているつもりなのですが、退職後も現役時代の記憶を引きずり続けている人が多く、現役時代の記憶自体が薄れた二十年ほど経過した諦めの境地になって初めて、夫婦や親子の愛情の重要性を理解できるようになるようですが、このような現象の根本原因が日本の企業体質の中にもあるような気がしております。 

私もサラリーマン生活を六年ほどしましたのでそう思うのですが、自営業になり多くの女性の考え方を知っていなければ私自身も気付けなかったのでは? と思います。 

野心を持って脱サラをしたので多店舗化に走り出したこともありましたが、その直後に断念したのはその代わりに失う夫婦や親子の時間に気が付いたからで、会社勤めでは気が付けなかったと思います。 

男の夢や野心を支えるのが妻の役目だった時代もありましたが、支店を出してまもなくの夕食時に妻が『私は店を拡大して大きくするより、今の店だけがいい』と静かに呟くように言ったことがありました。 

支店を出してからは会話しながらの夕食などもなかったので、妻の言葉の意味は『仕事より私の方を見て』と言っているようで、あまり欲のない妻は生活できればいいんじゃないと常に言っておりました。 

最近は結婚条件に高年収の男を望むのが常識ですが、これは結婚生活が始まる前の話だから出てくる条件で、結婚生活が始まって子供が出来てからも終電で帰宅し早朝に出勤し日曜も接待ゴルフだが、お金はたっぷり入れてくれる男を喜ぶ女性が多くいるでしょうか? これでは妻は男の自己実現の道具みたいな存在であり、果たして私は女として夫に必要とされているのか? をいずれ考え始めるのは当然と思います。

反対に夫を男としては必要とせず、夫をお金を稼ぐ対象としてのみ見ている妻に満足して貢げる男がどれほどいるか? も同様で、これでは昔のフランス貴族婦人状態です。 

人間は結果ではなく過程の中に本質を見出すもので、結婚生活の中でかけがえのないものを失った人は、失ったかけがえのないものに気付きますが、かけがえのないものを奪った方は全く気付いていないのが実体です。 

高齢になって夫を失った女性は丸二年ほど経過すると逞しく立ち上がりますが、妻を失った夫はここでも『自分が大切だと思っていたものを失うまで、大切なものに気付けない』悲しさから認知症になったり施設に入ったり、お金を持っている男は寂しさと不便さから再婚したりで、女性ほど逞しく生きて行けない姿を多く見て参りました。 

男の現役時代はお金と地位が絡んだ権力闘争ですが、前のブログにも書いた随筆『徒然草』を読むと七百年前も現代も人間社会は何も変わっていないことを思い知らされます。 

徒然草六十段に『徳のある人』がテーマの随筆がありますので、関西電力幹部と比較して『お金の捉え方』に違いが見え、お金を手段と捉えるか? お金自体が目的になっているか? が『徳』有無になっております。

仁和寺に盛真僧都という里芋が大好きな坊主がおりました。

この坊主の師匠が死んだ時、今のお金にして二千万円の遺産

と寺を相続しましたが、相続した寺を一千万年で売って合計

三千万円を都の里芋問屋に預け、五十万円分ずつ届けさせて

弟子に講義をする時も里芋を食べながら行い、毎日食べ続け三千万円全てを里芋代に使うという、好き放題をしても嫌われずに『徳のある人』と敬われていたそうです。 

マッチョでハンサムでインテリで悟ってもおりますので、普通は嫉妬されそうなものですが、この坊主が『徳のある人』と敬われた理由が、大金が入っても欲を出さずに自分の生活レベルとサイクルを変えずに過ごしたからとのオチです。

 これが如何に難しいことか? は昔一億円を拾った大貫さんと

 いう方の不幸な最後のように、大金が入ると男は高級車や女性

 との浮気などの乗り物(者)に使い、次に見た目を飾る高級背

 広やブランド品で飾るようになるか? 一山当てに投資に走る

 か? で、生活レベルとサイクルを変えないということは凡人

 にはまず至難の業と思います。 

 ちなみに妻が皮肉まじりに私を褒めてくれたのがこれで、『開

 業以来変わらず、借財に苦しんでいる時も、借財がなくなって

 年金を貰うようになり余裕ができても、あなたは月二回の定休

 日だけで病気もせずに四十年以上も良くやってきた』の言葉で

 したが、私は徳のある人ではなく少ない年金なので、老いて病

 気になれば金銭的に余裕がなくなる単に偏屈者だからです。 

 私は贅沢するほどの余裕がない生活が健全と思っていること

 と、仕事をしながら本を読むのが人生の暇つぶしとして楽しい

 からで、贅沢や旅行などで遊び歩くことが楽しいとは思わず家

 の方がよく、遊びなども貴重な時間をやりくりして妻と過ご

 すから楽しく、店に一人でいる時間なども大切な自分の時間だ

 ったからです。 

 大企業の不祥事はまだまだ続き、原発関連の闇は他の電力会社

 にもあるのは確かで、私共のお客様で原発関連工事の最終下請

 け(放射線を浴びる量が多いのでお金になる)を一族でして

 た方がおりましたが、本家のお爺ちゃんが亡くなってから息

 子達も相次いで病気で亡くなり、奥様と孫達だけになって放射

 線の怖さを思い知ったと話し会社を解散しました。 

 私の老眼用拡大鏡で想像力を膨らませて現代人の腹の中を覗

 いてみると、表裏を使い分ける腹黒い本音を慇懃無礼な建前で

 飾り、社内でバレたら笑ってごまかし社会的に公表されたら神

 妙ぶった偽善の謝罪でやり過ごそうとする体質はもう身体化さ

 れており、現役総理大臣も含め現代の日本人の心中に常識とし

 て巣食ってしまったように思います。

 教員による教員イジメなどそうですが、子供や父兄には教師と

 しての建前で接していた自分自身の偽善への反動からで、校長

 や他教員も周知のことで見て見ぬふりをしていたのは、同じス

 トレスを抱える陰湿な共犯関係が存在していたからで、関西

 力と同様に共犯関係による安心感が蔓延していたのです。

 現在の社会状況は組織内による自浄作用など期待できないほど

 に腐敗しており、建前を綺麗事で振る舞うことへの自己嫌悪や

 罪悪感など持つ人は少数派で、正邪の審判は建前で動く表社会

 への告発手段であるネットへの投稿に委ねる以外に方策がな

 いという『力が正義』の異常な社会です。

 徒然草が書かれた七百年前も朝廷の権力が衰え形骸化し、武力

 という武士と権威という朝廷が拮抗しお互いを利用し合った南

 北朝時代の混乱時期で、僧侶までもが武力に訴えるのが当たり

 前という人間の醜さが蔓延していた時代で、腐敗に嫌気が差し

 て出家する人が多かった時代でもありました。 

 九十九人の気違いの中に正気が一人入ったら、正気が気違いに

 見えるような歴史も繰り返しているようです。 

 徒然草や源氏物語のような古文を現代語にして解説した本を読

 むと、文明は進化しても人間自体は少しも進化していないと思

 い知らされます。 

 このような現代の世相に的確な言葉が徒然草百四十二段の最後

 に書かれております。

  衣食が世間なみの生活ができているのに、それでも悪事を働

  人間を『盗人』というべきと結んでいます。

 最近の社会は全てが腐敗によって不安定になり、どこを見ても

 盗人だらけになってしまった南北朝時代のようで、今後は若い

 世代が武力を身に付けて腐敗世代を下克上すべき戦国時代の始

 まりに期待したいと思っています。