自分を作った人と、作られた人。

この度はご注文頂き誠に有難うございます。 京都アニメーションへの放火殺人のような事件報道を目にするたびに、このような事件を起こす犯人が人生のどの部分でジキル博士からハイド氏に変貌したのか? を考えてしまいます。 

人間はジキル博士とハイド氏の両面を持っていると思っている私には、私自身も状況によってはハイド氏に変貌するのではないか? という危機感をいつも持っています。 

人間は育った歴史によって創られる部分と教育の力によって創られる部分がありますが、このどちらかによって人間は簡単にジキル博士からハイド氏に変貌する危険もあるので、私はいつもハイド氏に変貌した犯罪者の育ちや経歴に興味を持ち記事を追う癖があります。 

犯罪者の中には教育の力によって創られる機会に恵まれたなら、犯罪者にならなかったと思われる人がおり、逆に知能犯的な犯罪者の中には教育の力によって創られた悪知恵によって犯罪者になっている人達も最近は多くおり、詐欺集団の頭目はこのようなタイプと思います。 

しかし学校教育が施行されていない時代の人達の中に立派な人達がおりましたが、そこには『無教育の知性の力』という途轍もなく強く深い強靭な知恵なるものが感じられる人がおりました。 

反対に最近のクレーマーのように悪知恵で怒鳴り騒ぎ立てて己の利をむさぼる輩が増えており、これは教育の力だけでは補えない愛情不足が人生の中にあり、多様な人間で社会が営まれていることを実感します。 

店頭に四十二年間もいると、この多種多様な人との出逢いの繰り返しですが、人間も川の流れに似て川底が深い川の表面は穏やかで緩やかに流れ、川底が浅い川の表面は波立っているように、流れが急な浅い川のような浅い人間ほど怒鳴り騒ぎ立てているのだと思います。 

しかし表面上が上品か? 乱暴か? ではなく、上品だけど愛がない人と、乱暴な言葉や行為の中にも愛が感じられる人があり、これは皮膚感覚で相手に確実に伝わっております。 

先日も鶴見俊輔氏の本を読んでいて、日頃感じていたことが言葉(活字)になっており嬉しくなりました。 

鶴見氏の父・祐輔氏は東大出の政治家で、祖父は明治維新で活躍し東京市の市長を務めた後藤新平ですが、東大出の父は社会的には偉いようでも駄目な人間と述べ、真のエリートとは祖父のような大衆の中から選ばれて出てくる人で、東大のような学校で学んだエリート(指導者)は作られた人だからひらめきや忍耐力や持久力と深みのある人格に欠けるが、大衆の中から選ばれ出てくる真のエリートは挫折の中から自分で自分を作った人なので、ひらめきが鋭く忍耐力や持久力に他者への配慮の人格が備わっており、終戦後の学閥主義が日本を駄目にしたと述べていました。 何事も無から有を生むにはひらめきと他者の協力が必須で、松下幸之助や本田宗一郎や田中角栄なども中学出ですが、鶴見氏と同年代の政治家・宮沢喜一氏は東大を首席で出ているが、政治家としての胆力には欠けていたと述べていました。 

鶴見氏の見解は日露戦争勝利後から、作られた人達が指導者になって日本はダメになったと言っており、確かに侵略戦争から敗戦に繋がっており、現在の日本の指導者層の駄目さかげんにも当てはまっております。 

これは人物より学閥のみで選別・評価する現在の日本の大衆にも当て嵌まり、最近は『無教育の知性の力』などを見抜きも評価もできない大衆になったことが不祥事続きの原因でもあります。 どの業界でも二世・三世がはびこっている現状ですが、その全ては大衆自身の生活に跳ね返ってきているのです。 

二十年前に娘が慶応大学に合格し旅立つ前夜に『一流大学に行く人は、苦労して知恵を身に付けた人間に使われるんだよ。 それは学んで身に付けた知識と、骨身に沁みて体得した人間の知恵に雲泥の差があるから。 合格した喜びはお父さんも一緒だけど、決して調子に乗らないでね』とお願いしました。 

その四年後娘は就職活動で自我を通し卒業間際に苦しみましたが、娘の若気の自我を尊重する代わりに『もし精神的・肉体的に辛くなったら退学してもいいから帰って来て下さい。あなたが傷つき羽を休める今の場所は、私達親のところですから!』とお願いしたのですが、あの時に苦しんだ経験が娘に良かったと今でも私は思っています。 

あの時通信販売(娘の苦悩を書いた手紙入り)のお客様のご主人の勤務先から突然電話があり、『私は??の副社長で東京本社におります。お力になりたいので娘さんに私を訪ねるようお伝え下さい』と言って直通電話番号を告げられました。 

コネの御好意と察し娘に電話すると『嫌!』と言われましたが、『社会勉強になるよ!』と言い承諾させました。 

後日電話が有り一時間ほど副社長室で大人の会話(コネの話はひと言もせず)で勉強になった、でも断ってね!と言うので、御好意の礼状に菓子を添えお断りしました。 

この就職活動における娘の自我は、若さゆえの純真な社会への取り組みでしたが、私はこの挫折とコネ拒否の選択による就職活動失敗は、娘の視野を広げることに繋がったと思っています。 

社会に迎合した安全な道では決して見えない景色を見ることが、自分で自分を作りあげることに繋がっており、その青臭い歴史の中で不利な選択をした娘の人間性が、婿殿との出逢いの糸に確実に繋がっていたとも思っています。 

若気の至りで失敗することに意味があるのに、失敗しないようにレールを敷く親が多く、子供の自我を尊重しその失敗の痛みから立ち上がる機会を与えて見守らないから、本当の生きる力である胆力が備わらないとも思っています。 

人間は失敗からしか学べず、確信と錯覚した自我によって挫折した状態から、自ら修正し立ち上がる力を生むものが思想で、人から教えられ身に付けた脆く持続性に欠けるものと違い、自業自得の骨身に沁みた挫折から、自ら立ち上がり作り直して身体化したものは思想なので強靭さに繋がります。 

挫折から立ち上がる時の巨大なエネルーギーが胆力に通じており、子供の頃から挫折なく順風満帆の人には決して身に付かないもので、苦しく辛い『死の誘惑』をも戦い断ち切って、這い上がった人間だけが獲得できるものです。 

その経験の中から生まれる自信は(自分自身への信頼)、知識で得る学歴のような他者の評価に惑わされない信念に通じるから強靭なものになるだと思います。 

失敗や挫折で自己を責め自殺する人や、他者を責めて事件を起こす人達が陥っている落とし穴は狭い視野で、何処かで誰かが視野を広げてくれる昔のような優しい大人の助言があったら、自殺や事件は回避できたものが多くあったとも思っています。 

狭い視野には自我しか存在せず、憎しみの他者しか存在しないので無関係な人達を傷つけるのですが、その落とし穴には自分を思ってくれる他者を求める甘えたエゴイスティックな自我の絶望があるのですが、手を差し伸べる大人の減少もあります。 

偏差値と学歴偏重社会の本質は権力と拝金主義に通じており、その人間の心の底にはエゴと自意識過剰の傲慢が渦巻いてます。 失敗や挫折の中で、自分が無能で無力な存在であることを思い知らされ、不安に怯え苦悩し立ち上がるとき、個人の努力を越えた他者の存在が見え、その時に人間としての深まりを得るのですが、その他者の存在が見えた時に必ず広い視野で社会や人生を捉えています。 

娘が中学生の時、なんで社会に出てから使わないような科目まで義務教育では勉強しなければならないのか? と聞かれた時の答えが当てはまるのですが、太平洋のような広い海に日本海溝という一万mの深海があるように『広くなければ深まりはしない』ので、無駄に見えるような余裕が必要なのです!と話しました。 深い川も川幅が広くなければ存在しないように、人間も広い視野を持ち続けないと人間性を深めることはできないのです。 

東大出の官僚あがりの国会議員が、秘書に『ばか・禿げ・死ね』などと言い暴行するのが最近も過去にもありましたが、これが教育のみで作られた人間の傲慢さで、建前と本音を使い分ける狡猾な人間の増加は、確実に社会を蝕み国家を危うくしています。 

反対に挫折があり自分自身で自分を作った人は、自分の下で働いてくれる人の協力があって『事が成就』すると思っているので、いつも『人の心の痛み』に配慮しているので、配下の人達は『この人のためなら』という利害を越えた信者になりますが、そのような指導者は稀の時代になりました。 

イギリスの新しい首相も自己顕示欲の強い人が就任しましたが、国の指導者も企業トップも自己顕示欲の強い強権的な人達が選ばれる風潮も、大衆がエゴイスティックになり見る目がなくなって同類を選んでいるからです。 

しかし大衆の指導者の選択間違いが、SF映画の世界核戦争のようなことに繋がらないとは断言できないので、若者達や孫達のことを思うと私は恐ろしいです。 

資本主義が共産主義に勝利した錯覚しているうちに、資本主義の弊害が人間社会や国家を分断し拡大し続けることの先にある核の存在は、共産主義より悪い破滅に繋がる危険性を孕んでます。 教育の力は認めますが、単に学歴のみを過度に信奉するから人間性が低下する弊害を生んでおり、特に大衆の指導者層選択の間違いは国を滅ぼすことに繋がるのに、現在も敗戦前に似て作られた人達が指導者層になっているように思います。 

選挙の投票率も五十%では民主主義も死に体で、投票しない無責任な人達が半分もいれば、利益誘導のために組織的に投票する人達には有利に働き、利益誘導の癒着が続き格差は拡大します。 マスコミも大衆も『政治家のレベルが下がった』と悪口を言っていますが、私は逆で『選ぶ大衆の知性レベルが下がったから、選ばれる政治家の質が相対して下がっている』と思っています。 学歴や感情や情緒で人を判断するのではなく、その人の日頃の身なりや言動などの見える部分から、その人の見えない部分を想像する訓練を身近な人から試行してみることが大切です。 

昔の多くの人が『無教育の知性の力』を備えていたのは、日頃から見えている部分から見えない部分を想像しないと、生死に係わるような貧しい緊迫した状況で暮らしていたからです。 『力が正義』の傾向は吉本興業もジャニーズ事務所も同様で、テレビ局やマスコミの忖度に原因があるのですが、それは最近の大衆の有名人への異常な憧れや迎合の様子に現れていて、この問題なども有名人やテレビ出演者への大衆の愚かな迎合姿勢に問題の根があると思います。 

 この迎合は拝金主義と一緒で、落ちぶれたり利用価値がなくなっ

 たりするとすぐにソッポを向きます。 

 職業や結婚相手の選択なども、所得金額や地位や容姿という目に

 見える判りやすいもので測定し判断する傾向が顕著で、誠意や信

 頼などの人間性と人格による選択は珍しい此の頃です。 

 真の生きている喜びとは、金銭的贅沢や権力を得て傲慢に振舞う

 快感ではなく、仕事の場合は同僚や顧客や社会から、結婚は伴侶

 から自分が真に必要とされている認識が喜びで、その必要とされ

 信頼から自己肯定感を受け取って責任感に繋がるから、骨身を

 削ってもその信頼に応える行為が人生を豊かにするのです。 

 そして誰にでもある挫折のピンチがチャンスで、挫折の原因が自

 分の何にあったのかを内省し、成功のために不足していたもの

 を身に付けようと学び、いい意味の執念に近い願望で挑戦し続け

 ることが自分を作り強くするチャンスでもあるのです。 

 しかし京アニ放火犯や犯罪者は己の不足に目をそむけ、全てを他

 者のせいにして逃げ込み無差別に人を傷つけ自己顕示欲を誇示す

 るのは、自分で自分を作ったことがない弱さです。 

 自分が傷つく事を恐れる臆病者ほど他人を傷つけ、逆に傷つく

 ことを恐れずに立ち上がる勇者は他者に優しいので自然と協力

 者が集まってきます。 

 現代のエリートは偏差値によって作られた挫折が少ない人達が多

 く、傷の痛みや苦しみを知らないので搾取される側への配慮には

 鈍感で傲慢なのです。 

 子供や若者に強靭さを求めるなら、若気の到りで犯す過ちに意見

 せず気付くまで見守り、振り向き求められた時だけちょっと背

 中を押すと、自己肯定感を感じて不安を払拭し若者が本来持つ根

 拠のない自信の生きる力がみなぎり前に進んで行きます。 

 失敗や挫折から学び成長し大きくなるか、自暴自棄になり肥大し

 持て余した自我から獣性へ向うかは紙一重だと思います。 

 イジメ・引き篭もり・虐待・無差別殺人などの様々な問題も、

 そこから立ち上がれないほど傷つけられた積み重ねの人間不信が

 あり、立ち上がる訓練も授けられないことが問題です。

 知識から得るものには正解がありますが、正解がない人生の岐路

 における孤独な決断には勇気と見識が必要なのですが、知識偏重

 の偏差値教育エリート達には勇気と見識は無縁でしたので、迎合

 と忖度の答えしか思い浮かばないのです。 

 格差拡大とコネの社会で苦しんでいる若者達に、諦めないで『ピ

 ンチがチャンス』と知恵を絞り自分で自分を作り上げることを期

 待するのは、『自分が敗者だから、この時代を呪う』という犯罪

 者的な考え方こそが『真の敗者の証明』になるからです。

 私は行商から四十三年間、月二回の定休日で働き続けていますが

 不満でもなく、ただ借金がない状態にしてコツコツ働く健全性

 求め実現できましたが、妻を失った今もコツコツ働き誰かの役に

 つことが自分を作ることに繋がっていると思っています。