人間社会のサル化。

どこの上層部でも不祥事が続き、どこまでも格差が広がる政治や社会状況を見ていて、小林秀雄が『民主主義とは下克上である』と言った時代が如何に健全だったか? を思う此の頃です。 

現在の民主主義の選挙において情報操作や洗脳情報をネットで行うのは常識で、テロ組織ISと同様のことを今は民主主義国家の選挙で行われており、富裕と貧困も連鎖し拡大し続け、八人の富裕者の資産と世界人口の半数近くの貧困者の資産と同額になるほどにより格差は拡大し、下克上などは夢の時代になりました。 一方で現代教育は実利優先の教育体制が進み、大学などでも人文系や文学部などの教養系学問は姿を消して行き、全てが実利とお金という蜜を求め教養などは不要のようです。 

英語で教養とはリベラル(自由)とアーツ(知恵・技術)という二語を合体してできた言葉ですが、それは人間が自由であるためには知恵や技術が必要という教養の本質を述べています。 

逆説的に金縛りにあっているような自由度を失っている時の人間は、先が見えない・判らないという不安に恐れ怯えている状態ですが、そこを突破するには知識を知恵や技術に変換し、判らないことを予測し解決方法を探り当て、自分自身の自由度を獲得する大切な手段が教養だからリベラル・アーツ(教養)と名付けたのです。 

そしてその恐れは受動的になると増し、能動的になると減少するのは『攻撃は最大の防御』に繋がるからで、攻撃するには恐れている対象を分析し、己の知恵と技術を駆使して未来を自分自身の力で創り出す意欲が必要です。 

現代社会はこのような力を生む教養を必要とせず、実利のみを追う社会風潮が教育にも波及し続けた結果は、ネットを見ると明らかで関心事はお金と異性と食べ物のみになり、人よりお金持ち・人より偉くなることが目的化し、その欲望だけが肥大し続けているように見えます。 

一般に知識を教養のように考えがちですが、知識を知恵や技術に変換できなければ百科事典と一緒で、知恵や技術を広範囲の人達の生活に生かすことが教養の目的です。 

人間以外の動物に欲求はあっても欲望はなく、食欲や性欲の欲求も満たすと満足しており、人間のように際限のない欲望にまでは発展はしません。 

人間は実利的な欲求から際限のない欲望を持つからカルロス・ゴーンのような人が生まれるのですが、その無節操な欲望を制御する教養は他者と共生するためのもので、他者への倫理的な判断基準という思想や哲学などの人文学的思考は、社会的動物である人間社会には必須のものです。 

人類が全ての種の頂点に立ったのは、『考える葦』として実利的には何の役にも立たない思想や哲学を持ったからで、人類の進歩に貢献し多くの人に便利な文明と、心豊かにする文化や芸術などに繋げ発展してきた基盤も思想です。 

実利のお金執着という病は切手収集に似て、最初は好きな切手に魅了され集めていたのですが、気が付いたら切手を集めることが目的になっているのと同じで、手段が目的化し自分自身が切手という商品に拘束されています。 

最初は生活する手段としてお金が必要で働いていたのですが、お金と地位で私腹を肥やすことが目的になり、今は労働者を経営者の金儲けという目的の手段として利用するような搾取企業が多くなることに繋がってしまいました。 

非正規や派遣社員などはバブル崩壊後に経団連(財界)からの政治への要請で始まり、労働者への分配を減少させ内部留保を増やし、その資金で他企業を買収して企業規模を拡大し、同時に役員報酬も異常に増額し続けて、現在大企業の内部留保は四百兆円近いのですが、その間に個人資産は百八十兆円位減少しており、労働者への分配を減らし搾取した内部留保による買収結果は東芝のようにほとんど失敗しています。 

会社は株主のものではなく、社員と取引先のものという思想の個人会社も減少して行き、まるで労働者が資本家の奴隷のような状態が続くと、限りある資源の地球なのでやがて成長が止まり資本主義は破綻します。 

イギリスの絶頂時期はアジアに植民地をフロンティアとして持っていた時で、今の中国は絶好のフロンティアですが共産主義の壁で囲われており、フロンティアが減少しお金をひたすら儲ける人と搾取される人の二極化は資本主義の末期症状です。 

代議制民主主義は国民が参加意識を持てる人口が1千万人以下の国(北欧)では機能するが、それ以上の人口規模になると国民と解離し、封建時代の選ばれた貴族制政治と同様になると思想化ルソーが言っていた通りの結果です。

日本の代議制民主主義の現状は、法の支配による法治国家の状態ではなく、人(権力者)の支配による人治国家という恐怖の無法国家状態のようで、国や大企業による数々の不祥事の内実を見ると、法の本の平等は建前だけで内実は力が正義です。

  人工知能もその機器を管理する人に冨が集中するので解決でき

 ず、冨をめぐる分配システムの公平性や、法の本の平等の維持

 近代お金社会の難問です。

 正邪を併せ持つ人間を思うと、資本主義と共産主義の折衷思想が

 理想なのですが、問題解決を難しくしているのも人間の業で、

 酬を平等にすれば働かない人が出て、成果主義にすると横取り

 するずる賢い人間がおり、誰かが裁量をしてもえこひいきが生

 まれるという抜け穴を限りなく考える動物が人間の性です。

 しかしこの難問である公平な分配制度という新しい思想を創る努

 力を続けないと、搾取される大勢の人達による謀反現象で世界的

 な右傾化に繋がっているように、戦争が起こった経緯を辿ると全

 てがこのような経済的に追いつめられた国民を誘導する権力者

 選択が戦争の発端になっています。

 先進国の少子化は子供を生み育てる苦悩を伴う喜びより、子供を

  育てる費用と子供に何が起こるか予測がつかないリスクを考えた

  ら結婚も子供も不要で、そのつど性的欲望や物欲を満たせばよい

  という刹那感で、人間特有の精神的な情愛は必要ないという欲望

 だけの要因もあります。 

人生には突発的な出来事や偶然が引き起こす不運や幸運もあり、特に子育ては予測できない事態の連続で、そんな中で必然と偶然を教養で判別し、必然を避け偶然を乗り切って行く営みの積み重ねが、少しずつですが人生を豊かにすることに繋がっていることも忘れられているようです。 

男と女も予想外の伴侶との愛憎や葛藤や性愛関係の中で家庭を操縦して行くのですが、実はその過程を通じてその家庭特有の文化が形成されています。 

どのような文化の家庭を作り上げるのかは知識や知性ではなく、他者と共生するという目に見えない教養が一番大きな要素を占めており、その育った家庭の文化の功罪はその家庭に生まれた子供達が背負い生きて行く宿命にあります。 

経済格差は虐待やネグレクトや家庭内暴力の遠因にもなり、このような家庭の文化も連鎖する傾向があります。 

たとえ人よりお金持ちで人より偉くなることを達成しても、他者との共生や共有が存在していなければ人生の終末には空虚が待っており、終末期の心境こそがその人の教養度合いの結果です。 

誰でも終末期には、他人の羨望を得ることや損得勘定という利害を越えた合理的ではないものに生きた意味を感じるのですが、ほとんどの人はその場所に来ないと理解できないようです。

 人間がどう生きるか? は死と密接に繋がっていて、その人が 

  『他者のために何をしたか』が歴史や家族に名を残すことで、最

 終的には『何に対して欲望を持ったか?』の結果なのです。

 京都大学総長の山際寿一氏は霊長類学の研究者ですが、最近の人

 間社会は加速度的に『サル社会化』していると警鐘を鳴らし続け

 ています。

 集団で暮らすサルには人間のような高い共感力がないので、お互

 いの関係を強い弱いという序列のルールを設けて争いを避けて

 いる社会だそうです。

 食べることは別々で餌を競合しないようにし、休む時は一緒で危

 険を察知し合うルールで生活し、この逆の選択をしたのが人間で

 一緒に食べて分け合い、休む時は分散してプライバシーを尊重

 して平和を保つという行為はルールではなく人間だけが新しく作

 った社会性ですが、最近の人間はその社会性で暮らすことが面倒

 なり、ルールに従うことで安心を得ようとする社会を築き始めて

 いる、つまり『人間社会のサル化』が進んでいると述べてます。

 サル化が進みルールを増やしても守らず、バレなければ良いとい

 という政治家・官僚・経営者などが日本の上層部を占めているか

 ら不祥事は果てしなく続き、国の借金と弱者を増やし続け社会の

 再生を難しくしています。

 日本が太平洋戦争に突き進んだ上層部も同じ状況でしたが、解決

 策もここにヒントがあり全ての部門の五十代以上をパージ(一掃

 ・抹消・粛清)し、政治家・官僚・大企業経営者などは四十代以

 下に委ねることが日本再生の最大の近道では? と思います。

 長く生きていると情実や癒着から逃れられませんが、若い人達に

 はそのようなものが少なく、日本には本当に優秀な若者達が多く

 いるのに、悪い大人達に押さえ込まれ埋もれております。

 日本は何事も外圧なしで変化できない体質がありますが、自らの

 力で変革できないのならサル化したついでに世代交代をルール化

 れば良いのです。

 あの敗戦からの高度成長は意気に感じた若者達の力で、稲山・土

 光氏なども四十代で経営の中枢に入り奮闘したように、江戸城無

 血開城を果たした明治維新の立役者も三十代の若者達です。

 私達のような老兵は消えてしまうか、元気なら隠居して若者達の

 下働きに徹する覚悟を持たないと日本は再生できません。

 昔元服も隠居も早かったのは『地位が人を作る』という言葉を信

 じ、腐敗しないよう新陳代謝を優先し健全を維持したのです。

 そうすれば落葉や人糞が腐敗し腐臭を放っているような現状も時

 間と共に肥やしになり、闇夜に新芽が出てくるような現象が日本

 の各地で維新として起こって来ると思います。

 若者がこの劣化した社会制度の中で生きる以外に道がないとすれ

 ば、公共に犠牲を払わず公共を利用して私腹を肥やす生き方

 か? 上司に忖度してそこそこの人生を生きるか? 忖度も逆ら

 いもせずに生まれた時代を受け入れ淡々と虚無的に生きるか?

 ではないかと思います。

 しかしこの虚無的な生き方を選択している若者の根には醒めた熱

 情と思想が潜んでおり、場所と地位を与えさえすれば思想と熱情

 に点火され、集団や組織を動かすような力を持っていると私は思

 っています。

 忖度する小利口な人間は当てになりませんが、『足るを知る』こ

 の醒めた虚無タイプの若者は目立ちませんが当てになると思って

 います。

 新しい年を迎えるごとに、そんな若者を発掘し組織の舵を託す態

 勢にすれば再生の芽になり、今失われている信頼や共生の社会に

 も繋がると淡い希望と期待を若者達に持っております。

 少しずつでも良くなっているのが人類の歴史ですので、皆様の新

 しい年が良い年になることを願っております。