嫌な人に遭わないで、美味しいものを!

私は自営業を始めたある時から相手に対して鏡のように振舞うようになり、今では身体に沁み付いてしまったように思います。 

特に妻を亡くしてからお客様でも嫌な人には言葉も態度も露骨に出ているのは、言葉にすると残りの人生『嫌な人と遭わないで、美味しいものを食べ』て過ごし死にたいと思っているからです。

妻がいなくなってから心の傷を負うと、ひとり身の家に帰って料理や家事をしていても心の傷は疼きます。

それはまるで心の便秘のように吐き出すことができず、妻に話して消化したり傷を薄めてもらったりもできないので、『たとえお客様でも嫌な人には遭わない』ようにするために、意識的に嫌われるように振る舞うことにしています。

特に嫌いなタイプは優しくないエゴイスティックな人で、建前と本音を上手に使い分けるタイプで、それは妻がよく言った鋭敏な感受性が察知してしまうからですが、相手は私が気付いていないだろうと高を括っているのも私には見えているからです。

現在は三十年以上の固定客の方達が九割ほどを占めていて、このようなお客様のために頑張っているのに、嫌な人のために体調を崩したら本末転倒で迷惑をかけますし娘達にも迷惑をかけるので、私自身のこれからを支える両輪に支障をきたすので決断しました。

妻が元気な時に『あなたは小生意気だったり、憎たらしかったり、可愛かったり、優しかったり、相手によって百面相のよう』とよく言われ、その度に『すみません』と謝ったものです。 

事実好きな妻に対しては忠犬と番犬になれましたし、四歳の孫には家来のように仕え、まだ自我の目覚めがない七ヵ月の孫には慈愛のみで接していますが、今はお客様でも嫌いな人には相手の嫌な部分を刺激するような態度と言葉で意識的に応対しています。 

最近四歳の孫が私の車に二人きりで乗る時、私の車のキーを持ちキーボタンを押し開けますが、私がドアを開けようとする瞬間にキーボタンを押し閉めます。 

私が『やめてー』と言うとニヤリとして何度か楽しみ乗車することが習慣になっています。 

この意地悪行為の底には、私への大きな信頼感が横たわっているからで、私が絶対怒らないという確信が孫にはあり、その信頼感がお互いに存在しているから楽しめる意地悪行為です。 

妻の忠犬と番犬になったのも、長い夫婦生活の中で、妻が私に対して果たした何気ない言葉や行為や想いによって培われた信頼への確信があったからですが、どちらも私が嫌いな人とは逆の建前は意地悪ですが本音は信頼と優しさのシャイな表現なのです。 

人間は誰でも百面相のように色々な顔を持っているもので、この人には優しくしてあげたいが、この人には絶対嫌だということもあるのが人間で、これは動物としての嘘のない姿なのに、損得勘定が優先される世の中になって進化? 退化? したのです。 

ほとんどの人は気が付いていませんが、誰でも相手次第で無意識に百面相になって生活しており、優しい気持ちを引き出してくれる人もいれば、憎しみや嫌悪感を引き出すような人もいます。 

その憎しみや嫌悪感を持つような人にも、優しく良い人であろうとすると自分自身を痛めつけ苦しみに苛まれることに繋がっていることに気が付かない結果、人生が嫌になったり自殺に繋がったりする人達が生まれているのだと思います。 

イジメなどで子供が自殺するのも、家庭不和や会社の人間関係などで自殺するのも、自分自身を自分で限定してしまうからで、強い自分や優しい自分などと限定などせずに、弱い自分になって逃げ出したり、嫌悪感を露わにしたりすれば良いと私は思っています。 

このような考え方になったのは、多種多様なお客様との葛藤から学んだことで、そこから『あなたの多様性も認めるけど、私の多様性も認めてもらう』という単純な答えです。 

そこにはお金を貰うから我慢するにも限度があり、人それぞれ多様な価値観で我慢の限界にも差異があり、面従腹背で接し商品で誠意を減少させ利益を頂くという考え方が今の時代は常識です。 

私は面従腹背より、誠意を持った商品を売るので迎合はしないという価値観の方が強く、その迎合しない姿勢と売る商品の価値を評価してくれるお客様だけで良いと思っており、それで店が潰れたらそれだけの商品しか売っていなかった自己責任と思っています。 

勿論生物として生き延びるためと、妻や娘がいた時は世帯主としての責任が大きい分、自分の我慢の範囲を広げて過ごしたこともありました。 

生き抜くということは綺麗事だけでは無理で、ここまでの人生で自己嫌悪に苛まれるようなことも経験して辿り着いた考え方です。 元々偏執的な性質を持ち合わせていた私が、『他者の多様性も認めるが、私の多様性も認めてもらう』という考え方は妻を亡くしてから一段と強くなり、すべては私個人の自己責任の身になったので、死までの余生をあるがままの自分らしくと思い決断しました。 

人間とは本当に不思議な動物で、好きな人のためなら我慢をしても贈与したくなり、その贈与に喜びすら感じている時、いつも人間に生まれて良かったと感じておりました。 

日本の社会では個性より同一性を求める強い力が働いており、学校でも会社でも地域社会でも他者と同じであることを求める力が見えない重力のように強烈に個人を圧迫しておりますが、その犠牲や生贄になっている人達があらゆる場所に沢山いると思います。 

私自身はたった一度の人生だから、もっと楽に多面的な自分を露わにして生きても良いのではないか? と悩み苦しんでいる人達に逢うたびに思い言ってしまいます。 

先日図書館で平野啓一郎氏の『私とは何か・・』という題名の本が眼に止まり読んでみて、平野氏の一歳の時に父を亡くした境遇による豊かな感受性と、祖父の愛情による自己肯定感が生んだ人間性の深さに感銘させられました。 

平野氏は文学者にしては珍しく漱石より鴎外の方がずーっと好きと言い、その理由が自己責任論で個人が悩むことより、制度や因習や無意識などの不可抗力のような背景の問題で悩む個人を鴎外が捉えているからと述べており、人間を主体性や自我などとは反対側から捉えている、私は私のものではないという森鴎外の広い視野感覚に惹かれたようです。 

このような平野氏が『私とは何か・・』という本の中で、『分人主義』という言葉で表現しているのが、『人は相手次第でごく自然に様々な自分になる』分割可能な分人である、それは仮面とかキャラを装っているのではなく、対人関係によって違う自分が複数同居しているのが人間という思想です。 

『たったひとつの本当の自分』という幻想のために悩み苦しみの迷路に入り込む人が多いのですが、実は『本当の自分』などという実体はなく、様々な人と接している分人の時がその人の実体で、その分人は環境や対人関係の中で多様に形成され、環境や相手との相互作用によって変化しているという思想です。 

例えば学校でいじめられている時、自分は惨めにも本質的にいじめられる人間と考えがちですが、それはあくまでもいじめる人間との関係で考えるからで、そこから逃げ出してこの人といたら楽しいと感じる人間関係を足場にして生きると惨めさからも解放され自己肯定感に繋がると述べています。 

そんな人との反復的なコミュ二ケイションを通じて形成される人格や人間性の方がよっぽど健全な自分になれます。 

人間とは他者と繋がる相互作用の中で変化して行くのが実体で、たった一つの『本当の自分』などは存在せず、対人関係ごとに見せる複数の顔、すべてが『本当の自分』であって、人は多様な他者によって新しい自分になっているという明快な思想でした。 

人間は誰でも、社会的に振舞う自己と、家庭的に振舞う自己と、決して他人には見せない自己を持っており、実は使い分けて生きているのです。 

携帯電話による写真撮影が手軽にできる時代になってから、違法な盗撮愛好者が潜在的には二十万人おり、一度すると精神治療でも完治が難しいそうですが、これなどは決して人には見せない悪魔的楽しみで高学歴の人に多いそうです。 

私がサラーリーマンから自営業になったのも、嫌な上司に仕えるのが避けられない状況を経験したことが最大の理由でした。 

生活の安定を失う代わりに得る自由を選択したのですが、そこには別な不自由が存在しており、そんな繰り返しの中で分割された私の多様な分人としての人生があって、今のきめ細やかな人達との繋がりになり、私自身のこれまでと今の人生が肯定できています。 

人間は嫌いな人といると、自分自身を肯定できない思いに苛まれるのですが、好きな人といる時の自分は大好きな自分になっているものです。 

この好きな人といるという他者を経由した自己肯定感の獲得はかけがえのないもので、私が妻を亡くしてから実感したことは、愛とは相手の存在によって自分自身を愛し肯定できるようになっている関係です。 

今私は娘達や孫や長年のお客様のために、自分自身を大切にしているように、人間は愛する誰かのために生きることで自分自身が肯定され強くなれるように思います。 

私が自分自身の存在に初めて肯定感を持てたのは妻と出会ってからですが、ひとつは妻が世間や娘にも見せない自我の顔を私には平気で見せたことと、もうひとつは私の偏執的な部分に出会った時いつも、まるで子供を扱うよう『好きにしていいんだよ』と微笑んで言ってくれたことでした。 

親からも誰からも貰ったことのなかったこの信頼の言葉が、私に自己肯定感という自分自身の存在への自信を初めて持ったことは鮮明に覚えており、ひとり身になった今も私を支えてます。 

愛とは真逆な憎しみに近い嫉妬は、相手の気持ちが自分より別な人に傾いている時に起こり、自分への気持ちを優先的に求めていますが、本当の愛とは贈与で嫉妬は略奪に近い感情であることに気が付いていないから起ります。 

三十歳頃に嫌な客と喧嘩している時、明治生まれのお爺ちゃんが来店し見ていて、その後『嫌な人も仏様だよ、高野さん』と言い、悪い人がいないと良い人が判らないと穏やかに話してくれ、次回来店時に親鸞の『歎異抄』の本を置いて行き、亡くなるまで様々なことを教えてくれました。 

今でも亡くなった様々な人達が様々な状況で想い出されるのは、故人の口癖や考え方などを真に理解していた関係性が構築できた間柄になると、それと似たような状況になった時に無意識的に死者と対話をしているものです。 

閉店し自宅に戻り家事をしていても、歯磨きしながらうたた寝しても、その状況に発した妻の口癖が聞こえて来て、パークゴルフやカラオケに一人で行っても、ひとりではない気持ちになれるのも、妻からもらった『あるがままのあなたでいいんだよ』という言葉が聞こえ、その自己肯定感と過去の日常の想い出が今の私を支えてくれていると最近はつくづく思います。

人間は誰でも歳を重ねるごとに多様な他者によって新しい自分になって行くのですが、いい意味で新しい自分になるためには自己肯定感を授けてくれるような、自分が大好きな人との関係を優先し大切にすることが人生を豊かにすると私は確信しています