官僚的で感情的なトップの増加。

ひと言で言うと『官僚的で感情的な人です』と表現された人は、一般の人なら誰でも知っている大企業の社長のことで、このように答えた人は企業トップと会う機会が多いお仕事をしておりますが、私が聞かなければ人の事をとやかく言わず、いつお会いしても穏やかで人間性と含蓄に富みながらも、私のように吠えない所が魅力で一回り以上お若い方ですが帰る後ろ姿にはいつも頭が下がります。

トランプ氏や安倍首相の対応も官僚的で感情的ですが、トップにいる人達が官僚的だけでは害が少ないのですが感情的な人がトップの場合は非常に危険で、組織の多様性が失われ優秀な人材が去り、人材育成も含め数々の弊害から危機管理を危うくすることに繋がり、結果として破綻が突然訪れる危機に到ります。

感情的な人は駄々っ子の幼児と同じで、説明や説得も聞かずに自我を主張しますので手に負えず絶句という沈黙を強いており、その上多くが沈黙をしたら駄々っ子は勝利と勘違いしております。

日本の多くの会社組織や官公庁でもこの駄々っ子に占拠されているようで、東芝やシャープや最近ではエアーバック製造のタカタなどの旧経営陣などもそうで、身内という密室の官僚的組織の中において感情を抑えられないトップが支配するようになると、中枢の全てが人間がイエスマンで満たされ違う意見を述べる人を追放してしまい、その結果として寛容から得られる多様な意見と選択肢が失われ自らを客観視できない暴走状態になります

前の下剋上で述べたようにアジアの辺境である小さな島国の日本が世界の経済大国になれたのは、日本国民の教育レベルの高さと下剋上文化があったからですので、野党や自民党内から湧き出る下剋上に期待するよりないのですが、不安なのは最近の日本人を見ているとこの下剋上体質が失われ始めていると感じることです。

タカタは同族経営が続いた会社で、不良品への最初の対応が遅れたことが原因で一兆円以上の負債ですが、もし権力者に媚びへつらわない社員が残っていて真っ当な意見を進言できていたら、会社更生法まで追い込まれなかったと思います。

倒産した山一証券や東芝の中で働いた人達だけは知っていますが、本当に優秀な人達は倒産前に退社しております。

この人達は倒産前に逃げたのではなく、職業倫理や道徳も含めた人間として企業風土に嫌気がさしただけではなく、感情的な駄々っ子のような上司への嫌悪感が一番大きかったと思います。

自分に噓をつかずに生きて行く能力と自信がある人達は、自我より会社の未来のために進言していることを聞き入れず、トップの権威を振り廻した感情的な対応に終始する状況に嫌気がさし退社しておりますが、このような人達のその後を注視していると、この人達が起業し成功している小さな記事が五~十年後出ていることが多く見受けられています。

権力に媚びへつらわないで進言する人間を許容する器がトップになければ、戦力になる必要な人材が去って行くことに繋がり、企業や組織の崩壊の序章は実はここからもう始まっているのです。

バブルの頃から安倍さんのような仲良しグループで利を貪ることを大企業内でも内密に進行していましたが、その頃の含み益や社会的信用の貯蓄がある間は露呈しませんでしたが、デフレの長期化と過酷でグローバルな企業競争の時代を迎えたので、一癖も二癖も持っている優秀な人材を失いシャープや東芝のような世界的技術を持った大企業でも海外企業に買収される素因になったのです。

これは表向きは日本の企業が海外企業に買収されたようですが、実質は日本人が海外の人間に買収されたことで、現在シャープに勤めている人達に聞けば判りますが、買収した韓国企業の経営陣に使われて不本意ながら再建に汗を流しているのです。

他者の話を聞かない官僚的で感情的な人がトップの会社に残り媚びへつらうこと地獄ですが、能力と自信がある優秀な人でなければ出るのも地獄を味わう覚悟が現在の状況です。

人間は過去の成功体験を元に未来を描くのですが、環境も状況も刻々と変化する現代は過去の常識はアッという間に未来は非常識になっていますので、組織は多様な人間で活性化しておかないと対応は後手を踏み、日進月歩の現代における後手は深手になるハイリスクな時代になっているように思います。

感情的な人のもうひとつの欠点は『つまらぬ正義を振り廻す』傾向が強いことで、その正義はいつも自分を認めない対象を攻撃し続ける偏執性を持っていますが、そんな指導者層を増加させた根本原因は権力に迎合する事なかれ主義の人達が増え、偏屈な日本人が減少してしまったからと思います。

汚職は企業や国家を破滅させませんが、間違った正義に騙されたら企業や国家が倒産と破滅に到ることは歴史が証明しています。

正義ほど危険なものはなく、誰でも自分のことを棚に上げて考えないと正義などは振り廻せないはずで、自分にもある傷への自覚と恥じらいを忘れて振り廻す正義で一方向に向かうと、その果てには取り返しの効かない危機を招く結果が待っています。

小さくは家庭から大きくは国家まで、その舵を握る者の器を測る一番の目安になるものは感情の抑制が効くか? どうかです。

人皆違う考えと判断で生きている社会の中で、ひとつの組織を導く役目を背負う者が感情の抑制もできないで、少しでも正解に近い決断を下すことなど無理なことで、その判断には多種多様な人間を取り込める人間としての器の大きさが必須です。

感情の抑制ができない人ほどいつも正義を強調しますが、抑制の効いていない声高な正義の叫びの裏側に潜むものは、エゴと嫉妬が渦巻いている場合が多く、聖書の中にある『正義は汚れたパンツ』の言葉のように、正義とは振り上げた瞬間に穢れている実に怪しいものと自戒すべきです。

人間とは純粋で美しいものと、不純でドロドロした汚らわしい両面の感情を併せ持っている生き物であることを認識し、そのどちらが表出するのか? は置かれた場面と状況によってサイコロのようにコロコロ変わるのが常なので、選択と決断においては感情抑制ができない人の多くは判断を誤ります。

人は自分自身が一番可愛いので官僚的になりがちですが、相手も同様と思う配慮ができない感情の抑制ができない指導者はエゴの暴走が止まらず、そこに正義まで持ち出し弱者の生き残る場所が奪うから、その恨みで死を恐れないテロ蔓延の悪循環が起こっています。

アメリカファースト・都民ファーストが叫ばれ、最近は国民ファーストと正義のように叫ばれておりますが、この正義の叫びの裏側に隠された権力欲というエゴはファシズムに繋がっています。

官僚的の反対語は大衆的・普遍的のような言葉になるのでしょうか? そして感情的の反対語が理性的ですので、何事も理性的に普遍的に捉えることを習慣として身に付けた人が理想の指導者になるのですが、実はその指導者を選ぶ大衆のレベルが指導者のレベルと比例していると私は思っています。

米国民を騙したトランプ氏を責める前に、トランプ氏に騙された米国民にも責任が半分あることを認めることで同じ過ちを回避できるのですが、ドイツはヒトラーに騙された人達が去っても教訓は忘れ去られずに、理性的に振る舞っているように思います。

特にドイツのメルケル首相(東ドイツ出身)の移民受け入れ政策には指導者としての深い教養と哲学のようなものを感じています。

ヒトラーを反面教師に声高な正義を慎み、異質なものを許容する器の大きさと深さの寛容こそがドイツ社会を緊密にし、ドイツ国民が移民との摩擦という葛藤を経験し成熟することこそが、ドイツ経済と社会の安心・安全に繋がるという信念みたいなものがあるように私には思えますが、次の選挙でドイツ国民がメルケル氏を信任するのか? どうか? でドイツ国民のレベルが試されます。

衆愚政治をポピュリズムなどと言って騙した方の言葉にすり替えていますが、騙された大衆が愚かな衆愚政治でいいと思います。

良いことも悪いことも歴史的に捉えると新陳代謝で、学び改めては驕り失敗を繰り返しながら栄枯盛衰に繋がっています。

辛口コラムニストの山本夏彦氏が『衣食足りて礼節を知る』は間違いで、『衣食足りて偽善を知る』と述べていましたが、森友や加計学園問題の政府関係者答弁を聞いていると納得です。

ヒトラーから学んだメルケル氏も新陳代謝の結果なら、官僚的で感情的な指導者が跋扈している日本の現状も新陳代謝の過程と考え、現在の日本のこの状況については、若者に期待し悲観も極まれば楽観に通じると思うことにしております。