台頭から没落まで。

個人も法人も国家も繁栄があると没落が待っているように、一人暮らしの最近は我が身の没落を予感して、人生を振り返りながら過去も未来も俯瞰して眺める癖がついてしまったようです。

北朝鮮をめぐる不穏な情勢でも、国民性によって捉え方や対処の違いの中に各国の歴史教育の違いが関連しているように思います。

一般にどこの国でも自分の国の非を隠し青少年を教育しているのですが、何故か日本はそうでないものまで侵略戦争と教科書に書き、マスコミは良心的を装い社会主義的な正義を振り廻すから、つけ込まれいつまでも補償問題が続き、若者の覇気は失なわれます。

オバマ大統領が広島で原爆の死者を追悼しても謝罪しなかったのは保障問題に発展すればアメリカの国益に反するからで、そして帰国すれば米国民から謝罪を非難されるのは明確だからです。

アメリカは一貫して『悲惨な戦争を早期に終わらせるために原爆を使用した』ですが、それは自国民の誇りを維持するためです。

つまり国家は自分の国の非を隠し正当化を計るのが健全な姿で、その虚偽の上に次世代の誇りを育てることが国家の義務で、健全な国家とは偽善の上に存在する実は嫌なものですが、もしここに良心的なものを介入させ始めたら外交で補償と称してつけ込まれるのが歴史の常套手段なほどに人間とは邪悪な生き物なのです。

最近の若者の無気力も、日本の歴史的な非を教科書やマスコミで繰り返し良心的と称して教育・喧伝するうちに、若者が日本人としての誇りを失ってしまったのでは? と思ってしまいます。

このようになった歴史的背景に日本の模倣の歴史が関係しているようで、初めは遣唐使・遣隋使などのように中華に学ぶ模倣から独自の文化を作り上げ、幕末からは遣米遣欧使節派遣で欧米に学ぶ模倣に走り、尊王攘夷で明治政府を作り上げると平気で攘夷など投げ捨て欧米の模倣でしたが、日本人は一度真似に走ると過去の良いものまで投げ捨てて、古いものは悪で新しいものは善と考え咀嚼という哲学もせずにひたすら丸呑みで一気呵成に走り続ける傾向があるので、結果は最良か? 最悪か? になりがちです。

中華に学び欧米に学んでも、今までの良いものは残すという自信を伴う一貫性がないので、つけ込まれるとすぐに謝罪します。

文部省も自分の国の悪口は教科書に載せないと言えばいいのです。

歴史認識の真実は大人になって成熟してから学べば良いのです。

終戦後も含め今までは運良く来ましたが、これからは役人・教師・マスコミだけでなく若者が接する大人達の力への迎合の姿を目の当たりにして育った弊害も無気力の遠因なので、日本人の『を運ぶ気力が相当に回復しなければ日本の運も尽きるでしょう。

台頭から没落まで、平清盛が二十年だったのは源頼朝を助けたからで、頼朝は義仲と義経を殺したので鎌倉幕府は長く続きました。

ヒトラーは十二年でしたが、ソビエト領土の広大さと予定外の冬の訪れの早さによる寒さとぬかるみに補給路が断たれ、短期決戦のはずが長期化した二つの目論見外れが短命の原因です。

『花は一時、人はひと盛り』の言葉通りですが、花が長く続く要諦は盛りに乗じて頂点を目指す驕りへの節度と工夫の戒めです。

それと模倣が一方向に偏らない心得が肝心で、一般に成功者は最初に成功した方程式から抜けられず、自分の成功体験の模倣を続けた慣性・惰性で過ごしがちですが時代環境と浮世は変化しています。

時代と浮世が変化したら過去の成功体験は通用しないので、他人にあって自分にないものを自覚し、新しいものを模倣する勇気がないと過去の自分を越えて成長することは望めません

この自己否定の繰り返しが若者には出来て年寄りは難しいのです。

絵画や小説などの芸術家も処女作から抜け出せず、ひたすら少し形を変えてなぞっているだけが多いのは、著名な作品と同じ物を欲しがってお金を出す人が絶えないからでしょうが、芸術家本人は内心さぞかし苦しみと無念で書いて(描いて)いると推察します。

昔ピカソのことを書いた本で、日本の浮世絵模写に没頭してから抽象画に到った経緯を読み若い頃のデッサンを見て、基本を徹底して学び新しいものへの好奇心を持ち続け、自己否定を続ける謙虚さの果てに湧き出てくる自我の中から、独創性という真に新しいものの想像に到ることを思い知らされました。

人間が悩み行き詰った時に一番良い方法は、同じ悩みから成功している人のマネを徹底してマネし続けてみることが解決法です。

そこからピカソのように独自のものが生まれないなら凡人で、真似で終わっても夢中になっている間は悩みから解放され、独自のものに戻ってみると微妙に変化している成長を少しは自覚できます。

私はアメリカの没落はベトナム戦争頃が序章で始まっていると思っていて、アメリカの台頭頃から世界中の戦争でアメリカが関与していないものはなく、いつも大義は民衆のためという民主主義を振りかざした正義でしたが、兵器産業の資本主義に根差した資本家とアメリカの拡大欲が隠し持っている本音です。

戦争に勝ち負けはあっても正邪はないのに、恐らくアメリカが最初の戦争に正義を持ち込んだ国で、偽善の東京裁判を行い現在も怪しげな偽善の汚れた正義を振り廻していますが、実は報復や復讐なのに正義の旗印でごまかす偽善が必要な所が人間の一番嫌な所です。

ソビエト連邦が崩壊するまで特にインテリは、格差のない社会が大義の共産主義を正義と錯覚し、資本家は悪で労働者が善と学生運動に走って、日教組や国鉄の動労が傍若無人でも新聞社は擁護の報道していたのも系列労働組合で繋がっていたからが真実です。

共産主義は覆い隠した格差と腐敗で中から崩壊したのですが、今は資本主義の過大搾取による格差拡大で制度疲労が加速しています。平等を目指すと権利を主張して義務を免れる者が現れ、競争を導入しないと努力をせず、競争の中でも悪知恵を働かせてアンフェアーな勝者を目指すなど、エンドレスの欲望の拡大に走り没落の谷へ邁進するずる賢い嫌な動物と子供の頃に思った冷めた私は、同じ嫌なものが自分にもある自覚からいつも死にたいという願望を持っていたのだと思います。

私とはあらゆる面で正反対の妻との四十二年間の夫婦生活で、お互いがお互いをマネでなぞりながら過ごし理解に繋げる中で、私が妻から学んだ程々の欲望が私を救い没落をここまで引き延ばしてくれた振り返る此の頃ですが、最近は邪悪で強欲で嫌な存在の人間が考えた中で一夫一婦制は中々良いものと再確認しています。

偽善と矛盾は必要悪ですが、孫と接するたびにひたすら心配になるのは、急速な文明の進歩が個人や国家の没落を越えて、豊かさの台頭から際限のない頂点を求めて地球規模の没落を早めるのでは? と次世代を思う老婆心に悩まされています。