知性と知識は全く別なもの。

一時期に流行った勝ち組・負け組(負け犬)という言葉の顚末が、当時は勝ち組であった最近の権力者や企業の代表者などの意地汚い不祥事続きですが、ここには知性とは程遠い醜い自己本位の欲望の本性があります。

その過去には偽善的な建前で弱者を追い詰めたリストラや社員への過重労働や派遣社員への搾取によって得た利益を、全て勝者の自分達だけのものにするという傲慢な姿勢があります。

企業利益を生み出す義務と責任は労働者に押し付け、指揮命令している経営者の自由と権利がエゴの塊である証拠は、企業業績が良い時は経営者の手柄で役員達の高額報酬に反映され、経営者の経営判断が間違って訪れた危機は社員のリストラに反映されるという反倫理的構図で、バブル崩壊以後は『力が正義』が罷り通った? 従業員や社会も罷り通してしまった? 時代が三十年以上も続いた結果で、きっとこれからも不祥事という腐臭を伴った膿は出続けると思います。 

この原因になったものが学歴偏重社会の弊害ですが、日本人のほとんどが犯した一番大きな間違いは、『知識の量と知性を混同』して人間を推し測ったことで、この知識と知性の混同を日本人全体が自覚しないと日本社会に巣食ったエゴイスティック病理の治癒は難しいと思います。 

知識の量は偏差値で数値化されて見えますが、知性とは数値化されない優しさやモラルのような心にしか残らない行為によって確認できるものです。 

『力が正義』が罷り通った背景には、力を持った者に迎合した人達が多かったからで、この迎合した多くの人達にも知識はあっても『権力と闘うための知性が備わっていなかった』から迎合や忖度で自己保身を計ったのです。 

現代は勝つか? 負けるか? しか答えがないように思っている人達がほとんどですが、権力や暴力に対して勝ち負けのどちらでもない負けない力が知性には備わっていると思います。

人は勝つことにこだわるから負けに意気消沈するのですが、人生で大切なことは勝者になることより敗者にならないことであって、私は何事も知性的に考えさえすれば負けない形に持ち込めると思っています。 

信長が桶狭間で今川義元を破ったように、まず精神的に負けないという意志が先にあるから、その戦略を考える知性から勝つための知恵が生まれたのです。 

勉強ができる知識の量が多いことが知性と別物なことは、逆説的には知識の多い人ほど挫折に弱いことも証明しています。 本当に知性的な人は挫折を受け入れ分析し、そこから抜け出す答えを自分自身の中から捜し見つけ出す作業を根気よく続けますが、この繰り返しこそが負けない力に繋がる知性そのもので、次第に自信が芽生え気が付くと挫折に対する免疫力も獲得しています。 

どんな人間でも勝ち続けることは無理ですので、自分の負けをも俯瞰する知性がないと挫折への免疫力は強化できません。 人間は自分が困難な状況にある時ほど他者と比較し羨むものですが、一見成功が持続しているように見える人は他者への優しさやモラルを身に付けているので困難時にも協力者が現れるから持続しており、その優しさとモラルは過去の数々の挫折から立ち上がる過程で次第に身体化されています。 

知識は単なる記憶力ですが、知性は苦悩し自分の中から生み出すという痛みを伴って獲得しなければならないので、知性的になることは必然として想像力やオリジナリティを形成することにも繋がっております。 

また挫折への免疫力を獲得した人は、挫折の痛みを知っているので弱者に優しいのですが、負けを知らない人は一般的に傲慢な人が多く、傲慢な人ほど大きな負けを経験すると意外と脆いのは、負けから立ち上がるための内省という知性を獲得していないからです。 

一般に傲慢な人は家庭でも職場でも人間関係を悪くしますが、逆に知性的な人は家庭や職場の雰囲気を明るくし、その人の存在そのものが廻りの人間の能力をも向上させるという不思議な触媒効果を持っており、家庭や組織によい影響力をもたらす人間性を備えているものです。 

高学歴で知識豊富な人の家庭が円満で、職場においても円滑な人間関係の潤滑油的存在であると耳にしたことがないので、やはり知識と知性は別なものと理解して頂けると思います。 

つまり知性とは①逆境や理不尽な力に負けない力の源泉になっている。 ②周囲の人達を楽しくし、周囲の人のパフォーマンスを上昇させる触媒効果をもたらすような豊かな人間性に通じるものです。 

私は『知性』という言葉を聞くと小林秀雄氏が『本居宣長』という本の中に書かれていたことを思い出します。 

この本で学問は近代の明治時代に西洋の知識を学ぶ頃に始まったが通説だが、ではその前の日本の近世の時代に真の学問はなかったのか? もテーマに含まれ書かれています。 

難解な本ですが、その中で平家―鎌倉幕府―南北朝時代を経て下克上の時代を迎えましたが、この下克上の時代から近世の学問が始まったとの見解でした。

その理由として下克上時代の武力抗争を見ていた庶民が、その様子を揶揄して『下克上』と名付けたという事実から、その頃の庶民に知性が芽生えていた証と述べられ、この庶民の無邪気な発想で言った『下克上』が庶民の生きるための知恵(知性)だったとも述べています。 

大言海というブリタニカ百貨辞典で下克上はデモクラシーと解すべしとあるように、この頃の庶民には下克上のような『謀反を善や革命と解釈する』ような知性を庶民が持っていたとの記述でした。 

戦国時代の前までは朝廷に仕える官僚のみが学問をし、朝廷のような虚名が武力という実力を制していた時代でしたが、戦国時代を迎え武力が本当の実力の時代になると、戦略がない馬鹿では勝ち続けることはできませんので、知恵者という知性を持つ者が必要になり学問をした知性的な者が雇われるようにもなったのです。 

それまでは仏教思想のような僧籍の者と朝廷に仕える官僚のみが学問をしていましたが、戦国時代を迎えてから儒学が思想になったとの記述されています。 

この頃の中江藤樹という人から近世の学問が始まり、荻生徂徠などを経て本居宣長に展開したのですが、本居宣長を真の学者として認めている理由は、町医者を生業とし趣味のような立場で当時は歴史書と認められていない古事記(認められていたのは日本書紀でした)を研究勉強し国学者として弟子達に教えてもいたという学問への姿勢です。 

現在の学問は立身出世を目的にしておりますが、この時代までも官僚や僧籍の人達なども立身出世が目的で学問を行っておりましたので、本居宣長のような人は異色で、私はこれが真の知性であり学問ではないか? と思い興奮しました。 

本居宣長は学問の講義をしている最中でも、病人の知らせがあれば講義を止め往診に行くという、生業をいつも優先する姿勢の記述に特に共鳴させられ、知性を語るのには欠かせない姿勢だと思います。 

中江藤樹など多くの人は仕官の道が閉ざされた果ての学問追求でしたが、本居宣長は国学者として加賀藩など大名からの誘いも断っており、町医者としての生業を立身出世や国学者としての学問よりも優先したことは生活者としてのモラルで、このような生業への誠意とこだわりを持っている人こそが、信頼できる人で知性的な人だと思います。 

小林秀雄氏の本は難解なので、何回読んでも理解できない箇所が沢山あるのですが、読後感として持ったのは近代の学問を究めた小林秀雄の味わった孤独感と、近世の学問を究めた本居宣長の孤独感を重ね合わせたのかな? との思いでした。 

現代は立身出世主義からお金原理主義に移行しておりますが、果たして今後は何主義に移行するのか? 最近は何かと不穏な空気が漂う世界情勢ですが、歴史の皮肉を思いあえて楽観的に考えてみます。 

朝廷が権威の虚の支配する時代から武力という実力の時代になり、資本主義の今は武力よりお金が支配する時代になりましたが、昔権威だった天皇が象徴になったように意外な展開が始まり、優しさやモラルという知性が支配する博愛の時代が訪れるという夢想をしたいのですが、人間の業の深さを思うと少し楽観的過ぎると怒られそうです。 

その理由は教育制度が充実し物質的に豊かになっても、虐待・セクハラ・パワハラ・DVなどとても知性的とは思えぬ弱者への強権によるイジメが未だに減少していないからです。

夫婦関係を見ていて思う知性の有無は、男は夫として妻に対して日常は忠犬と番犬に徹している人に知性的な人が多く、女性は夫に対して日常は遠慮のない会話をしているのですが、ここ一番の状況の時には夫の判断と決断に委ねるという敬意を内面に持っている女性に知性的な人が多いと感じています。

 社会や家庭生活が楽しく誰もが生き活き暮せるように社会改革

 をする為には、真に知性的な人達による『力が正義社会』を

 打ち破る下克上が現代に必要なのは間違いないと思います。

 立身出世の欲で勉強だけの頭でっかちなどに知性は存在してお

 らず、私が『知性的な人だなあー』思う人は学歴や知識などで

 はな理性が働かないような咄嗟の時でも欲望と感情をコ

 ントロールできる人間性を保持している、いつも他者が自分の

 前にあるような人です。