『1968』上下巻。

六十年の安保闘争から赤軍派・浅間山荘事件までの学生運動を細かく分析した上・下二冊二千ページからなる本(1968・若者達の叛乱とその背景・その終焉とその遺産・小熊英二著)には、現代人が抱えている『不安』に通じる書物としての意義も感じておりましたので、やはりその概要を主に著者の言葉でブログに載せておきたいと思います。 

戦争・貧困・飢餓など明確に自覚や表現ができるものへの飢餓を近代的不幸と定義し、対比して高度成長という急激な豊かさの中で表現困難な自我の崩壊のような『心の質』の問題を抱えたものを現代的な不幸と述べ、約十年間に及ぶ団塊世代前後による学生運動はこの現代的な不幸の『自分探し』と『自己否定』いう迷路に入り込んでリンチ殺人という自爆行為で終焉しました。 

他にも様々な要因がありますが、学生叛乱の大きな原因は、資本主義化による経済成長で大学生が激増し自分達が望むエリートとしての地位が低下した苛立ちが根底にあり、それがマスプロ教育や大学の資本主義的運営や資本家への批判に向かい、セクト介入の影響を受け究極の権力である国家へ向ったのは共産党やブント勢力などに誘導・利用された結果でした。 

大学当局という権力への単純な闘争が政治的勢力に利用されたのは、単なる『自己確認』という他者への思いから発していない信念のないものだったからで、貧しく育った若者達が高度成長という急激な豊かさを前に戸惑い、未成熟な心の動揺から既存権力全てに反発した社会への集団摩擦現象でした。 

それは炭鉱内の危険を事前に察知するカナリアに似た、若者の敏感な感受性が高度成長の毒性を感知し泣き叫んだ資本主義批判でしたが、全共闘・赤軍派世代は卒業すると、ほとんどが批判していた企業戦士として猛烈社員に転向し、政治的職業に係わった者は一%未満だったのは、運動の内容と同様に自己のアイデンティティー優先だったからです。 

この時代の学生運動と対極の若者による叛乱行動が明治維新を成し遂げた若者達でしたが、自己犠牲を覚悟し国家や民衆を西欧国家の植民地化から守るという他者への大義を持っておりましたので、日本人同士の戦争を避けるという大政奉還による無血開城で政権移譲に繋げることができたことは対照的でした。 

貧困の中で人格形成した若者達が高度成長の豊かさを前にした文化的ギャップは、発展途上国から先進国への成り上がり意識に似た自己嫌悪を抱えながらも、実は反発している大衆消費社会に本音では魅了されている矛盾が存在していましたので、自分自身の存在への不安を生み続けました。 

運動の暴徒化は矛盾した不安への恐れと魅惑の狭間における苦悩をごまかす砂漠のオアシスだったからで、当初は大学改革を掲げながら次第に獲得目標のない暴徒化が目的化した大学解体や自己否定などをスローガンにした運動になり、最後は赤軍派の仲間十二人のリンチ殺人まで行き終焉を迎えます。 

建前と本音の違う偽善は、内ゲバ内部における性の乱れにも現われ強姦された証言も多数あり、表現困難な自己の『質』の問題をデモや内ゲバで消化していた幼児的行為が実態でしたので、その中で感じる病的な偽善の正義や連帯感では癒しきれず空虚が襲い続けた結果の相互不信でした。 

真の正義や連帯を獲得するためには忍耐強く耐える持続が必要であり、また自己の『質』も同時に問い続ける真の勇気も持っていないと得られないものだからです。 

連合赤軍による十二人リンチ殺人は、矛盾を抑圧し禁欲主義を貫く先に待ち受けるものが、『総括』という『同士殺し』と認識させられましたので、それ以後は自分の欲望に忠実になるようになり、反動からお金と権力志向のエゴイズムが蔓延し出したと述べています。  

高度成長という急激な豊かさは、公害問題だけでなく新しい社会への適応という強い精神的ストレスを若者達に与えていました。今の中国などもそうですが、発展途上国から先進国になる過程では国民も精神的な葛藤という対価を求められるもので、安保闘争・べ平連・全共闘運動・労働組合運動なども全ては新しい社会への適応対価だったのだと思います。 

全共闘世代は卒業と同時にみごとに転向し猛烈サラリーマンになり、八十年代の消費社会文化の作り手としても活躍した世代でしたが、この高度資本主義社会への通過儀礼が学生運動だったと結んでいます。 

このような流れの中でウーマンリブ運動も起こり現在のフェミニズムに通じていますが、この頃に学生達が盛んに批判していた『終身雇用と管理社会』が、現在では羨むような特権的な境遇に思われているのは皮肉です。 

バブル崩壊以後の日本は不登校・引き篭もり・フリーター・派遣・非正規雇用などの言葉が飛び交う、六十年代とは真逆の衰退が平成の時代でしたが、個人の質的な義務と責任だけは問われ続けたので不安と格差だけは拡大し続けました。 

現在の社会では個人の抵抗や反抗などはみごとに吸収できる構造の管理社会になっていますので、個々人の抵抗や反抗などはのれんに腕押し状態なので忖度が最適な解答になるのです。 

学生運動が盛んな頃は労働運動も盛り上がっており、当時のメーデーの様子は現在の若者には信じられないほどの労働者の権利主張と連帯だったと思います。 

豊かさに伴う疎外感による現代的不幸は、資本主義の金がものをいう八十年代以降のエゴイズムの蔓延と繋がっており、現在その現代的な不幸はより深刻化し連鎖しています。 

学生運動は若者が疎外感と共に予感した資本主義的豊かさへの叛乱だったのですが、次第に権力を批判する材料捜しが目的化し支持を失い、孤立し追いつめられた果ての内ゲバによるリンチ殺人でしたが、若さとは鋭敏な直感には従順ですが『甘え』には気付かないという好例で、この団塊の世代から政界・財界・学者を問わず真に優秀な人間が輩出されていないのは明治のような理想主義が没落していたからと述べています。 

八十年代以降『損得を越えた後継者』が育っていないのでエゴイストが増加し続けたとも述べ、全共闘世代の多くが手の平返しで、批判していた猛烈社員に転向したのは現実の社会に対応しながらも、なお理想を手放さない成熟した人間になれなかったから悲劇に終わった。 

しかし現在のより深刻化した現代的な不幸を前に、団塊世代の一度目の失敗は悲劇だが、二度目の失敗は喜劇になるので、団塊世代の若者時代の失敗を繰り返さないために若者達の叛乱の背景とその終焉の二冊をその遺産として検証したと結んでいます。 生活や社会への不安は経済成長による豊かさだけでは解消できなかったから、学生運動も労働運動も過激化して終焉を迎えたことを教訓にしないと不安とエゴイズムから抜け出せません。 

不安の大きな原因は『経済変動の急激な上下が起こると、それまで抱いていた社会秩序や規範への戸惑いが暴動や叛乱として起こる』という歴史学者の言葉が当てはまっており、『ユートピァを夢みたそのような混乱を経て、変化した新しい時代への意識が定着する』という時間が必ず必要なのです。 

世代間の常識や意識のズレは生きてきた歴史的な背景が異なることによって生まれており、現在の右傾化や不安蔓延なども、昭和の高度成長から平成の長いデフレという急激な経済変動の変化による戸惑いが原因としてあり、新しい時代へ不安を増幅させている状況も心理的には当時と非常に酷似しております。 

世界規模でもアメリカのトランプ大統領登場から始まり英国EU離脱や中国の覇権化やイランや北朝鮮問題や大統領が二人のべネゼイラなど、ほぼ世界中で様々な形で起こっている現在は歴史的な大きな転換点にあるような気が私はしております。 

未来は不透明で予測しかできないのですが過去からは学べますし、歴史は繰り返すと言いますので不安になるくらいなら、この二冊の本と『民主と愛国』も読むことをお勧めします。 

分厚い本ですが読み易い文体で、真実の近代歴史の証言集のようで、四月の東大入学式で話題の訓辞をした上野千鶴子氏などは、小熊英二氏のこれらの著作で本当に多くを学ばせてもらったと別の対談本で率直に述べていました。 

その後に読んだ『戦争が遺したもの』という本は、ふたりの自費による三日間の鶴見俊輔氏への戦後事実を取材した三者対談ですが、小熊氏の要請を快諾し歴史的事件の背景にあった事実を聞けたと満足を表明し、生存者が少ない貴重な歴史的事実の経緯を本にと二人で編集して出版社に売り込み出版したものです。

  混乱の時代にはあらゆる場所で不毛な争いや戦いが多くなります

 が、この対談本の中で戦争を経験した鶴見氏が『不毛な争いから

 逃げることができる人間が、器量の大きな人間だ』と言ったこ

 となど私の胸に強く刺さり、私自身の器量の小ささを思い知らさ

 れました。 

鶴見氏は理念や大義などで不毛な戦いをするより、他者の人間性を注視しヤクザ的な義理と人情で選択・行動することがなによりも大切で、そうすれば自然に不毛な争いごとから逃げられると喝破しておりました。 

現在も教育を受けた時代の倫理やモラルと大きなギャップが存在する意識の混乱時期で、秩序の破壊が権力者のエゴによって起こり続けていますが、不安になっても解決しないので不毛なことから逃げる勇気と器量を持つように心掛け、真の正義や連帯獲得のために忍耐強く耐える時期だと思います。 

国境線を守る歩兵のように、日常生活の中でそれぞれの役割において『自分の質』を問い続けるという、身近な家族以外には見えないようなことに勇気を持ち続けると、きっと穏やかな死に辿り着けると思います。 

鶴見俊輔氏は会話の中で、歴史的なことより個人的に偉大だった人のことを多く語られていましたが、個人的に偉大だった男の妻の多くが人間的に立派だったと言っていたのが強く印象に残りましたが、逆説的には夫が妻の信任を得ていたということです。 過去から多くを学ぶために本を読んでいると、不安が少ない場所には強力な権力者がいない良い意味の村的な協同社会が多く、小熊英二氏がアナーキストと言っていることと繋がっているような気がしました。 

家族と地域も縦の繋がりだけでは支配と権力を生みますが、横の繋がりは敬意と連帯を生むので不安は軽減され、相互に安心感と信頼感が自然に育まれています。

そんな家族や社会になれば虐待やDVや格差拡大やエゴイズムなども無くなりはしませんが確実に減少して行くと思います。

お金信仰の資本主義も、国家信仰のナショナリズムも宗教の信仰と同じである。 

どちらも『病い』なので克服方法は宗教や哲学と同様に、不安と欲望をコントロールする『欲望の制御』思想が重要と言っていた在日アメリカ人学者(名前忘れました)の言葉を想い出しましたが、自分が捕らわれているものを病いと自覚できれば急激な変化への対処法に最適な解答と思います。