失われ始めた下剋上体質。

国の栄枯衰退にはその国民に染み込んだ文化的なものが針路も含めて大きく作用していますが、これには恋愛の好き嫌いのような明確な理由などは存在せず、国民性という歴史的な経過の中でDNAとして沁み込んだ本能みたいな見えざる手が働いていると思います

この文化的本能は少しずつ変化を続けますが、その形成は生き残る為の環境変化への適応と、もう一つは長年その国の民族を律してきた法が民族の倫理を含めた精神形成に繋がっています。

自然環境変化や侵略されたり異文化と接してのキャッチアップ時に起こる化学反応ですが、どの民族においてもそれまでの文化的なものを基盤にして、取り入れるものと不思議に取り入れず無視するものの取捨選択が民族により異なり、これが国民性という文化的体質を作り上げ、国の栄枯衰退と密接に繋がっています。

昔亡くなった小林秀雄氏の本を読んでいた時に『日本人を形成したのは下剋上だ!』という言葉に触れた時、不思議に違和感もなく納得させられた思いがあり本当にそうなのだと思いました。

私は若い頃にサラリーマンも経験しましたが、日本人はどんなに高学歴でも能力のないものには極端に言うと蹴落としても平気で、能力があればのし上がって行っても構わない風土があります。

欧米には今でも階級・身分社会の壁があり、どんなに能力があっても身分を越えて立身出世を果たす人は稀な存在です。

中国や韓国などは身分や職業まで世襲が常識で、実はこれが公正な人事であって異論をはさむ余地がないほどの常識なので、腐敗が進んでも異常という認識がないので腐敗もなくならないのです。

日本の企業の中には、役員の血縁すら入れないという極端な企業すら存在しますが、例え創業社長の息子でも能力がなければ真に社員は動かず面従腹背を貫抜くのが日本人です。

この価値観が極限まで行ったのが戦国時代の下剋上ですが、自分の能力が上なら撃ち果たし自分が上になって何が悪いが、足利時代以降の武家時代から明治初期まで延々と続いたのが日本の歴史です。

つまり能力順位以外のものは一切許さない、それ以外の要素が入ることは正しくないと思ってしまう価値観が十三世紀以来持っている日本人の危険な国民性ですが、この価値観が生む活力は強力なエネルギーでもありますが、際限のない危険もはらむので回避する為の安全装置として巧妙な権限の委譲が採用されました。

権力者が細かなことまで言うと嫌われる下剋上回避策として、大枠だけ述べ『あとは良きに計らえ』として、部下自らに何らかの決定権を持たせることで組織への帰属意識を持たせて防ぎました。

つまり支配・命令ではなく、部下自らが決定し自分が実行しているという満足感を持たせる、高度な『条件づけ権力の行使です。

『条件づけ権力の行使』を判り易く説明すると、パブロフの条件反射で、犬に餌を与える時にベルを鳴らしてから与える習慣を続けると、その犬はベルの音を聞くだけでヨダレを垂らします。

つまり部下は権力者の命令や支配だけで動いているのではなく、自分自身の思慮で決断し実行しているという錯覚の満足感に陥れられ、操られている条件反射を利用した高度なものです。

人を動かすには❶脅しのような命令の行使か? ➋昇進昇給のような報奨金の行使か? ❸条件づけ権力の行使か? 以外にはないと米国の経済学者の誰か? が書いていました。

高度成長はこの日本人に染み込んだ下剋上文化と、危機を回避するための高度な安全装置が組織を自発的に活性化し、昇進昇給も伴ったうえに、朝鮮戦争という外的需用増加の幸運も重なったので、奇跡的な成長を成し遂げたのでは? と思います。

これと共に経済に敏感な日本人は、経済力が上なら自分は上であるというような経済的下剋上の感情も持っています。

つまり中学卒でも社会的地位が上になった人が有能ならば、決して拒否されず松下幸之助さんのように敬われます。

欧米では考えられない例が勝海舟で、彼の四代前は越後から江戸にきた按摩の高利貸でしたが、いつの間にか水戸家の財政を支配するようになり死んだ時には三十万両も持っていたそうで、そのお金で子供のために御家人株などを買ったりしたそうです。

勝海舟は愛人の子供だったので非常に貧しく育ちましたが、そんな中で自らの能力でのし上がり海軍奉行になり、最後は幕府の中で今でいう総理大臣まで行ったのですが、こんな下剋上社会は欧米や中国や韓国では考えられません。

坂本龍馬や西郷隆盛も土佐・薩摩藩士の中で最下級の武士でした。

中国の習近平国家主席は、彼の父が失脚前は共産党員の幹部だった足掛かりがあったので今の地位まで行ったのだと思います。 

では日本になぜ下剋上が浸透したのか? 理由は北条泰時が制定した貞永式目が日本の法として長く続いた事が作用し、能力のない者は良くないという土壌形成の役目を果たした所にあります。

この貞永式目の中に相続についての項目がありますが、この相続で面白いのは武家を除き公民の九十三%の相続は長男に限らず、子供の中で有能なものが相続すると定められていて、娘に有能な婿を取って相続させても良いともなっていました。

これは北条泰時が作った日本最古の法律であり、これが明治の初めまで多少の形や名を変えても日本社会の法として長く続きました。

江戸時代の寺子屋教科書にも貞永式目が使われたそうで、有能な者が相続すると定めたのは少しでも多く徴税するためで無能なものが相続し徴税が滞ると幕府の財政に影響するからです。

この徴税制度も北条泰時頃から始まったようで、教科書では承久の乱として習いましたが、後鳥羽上皇が鎌倉幕府の執権北条義時に敗れた事件で、その時の幕府総司令官が息子の泰時でした。

この五十五か条からなる貞永式目が日本の法として明治初期まで続き、その中に下剋上を罪悪とみなさない文言が多くふくまれ、それが寺子屋の教科書になるほどに日本人の生活に深く染み込み続けたことが、日本人の能力主義文化を形成させたようです。

前のブルグで述べた高度成長の時も、この能力主義は巧く作用していて、その上にGHQによるパージで上層部が取り払われたことも、若い能力のある次世代経営者にやる気を起こさせました。

世界からみると異質な日本人ですが、空気で動いたり・貴賤を問わず能力でのし上がったり・血筋という系譜や職業をお金で買ったりする行動も歴史的な経過を積み重ね染み込んだ文化的体質です。

デフレの長期化や最近の東芝やシャープのような大企業の衰退などは、この日本独特の下剋上文化の衰退と、マニュアル化して権限移譲も衰退して行った結果、組織の動脈硬化を招いたことが大きな要因ではないか? と思い到ります。

格差進行の中で、貧困の連鎖になっても資本家だけは世襲を繰り返しているうちに、日本人の中から『自分は何者にでもなれる』という下剋上的な意識が薄れて諦めが蔓延していることが、閉塞状態から脱却できない一因でもないか? と最近思います。 

夏目漱石の『草枕』の冒頭、『智に働けば角が立つ、情に掉させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかく世の世は住みにくい』などは日本人には誰でも理解できますが、欧米人には絶対理解できない空気で自発的に動く独特の文化と国民性が日本人です。

一般的には欧米の方が能力主義のように捉えてますが、小学校の教育内容から区別されている階級社会が実態で、日本人は草枕の冒頭の内容のように建前の裏に隠されている本音の方が実は真実で、非常に根深く過激で表面上は学歴社会のように見えても、裏に隠れている能力主義は下剋上のような過激な危険因子を内包している特異な民族のような気がします。

このような特異な民族が組織をスムースに動かすには、欧米のような資本力という力だけでは人は動かず、『あとは良きに計らえ』という空気を忖度させる権力者の虚構の器の大きさが必須です。

日本に最初の銀行を作った起業家・渋沢栄一氏が言った『事業の基本は道徳で、資本ではない』の言葉も日本人を動かす極意と下剋上予防策に通じているように思います。

東芝やシャープなどの企業業績不振や不祥事の問題にはモラル低下と日本人の下剋上体質喪失が陰にあって、組織が動脈硬化を起こしたイエスマンの増加が原因と思います。

森友学園の問題には日本会議(自民党員の多くが会員)という存在が陰にあり、安倍首相もその日本会議の会員で、籠池氏はその日本会議の関西支部幹部でもあったので、そのような空気が蔓延した中で官僚に『忖度』が及んだ結果の事件と思います。

この空気を読んだ忖度こそが権力による『条件づけ権力の行使』ですので、ロッキード事件のような証拠に結びつくものが少なくなるのは当然ですし、私欲が頓挫しトカゲの尻尾切りに追いつめられた籠池氏の反撃は、私的な恨みを正義の名を使って晴らす目的で百万円寄付発言をして権力による官僚の忖度を匂わせる行為で、この人には下剋上体質がまだ残っているようです。

この事件は安倍長期政権による首相夫人のおごりと官僚がパブロフの犬のように下僕化した条件反射ですが、おごるほどに選び続けた国民にも半分の責任があることを肝に銘じるべき出来事です。

日本は明治維新以降欧米のキャッチアップに舵を切り、その過程では欧米文化を咀嚼もせずに丸呑みし続けましたが、バブル崩壊以後の長期デフレと格差で日本人伝統の文化的DNAの下剋上体質とモラルも失い始め自己保身だけの自信喪失状態に陥り、これが政財官だけでなく日本人すべてに伝染しているような気がしております。

期待すべきは貧困層の中から勝海舟・西郷隆盛のような知恵者による下剋上で、若者はごますり・癒着世代の今の大人に遠慮せず蹴落とし突破するくらいの覇気を持って欲しいと思います。

いつの時代も若者にも器の大きな人材はいるので、器の小さい大人を軽々と乗り越え、企業・社会・国の活力と復活のためと自分達の子供の未来のために、中年世代以上を蹴落とすような若者世代の下剋上を真に期待しております。