友藏爺さんの増加を願う。

大企業・官僚・政治家・スポーツ界など、職業を問わず上層部の腐敗ぶりを嘆くよりも腹立たしいのは、未来ある若者を使い捨てにするブラック化の私腹肥やしが日本の上層部全てに蔓延している事です

これは国家そのもののブラック化で、長期的には国家の衰退と滅亡にも繋がり、その苦しみと悲哀を未来の人達に残す結果に繋がり、自分達さえ良ければ良いというエゴの大人集団が跋扈した時代が平成の三十年だったと後世に言われることでしょう。

『反知性主義』というむき出しの粗野な敵意が闊歩し、実利を優先した大学教育になってから、教養教育は建前の見せかけになった果てに、悪貨が良貨を駆逐し実利のみを求める、無教養な守銭奴による支配の裏側が、平成の終わりと共に表面化しています。

教養とは知識量が多いことではなく、『人間が決断する時、何を選択しどのような行為に及ぶか? 自分の選択と行為には倫理的な基準を照らし合わせて決断する能力』を持つことです。 

それは学問で得た知識によって自分の人格が深く影響を受けるような教育機会の喪失が係わっていて、実利優先教育の弊害として潜伏していたものが表面化しているのだと思います。 

自分が決断する選択肢が、どのような広がりで他者に影響を及ぼすのか? その影響の広がりと帰結を推し量ることで、己の可能性と限界を思い知らされ鍛えられて洞察力が養われるという、自己を見つめ振り返り葛藤を繰り返して身に付ける知性が教養と呼ぶに相応しいものだからです。 

教育が目指しているものは、知識から利益を生む実利だけでなく、知識を得ることがその人間の生き方に影響を与えるものが必須であり、その結果として培養され熟成されているものが教養と呼ばれるものです。 

少子高齢化は若年労働者の負担を増加させ続け、労働生産を生み出さない高齢者の社会保障費増加で国の借財は増え続けても解決策が出て来ないのは、誰もが自分自身の痛み回避を最優先するからです。 

何事も血を流さないで改革・改善は無理で、若年労働者の分母を大きくして、高齢者の分子が小さくならないと健全な国家財政が無理なのは厳然たる事実です。 

高齢者の分子を小さくするのは自然減を待つより他にないとすれば、少子化を改善して分母を大きくする努力が一番賢明な方策です。 

それなのに今の日本で行われていることは、若者を『使い捨て』にするような過重労働や搾取の横行で、パワハラや過労死で若者を自殺や鬱病に追い込み、セクハラやマタニティハラスメントで女性の労働意欲を削ぎ少子化に拍車をかける行動が横行している現状も、自分達の利益という短期的な視点でしか考えていないからです。 

社会や国家の健全な姿は、若者達が未来への意欲や野心を燃やせるようにすることで、安心して子供を生み育てられと確信できるような制度がない不安感から少子化が進んでいるのです。 

格差が拡大し過ぎた若年層の貧困から、経済的理由で結婚できない人達の増加や、学生の半数以上が奨学金で通学し、その七割はアルバイトに従事して通学しており、そのアルバイトにも過大なノルマや過重労働・残業不払いなど、力が正義のブラック化で未来ある若者達を利用する吸血鬼のような企業の方が社会を浸食し続けています。 

逆に良心的な中小企業は、目先の損得勘定のみ優先の消費者増加で減少し続け、ブラック企業に食い潰されて、倒産して社会に迷惑をかける前にと考え廃業している姿も多く見て参りました。 

悪循環のスパイラル連鎖が平成の三十年だったと思うのですが、来年新元号を迎えるのを機会に善循環のスパイラルに転換するために、保育園の義務教育化のような子育て環境改善による社会的支援が必要で、若者が安心して子供を生み育てられるような社会の仕組み作りが国家制度として急務です。 

保育園の義務教育化は社会学者の古市憲寿氏が提唱し、同名の本も出版されておりますので興味のある方は読んで欲しく、消費税の一%程度で実現できるそうです。 

その効果は共働き世帯の増加で人手不足も解消でき、母親の産後鬱病の減少にも繋がり、乳児にとっても父親にとっても家庭環境の健全化に貢献し、幼児虐待なども確実に減少しますし、安心できる共働き世帯増加によって可処分所得が安定すれば、犯罪や虐待も減少し治安維持費にも貢献します。

日本では何事も対処療法が基本ですが、子供を生むことを奨励しても、その子供を育てる義務と責任は親に押し付け貧困に追い込んでいては、その子供が社会に貢献できるような大人にならないので、逆に社会的費用が増す犯罪者や病気(引き篭もりや精神病等)の大人の増加になってしまっています。 

対処療法より原因になるものを除去して行くことの方が成果を生むのに、目に見える目先のコストを惜しむ傾向があるのは、受益者が若年層に限られることと、既得権益を手放したくない力が働くことと、日本人特有の変化への恐れで、このような英断には選択と行為に対して倫理的な基準を照らし決断する能力という教養が日本国民の多くに必要になります。 

原発廃止などができないのも既得権益を持つ強者の論理が優先されるからで、温暖化による異常気象も被害による復興費で対処するより、温暖化防止策を世界的に講じる方が安価で犠牲も少ないのですが、その方策によって利益を得る者が変わるので、既得権益を守りたい者からの政治的な大きな力が働きます。 

銃社会アメリカのライフル協会のように、得た利益が政治力として働く循環が人間社会の常で、何事も正しい方向より利害が優先されるからで、これも人間の業のなせる宿命でもあります。 

国が進める障害者雇用政策なども、民間には義務と責任を押し付け罰則も付与されているのに、権利と自由を振り回す国の機関は偽装しても罰則がない不条理は到るところにありますが、生き物の世界では神代の昔から『力が正義』が現実の世界です。 

福島の原発事故後に廃炉費用の問題が浮上した時、私は東電を倒産させるべきだと思っていました。 

事故の責任は東電の管理体制にあるのですから、廃炉費用によって債務超過になる企業を倒産させ、新会社という新組織によって電力供給体制を作り上げると権利義務が明確化され、反面教師にする新組織運営であれば、自然エネルギーシフト等も企業サイドから起こると思います。

 世界的航空企業パンナムや日本航空の倒産は、その企業に巣食っ

 た膿みを完全に出し切りましたが、もし存続させたままだったら

 既得権益を主張する抵抗勢力の力で解決できなかったでしょう。

 倒産と新会社の設立で表舞台に出てくるのは、必ず次世代の人達

 で、必然として世代交代が起こりますので、未来ある若者は存続

 への危機感から己に厳しく消費者サイド思考で対処しますので、

 切磋琢磨し生き残りを計って企業は健全化して行きます。

 勿論人間は自分が一番大切なのですが、節度がない強欲は社会悪

 と破綻に繋がりますので、身を守る程度の欲にとどめる知恵が教

 養というものです。

 私が人生の岐路で迷った時の選択基準はいつも未来志向で、どち

 らの選択が将来ある人達のためになるのか? で、妻が元気な

 時には妻が最優先でしたが、妻の死後は何事も迷わずに未来志向

 で決められるようになりました。

 今後仕事では従来の固定客の方達のためだけに、私的な部分では

 娘達の家庭のためにと決めて自分の役目を果たし、看病や介護で

 手を煩わせない突然の孤独死を願っています。

 先日は娘宅に夕飯に呼ばれ、用意ができるまで四歳の孫に従って

 遊んでいたのですが、翌日娘に『お父さんと??が遊んでいる様

 子を婿殿と二人で見聞きしていて、まるでちびまる子ちゃんと

 蔵爺さんみたい』と話していたと聞かされました。 

 よく知らなかったので調べてみたら、本当に似たようなもので私

 は孫の家来のようなもので、困った時や欲しいものがある時は誘

 導・相談されるのですが、陰で親の承諾を得て期待に応えるよう

 にしていますが、二人の時の孫は私には上から目線です。

 知らない人や保育園で自我を押し殺し我慢している孫の様子を見

 ていて、思うようになる爺に自我を出し続ける中で自信をつけ

 て、分別というバランス感覚に繋げて欲しいからです。

 未来に向けて日々成長している人の姿を見ながら、その成長の肥

 やしになるのが私の最後の役目で、孫だけでなく前向きな身近な

 若者達へも元気な間はご奉公したいが今の私の気持ちです。