記憶の効用。

来年古希を迎えると思うと『こんなに生きるとは』の感慨と、挫折と失敗の連続の中で『張ったり八分で実力二分』の人生だったな!との思いが正直な気持ちです。 

若かった時は『見栄を張らないと実力なんかつかない』と内心で思いながら見栄を張り続けましたが、そんな時に妻は見透かし『見え張る君』とたしなめる牽制球が飛んできました。 

しかし見栄を張ることは失敗や壁にぶち当たることにも繋がっておりますが、失敗をすることでしか発見できない自分の不足しているものが自覚でき、今後の努力目標みたいなものや学び埋めて行かなければならないものが浮き彫りになり、そんなものを埋めていくのが人生だと思います。

実力二分で見栄を張って『恥』をかくのですが、その恥を『今に見ておれ』と努力するエネルギーにするのが若さで、古希近くなった今も妻によく言われた『小生意気さ』が残っている自分には呆れています。 

私のように日々たくさんの人にお会いしていると、私の張ったりを実力と勘違いして認める人に出会うと困惑します。 

このような人の多くはテレビのクイズ王のような知識量を『すごいなー』と感心するタイプのようですが、私は知識量よりも自分の不足を自覚して埋める知識でないと人生を豊かにすることに繋がらないと思っています。

私自身が偏執的なせいか、好きなことに偏って知識を埋めているタイプの人が大好きで、『??馬鹿』のような人に出会うと何故か嬉しくなり自分の人生までもが豊かになったような気分になります。 

このようなタイプの人は、自分の好きな分野の必要な知識に対しては貪欲で、必要になるとそれまでは見向きもしなかった学問にも分け入り、好きな分野の疑問を埋めようと知識を吸収し続けて、壁にぶつかっても迷わずトンネルを掘るような無謀なことも一心不乱に取り組みます。 

この好きなことに夢中になっているうちに、その好きなことの苗木が枝葉の増加と共に、次第に木の幹が成長し太くなって大木に育って行くように思います。 

このタイプの子供が、その行為を微笑み優しく見守ってくれる親に恵まれ成長してから、その好きな分野に関係した職業で生計を立てられるようになれば、きっと精神的にも豊かな人生に繋がるのでは? と思います。 

しかし私のように好きなものも夢も見つからずに育つ子供もおりますので、そんな内面を告白してみたいと思います。 

中学生になってから猛然と勉強したのは大人になることへの不安からでした。 

父からの離脱を目指しても生計を立てなければ自立できず、これと言って好きなことも見つからない感受性だけが敏感な子供でしたので、とりあえず勉強すれば親も認めるし社会に出た時の汎用性として何かの役に立つのではないか? と思い決断しただけでした。 

高校は進学校に行きましたが、未熟な恋愛に挫折してイジケてから成績はガタ落ちでしたので『如何に父を騙し働く自信の持てない高卒就職を回避するか』がテーマでした。 

こんな悪知恵も知恵のうちで『これからは自動車産業の時代』と体の良い嘘を言い札幌にできたばかりの自動車短大に推薦入学という無試験で入学し友人と下宿生活を始めました。 

二年間勉強もせず友人とスマートボールで稼ぎまくり、娯楽施設向かいの信託銀行に預金していましたが、机の中に入れたこの通帳を父が隠し見ており、東京のトヨタに就職する時には布団一式だけを寮に送られ家を出ました。 

こんな経緯を書いたのは、大人が子供に求める夢だの目標だのを持てということが、私のようなタイプの子供には『自分は夢や希望のない駄目な人間』と言われているように感じたからで、私のように夢も希望も夢中になれるような好きなこともない子供は沢山いると思うからです。 

時代も親も性別も親からの天賦の才能も選択の余地がなく生まれるのが生命の宿命で、人間も生まれた時から景色はそれぞれ違っており、晴天の景色の人もいれば、霧かモヤがかかった先が見えない天候の中を進む人もいれば、虐待のような雷鳴と土砂降りの子供時代の人もおり、それでも大人になると宿命を背負い生計を立て生きて行かねばならないのです。 

生きるとは綺麗事では済まない戦いで、その生きる戦いにおける武器に相当するものが学問の知識や知恵や人間性の良し悪しやコネなどで、どれが最強の武器になるか? は時代状況によって違います。 

しかしどの時代にも通用する最強の武器は、色々な人達の協力を得られると徳を持った人間性なのですが、これなども親から慈愛を受けて育った天賦のものと、自分の不足を自覚し努力で埋めたものがありますが、後者の方が強力な協力者を得られるような気がしております。 

人生で『不足を努力で埋める』ことが人生の浮き沈みを左右する好例がプロ野球の世界の野村克也氏で、対象的な存在が長嶋茂雄氏でほぼ天賦の才能による本能的な身体能力で守備も打撃も『こう来たらこう打つ』という論理を超えたものです。 

野球の才能は長嶋に劣るが血の滲むような肉体的な努力で不足を埋めたのが王貞治氏です。 

最も野球における才能に劣った野村克也氏はデーターという数学的発想で不足を埋めて三冠王を取り以後監督も勤めましたが、この三人はそれぞれの方法で生き残りを賭けて戦って生計を立てました。 

どれが正解などと言えるものはなく、生まれた時の景色が違うように不足を埋めるための答えも違うので、自分にとっての正解を探し求め努力を続けるのが人生なのだと思います。 

車も両輪が揃って真っ直ぐ進むように、人生も生活を支える生計と精神の均衡を支える幸福感(自己肯定感)が両輪で、両方充実させるには配慮と努力が必要で、状況のよってはどちらかを犠牲にする時期もあるのでバランス感覚が大切です。 

私は何かで脚光を浴びている人を見ていて危惧するのは、多くの人に愛されていると勘違いし調子に乗って気が緩み、傲慢になり後日危機が訪れることを心配してしまいます。

 私は常々妻に『世界中の人が敵でも、お母さんが味方だったら

 平気』と言っていましたが、可愛く美貌を誇った女優の大原麗

 子さんの孤独死の報道を聞いた妻が『私もお父さんだけでい

 い』と言っていました。 

 沢山の人に広く浅く愛されるより、ひとりでもいいから深く

 愛された記憶が精神的な安定と幸福感に繋がるのですが、ほと

 んどの人は現在存在しているものを当然と考え感謝を忘れ、自

 分の不足を棚に上げ(埋めるのではなく)相手の不足の不満を

 垂れ流し、対象を失うまでその存在に気が付けないようです。

 これこそが個人の努力では決して埋められない他者から授か

 っている自己の存在意義で、この自己肯定感の記憶が幼少期

 にあると、人生における挫折や孤独で情緒が不安定になりそ

 うな時に、不安を支える心の耐震装置の役目を果します。 

 そのように実感したのは橋本治氏の『絵本徒然草』の中の解説

 にあった吉田兼好像にあります。 

 都の下級貴族から出家し、漂白しながら書いた随筆『徒然草』

 最終段で子供時代を振り返り《八つになりし年、父に問いて

 いはく》で仏とは? 人間がなったもの。 どうやって仏にな

 るの? 仏の教えでなる。 その仏は誰に教わったの? その

 先の仏だ。 じゃ最初の仏は? 返答に困った父が空から降っ

 たか? 土から湧いたか? と言って笑い答えに窮した。

 そんな父の困っていた様子を《諸人に語りて興じき》で徒然草

 は終わる。 

 漂白を繰り返した流浪の旅を最後に振り返り、寂しさや孤立感

 に襲われずに来られたのは、どんな時も笑って肯定してくれた

 父親の深い愛情を実感したからと解説し、親を困らすようなこ

 とを『考えてもいいんだ』という肯定が思考の自由を生み、

 『答えられなくてもいいんだ』ということが確定された現実

 の外側(社会)へ出なければならないという強迫観念(不安)

 を生まなかった。 

 父からの自己肯定感によって得た穏やかな精神的な財産が兼好

 に偉業を成し遂げさせたのですが、これだけは個人の努力で埋

 められるようなものではなく他者から授かるものです。 

 このような過去に存在していた子供を愛する親の姿勢が豊かな

 社会になってから失われ、親から授かるはずの自己肯定感を持

 てない子供が増え続けて引き篭もりや登校拒否が増え、学校へ

 行かなければという強迫観念に苦しめられています。 

 私も妻が亡くなって十二月で丸四年を迎えますが、この四年間

 ひとり身の寂しさや孤立感に襲われても穏やかさを保てたの

 は、妻の口癖『お父さんの好きにしていいんだよ!』の言葉に

 よる私への肯定の記憶が私を支えました。 

 そんな妻も時折わがままな言動で私を困らせたのは、自分の自

 信が揺らぐ時があるとわがままな言動で『私を試し』自分への

 愛情を確認し安心したかったのでしょう。 

 何事にも自信を持てない臆病な人なうえに、私の仕事を一切手

 伝っていなかった負い目による不安からだと思うのですが、ま

 るで子供の自家中毒のように愛情の確認を求める言動でした

 が、ある年越しに悪酔いし駄々をこねた時は大変でした。 

 最近孫の五歳のお姉ちゃんがこの症状で、一歳半の妹ができて

 から何かと我慢し頑張っている反動で、私と二人きりになると

 突然『抱っこ』と迫ったり、『やってはいけないと判っている

 ことを私の顔を見ながらわざとやる』わがままで私を試したり

 しますが、私には懐かしい妻の行為のように思え、微笑みなが

 全て穏やかに見守り満たしてあげると本当に嬉しそうな表

 になります。 

 店頭では長年のお客様との忌憚のない会話に恵まれ、帰宅し想

 い出の詰まった家で家事をしていると、自然に妻と会話しなが

 ら生活しておりますので、ひとり身でも死を迎えるまで穏やか

 に暮していけるような気がします。 

 人間の幸せはお金でも地位でも名誉でもなく、自分が生まれ存

 在していることを肯定してくれた人の記憶があるだけで幸せ

 な人生だったと思う此の頃です。