色即是空・空即是色。

妻の死後の心境の一番の変化は、全ての欲みたいなものが消え失せてきたことです

独身の頃の私は立身出世という欲で精進していましたが、妻と結婚してからは『こんな小さな幸せ』を維持できれば良いと思うようになり、その為には過剰なお金は危険と逆に思う様になり、お金は少し足りない位が一番と思い生きて来ました。

娘が結婚し妻と二人で暮らしていた時は、もし私が病気や先に死を迎えたらと考え医療保険や死亡保険など、妻が金銭的に困らぬようにと思案したり、苦労を共にしても文句も言わず私の好きにさせてくれた妻を旅行に連れて行きたい、休みの日は二人で買い物も楽しみたいなどの気持ちもあり、その二人の楽しみのために働いていた事を改めて思い知らされております。

六年前の定休日に富良野まで出かけた帰りに妻が『このおんぼろ車、いつまで乗るの』と聞かれ、『車を買うお金がないから、しばらく乗る』と言うと『150万なら私が出してあげる』と言ってくれて今の車を買いましたが、お金で買う物は全て二人揃っているからこその購入する喜びでした。

そこには新車を運転している私の喜びを見て、妻が私の喜びに共感して自分の喜びとしていることも伝わって来ました。

お釈迦様は見える物を「色」と呼び、見えないものを「空」と呼びましたが、空気のように見えないものは空です。

車が色で、私と妻の喜んでいる見えない気持ちが空です。

数学界のノーベル賞と言われるフィールズ賞受賞の弘中平祐氏が対談で話していたのですが、アメリカ人の優秀な数学者が『アメリカ人に生まれて百万長者にならないと、意味がない人生だ』と言って学者を止め、『数学頭脳者リース』の会社を立ち上げ大成功したのですが、今度は『百万長者なんてつまらない』と言い、また大学に戻った人がいると話していました。

これなどは金持ちも空、数学の学問も空で、全て空です。

人は目的を達成した時の快楽を知っているから、知恵を働かせ苦労を厭わず努力しているのですが、その快楽の後に訪れるものも空で、次の快楽のために又新たな目標を作りますが、その到達点もやはり空です。

昔ある本で『親は苦労し、子供は楽をし、孫は乞食になる』という意味深な言葉を読んだのですが、苦労をして財産を残した人が死を前にして言った『私は全ての苦労を憎む、私の後に来る者にこれを残さなければならないからだ。 その人が知者か? 愚者か? 誰が知りようか? 私がした苦労と働かせた知恵を持って所有を維持する苦労を思う』などの心境を吐露したのも、人生の最後を迎え思い知る空の心境と思います。

この内容を読んだ時、妙に納得させられたのは大麻団地造成時の地主九軒ほどは全て億単位のお金を手にしていましたが、子供の世代で一軒を除きすべて失い大麻から姿を消しました。

では全てが空なら『何も精進しないで空虚に暮らす』のが良いか? というと、それは生を全うしない虚しいものです。

人は生まれ落ちて、生きている間は出来ないことを出来るようになったり、知らないことを知ったり、欲望を満たすために努力したり、好きな人に贈与をしたり、嫌いな人を嫌悪したりしながら生きる煩悩の中で成熟へと向かっているのです。

つまり空を知ることが、色という形を生むことに繋がっているので、空を知って色という煩悩に惑わされずに生を全うできるのではないか? と思います。

人としての生きる喜びは、人に羨まれるような物や地位を手に入れることではなく、愛する人に必要とされたり、社会から必要とされる仕事をしている中で、その人達との共感が最大の生きている喜びと思います。

たとえその喜びさえも最後は空になっても、自分自身の心の中には生を全うした喜びの手ごたえは残っています。

妻を亡くして一年が経過しましたが、家に『ただいま、お母さん』と帰宅するひとりの生活でも、いつも何をしていても妻と会話をしながら料理や洗濯・掃除をしているので、最近の日常は妻の霊と一緒に暮らしているような毎日です。

ここに到るまで眠れず泣いて過ごし、痩せてズボンも昔のものを取り出したりしながらも、懇意の先生から安定剤や睡眠導入剤を勧められても断ったのは、自分自身の心が全てを受け入れ整理できるまで修行みたいなものと思っていたからです。

孤独に耐えることは、決断し責任をとることと繋がっていて、それは世間の常識に捉われない独創性にも繋がっているように感じていましたが、実体験で実感している此の頃です。

こんな事と私の頭の中では繋がっているのですが、新車(スバルのインプレッサ)を買うつもりです。

今年で六十七歳になるのですが、世間の高齢者への免許返納圧力は魔女狩りのように激しくなって来て、高齢者が事故を起こすとニュースになる時代の対策を先取りして、事故に伴う高齢者非難から我が身を守る予防線と反骨精神もあって安全装備が一番の結果がで出ている車です。

妻に買ってもらった車をもう五年は乗るつもりでしたが、仏壇の前で妻にその諸々の心境の中身を話し、安全比較実験映像も確認してから決めました。

これからは歳を重ねるごとに日々体力も落ちて行きますので、体力維持に水泳・散歩・朝晩の体操・ストレッチを続け、車の運転は安全装置という科学技術の助けを借り、仕事ではあえて新規のお客様を追わずに品質維持だけを心掛け、残った体力を長年のお客様に誠心誠意の商品で応えて燃え尽きる覚悟です。

このような姿勢では売り上げが減少していくと思いますが、私も加齢と共に気力も体力も落ちますので、バランスを取るように欲も減少させ、体と共に欲も空へと進んで行くのが道理ですので、ローソクの火が燃え尽きるように静かに空の世界へと消え去り、また妻と再会したいと願っております。

 

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コメント: 1
  • #1

    サトパラリ (水曜日, 03 1月 2018 01:31)

    初めまして、高校三年生の女子です。
    受験勉強が佳境を迎える中、「色即是空」という言葉を知りました。この世界の全ては「空」であるという思想は救いでもありますが、ならば何故我々は必死に努力しているのだろうと袋小路に入ってしまいました。しかし、人生の大先輩であるたかの園さんのこの文章を見つけ、読むことが出来たおかげで、光明が見えた気が致します。
    きっと私はたかの園さんの文章の本当の意味を理解することはまだ出来ていないと思います。でも私もこの先何十年か後に絶対に(事故等が無ければですが)往く道であり、その時になれば自ずから「あぁ、こういうことだったのか」と分かるのだと思います。その時が楽しみです。それまで、私も全力で「生を全う」したいと思います。
    遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。たかの園さんのこの一年が良い年になりますように。
    ありがとうございました。