人間の行動を決めているもの。

店頭で様々な人との会話の中で、虐待・犯罪・権力者の不正行為報道などについて『なぜあんなことをするのか?』との疑問をよく耳にしますが、ほとんどの人が自分自身の尺度だけで他者や社会を推し量っているように感じることです。

人間は『自分自身が生きてきた枠組みの中で人格形成の基盤が作られている』のですが、それは社会状況や家庭環境や親戚や学校などの中で接する人間模様(関係)によって大きく影響を受け、人間各々が違った環境で人格形成が行われているからです。 

たとえば兄弟でも最初の子供と以後の子供では親の対処も無意識に変化しており、男の子と女の子でも親や廻りの対応は違っており、特に社会に出てからは劇的に人間関係が変化しますので個性と共に倫理観も含め兄弟でも人格が違ってきます。 

なぜ人は環境という枠組みに大きく影響され人格形成してしまうのか? の答えは最近の虐待報道の中にも存在しており、虐待を受けている子供が逃げないのは逃げても生きていける場所がない自覚があるからで、その劣悪な枠組みで人格形成した子供達が自分も親になって虐待を繰り返してしまうのは、自分自身が愛された経験がないと愛し方が判らないという環境による影響で、これには人間の脳のミラーニューロン機能も作用しています。 

赤ちゃんが生まれると同時に母乳を飲むのは、生への執着を本能的にインプットされ生まれているからで、乳を与えないと死に到るまで泣き続けています。 

子供は生き残るために自分の環境がどんなに劣悪でも忍従し続けやがて劣悪を常識化し、愛されて育つ子供も愛されるすることを常識化しますが全ては生存への対応で、社会性獲得の六歳頃から友人の家庭との違いなどを少しずつ理解し始める、その頃には人格形成の基盤が既に作られております。 

やがて成長するにつれ自分自身の枠組みである環境が自分自身の生存への脅威や安住の場所として認識し、生存のために対応し続けるので長い人生に影響する人格形成に繋がってしまうのです。 虐待などで弱い子供が死の恐れに繋がるような不安感を抱え続けて生きることは、大人にとっての自我崩壊感覚に近いので一生に影響する人格形成に繋がることを『三つ子の魂、百まで』と形容されてもいます。 

逆に慈愛と情を浴びて育つと、良い意味で一生に影響する人格と人間性に繋がっており、その恩恵は人生の中で多くの人の協力を得られる徳として身体に沁み込んでおります。

この両者の違いは人間関係を構築するときの良否によって顕著に現われるのですが、それは人間誰もが根本的な部分に持つ『恥』の精神が大きく関係していて、日常生活の人間関係において恥を強く感じるような劣悪環境だと僻みや嫉みの行動や表情が強くなり、人間関係が良好だと弱くなる違いになります。 

つまり慈愛を浴びて育つと僻みや嫉みが縮小した人格形成に繋がり、虐待されたり支配・命令されたりして育つと僻みや嫉みが肥大した人格形成に繋がってしまいます。

成長と共に強さを身に付けるには、親の保護と慈愛だけでなく様々な失敗による自我の崩壊感覚を体験しながらも、社会や誰かのせいにせず内省して手に入れる成功体験の繰り返しが自信を生み出し、その積み重ねでしなやかな強さになるまで失敗を責めずに見守ってくれる人の存在が勇気を奮い立たせる原動力になり、やればできるという善循環を信じるようになります。 

成長と共に幼稚園・学校・社会と進む度に取り巻く枠組みが変化しますが、子供自身の対処法は理屈ではなく過去の失敗や成功の実体験から感じ学び取っていくので、困って相談される時以外は細々と指図をせずに、親という字のように立木の陰から守っているだけで、子供自身の持つ本来の生きる力で大概の不安に立ち向かう勇気を持っていると信じてあげることです。 

一般の人には理解できない行動をとる人や犯罪者は、このような成功体験による克服機会に恵まれずに育っており、学んできたのは一般の人には理解できない行動をとる邪悪な大人を見て育ってきた不遇があり、その不遇が人生における悪循環の起点になっていると思います。 

人間が取る行動には経済的・社会的要因だけでなく、個人の体験と記憶にかなりの部分が縛られて行動しており、この記憶と体験こそが人間の人生に一番大きく影響していると思います。 

最近の成功体験という言葉は社会的な成功を言っているようなので断っておきたいのですが、私の言う成功体験は『できないことができるようになる。知らないことを知る』というような単純な個人的な喜びで、他者と比較せずに体験する個人的な達成感に価値を見出すことを指しています。 

成功体験というと何事も相対評価で判断しがちですが、相対評価は勝ち組や負け組みのように差別する不愉快で不健康なものなので、私は個々人の価値観を尊重した絶対評価による成功体験を持つことが大切だと思っています。 

アルバイトによる非常識映像のネット投稿なども、全ては人から見えている部分と見えない部分の使い分けで、まるで『赤信号みんなで渡れば恐くない』と同じで、無意識ですが大人社会の狡猾な使い分けの真似でストレス解消をしている部分もあり、いい意味で見本になるような大人との出逢いが少なくなった大人の責任があるとも思っています。 

最近の世相を見ていて、犯罪まで行かなくても人間としてずる賢いなーと思う人達が増加している背景には、損得勘定だけでなく建前と本音の使い分けが上手になっていることと、みんなやってるという多数決的な思考による自己弁護的な悪用も多く、何事においても他者もしているという言い訳で、自分自身に自己嫌悪や恥という感情や概念が湧いてこないようにしているのです。 

会社や個人への誠実な対応をしている人達に対しても、感動するか馬鹿にするかのように両極端なのものが多いのも、誠実な対応そのものが希少価値になっているからと思います。 

コンビニやチェーン店のマニュアル化した丁寧さはマニュアルの仮面をかぶせないと、人格の化けの皮が丸出しになり店頭に出せない部分もあるからです。 

最近の傾向として目に付くのはあおり運転などのような些細なことへの逆切れが異常に増加して事件や事故に繋がっていることで、無自覚なエゴなのに相手がこんなことをしたから、俺はこうしたという幼児や白痴のような自己正当化が多いことです。

これはどんな悪人でも悪を自覚して行う時の自己正当化行為で、人間とは悪いことをしているという自覚を持って自律的に行動できるほど強くないから、偽善を装う自己正当化を行うのです。 またその偽善を持ち出すことによって、自分の悪行による相手の痛みに対して無感覚になり反省もしないで済むように担保しているのですが、社会的な地位や知的水準の高い人達にも急増しており、平気で建前と本音を使い分けるということが常識として現代社会に蔓延した病理は責任を取らない大人の増加が原因です。

虐待の悪も躾という偽善によって子供の痛みに無感覚になれますし、会社生き残りのためとの偽善でリストラすれば従業員や派遣社員の痛みに無感覚なれ、経営陣は億という高額な給料を取ったり株主への配当に廻したりして安泰を計っていますが、経営判断のミスならばその経営の舵取りを誤った高給取りの経営陣が率先して責任をとり辞任すべきが道理だと思います。 

偽善者達は建前で頭を下げ謝罪しますが、決してと辞任はせずにほとぼりの褪めるのを待っているのが本音で、最近は社会的に地位が高い人達ほど潔さなどとは無縁の人達になったようです。 戦争中も『天皇陛下のため』という偽善で新兵をイジメ、占領民にも残酷なひどいことを平気でしていたから敗戦に繋がったのですが、現在もこのような状態だからデフレから脱却できずに失われた三十年が続いているのです。 

しかしこの邪悪さも人間の脳の中にDNAとして組み込まれているもので、理性というやはり人間の脳の中にDNAとして組み込まれたものとの葛藤や闘いが実利優先に追いやられ失われたからと思います。 

社会は様々な文化で育った人間が共生する場所なので、法律や警察などで限界を超えた悪を取り締まっているのですが、知的能力の高い悪人は合法的な抜け道を考え出しますので最近はイタチゴッコのように見えます。 

それより私が一番心配することは全ての人間が孤立化に向っていることで、オレオレ詐欺などは老人の孤立化にあり、イジメや登校拒否は子供達の孤立化が原因で、地域社会なども連帯は崩壊して社会全体が孤立化に向っているように見えます。 

若い詐欺集団の人達の詐欺行動にも弁明の理由があり、努力して報われない挫折経験による社会への復讐として、高度成長やバブルを経験して得た老人の資産を騙して何が悪い! 『俺達は高度成長もバブルも味わえずに大人達に騙されてきた』と開き直れるような論理を持つほどに搾取が進んでいるのが社会の実情です。 

人間の行動は、その人間が体験し記憶した部分だけが真実で、その体験と記憶をベースにして生き残る術と道をとりあえず選択していると思いますが、しかし悪への自覚を持っているから言い訳の理屈を並べているのです。 

私共のお客様で保険会社の偉い方が言っていたのですが、年寄りを集めて優しく接し最初に安い物を無償であげて、最後に高額な布団を売りつける詐欺集団にいた若者を諭しスカウトした営業マンは現在全国的にみても一流の成績だそうです。 

その若者はスカウトしてくれた人を信頼して数々の証言をしており、俺たちも悪いことをしていたが、その自己嫌悪を埋めるためにわがままで自己本位に都合よく甘えてくるお年寄り達にそれだけのことはして来たと言っていたそうです。 

安易に高額のお金が手に入るが、身体を売る女郎に似て優しさという偽善の心を売っているようで、充実感とは無縁の虚しさで早くやめたかったと話したそうです。 

彼が営業マンとして一流になれた理由は、人間の心の裏(本音)も表(建前)も見透かせるほどに積んだ波乱の人生経験があったからです。 

人間の生き残りゲームにおいて必須のものは知識と経験ですが、優先すべきは人間を知るという経験ですので、子供には勉強より遊びを優先させて様々な人間がいることを肌で知る幼児期の遊びが最も大切で、その中で社会性を身に付けながら危険を察知するという第六感も自然に磨かれております。 

集団生活の中で持つ優越感や劣等感のなども生きる力に繋がるもので、人間の行動は脳(心)が決めていますが、意識領域が決めているというより無意識領域が反射的に行っております。 

その無意識領域は個人の人生における膨大な体験と記憶で形作られており、その体験と記憶を手がかりにして判断し決断していますが、意識領域でやってはいけないと判っていても、やってしまうことの大部分が過去の体験と記憶に縛られている結果です。

 暴力も戦争も全ては『人の心』から起こっておりますが、慈愛や

 愛などの優しさや自己犠牲などもやはり『人の心』から起こっ

 おりますので、子供や若者達への環境を整え体験と記憶を良い

 ものにするのが大人の責任です。

 日本の現状を思うといつまでも米国の属国に甘んじず、在日米軍

 への思いやり予算6092億円なども負担を見直す時期で、国家

 公務員給与の4割が自衛隊員の給与ですが、どちらも税金からの

 拠出と思うと未来を担う子供と若者の育成に向けて欲しいと願う

 ばかりです。

 冷戦が終了してから欧州もフィリピンも韓国も米軍駐留を縮小

 ているのは、米国が駐留経費を負担に思っているからで、日本だ

 けが思いやり予算として負担してくれるので、東アジアへの牽制

 という米国の世界戦略に都合がよいからです。

 正邪併せ持つ人間を良くするのも悪くするのも環境と考えると、

 まずは子育て支援拡大と格差の解消が望まれます。