感情優先で理性が劣化。

衣食足りて礼節を知る』という言葉がありましたが、格差への不満が理性を失わせ、幼児のように感情のおもむくままに暴発することが事件のみならずに、選挙の投票行動にも波及し始めました。

トランプ次期大統領の当選と英国のEU離脱の投票結果に民衆主義の危機が垣間見えており、韓国の朴槿恵大統領の不祥事には指導者の劣化と孤独に思い到りますが、忘れていけないことは選んだ国民にも責任が半分はあるということです。

何事においても最近の傾向の一番の問題は、大切な事案においても激情に近い感情に左右された短絡的行動が増えおり、そこに理性的な処理がなされないで行動し、後になって後悔する子供のような大人が増えてしまったことです。

不満は言うが投票はしない人達は、投票率が下がると組織票による政治と組織の癒着が進むことを助長していることを知らないようで、いずれ差別に近い区別として自らに跳ね返ってくるのですが、その時もまた不満を垂れ流しているのでしょう。

このように国民を劣化させ不満に導き増幅させたものがグローバル資本主義で、その結果として中流が下流に落とされた異常な格差進行です。

歴史的に格差社会の英国の繁栄と安定を支えていたのはブルーカラーと呼ばれる厚い中流層でしたが、資本家達は人件費の安い移民にブルーカラーの仕事を置き換え、その利潤を自分達の高額な給与や役員賞与や退職金に当てる搾取に走った結果が結果的にEU離脱に繋がり、その手本になるようなことをしていたアメリカはトランプ次期大統領の当選です。

昔は国民の不満は革命に繋がっていましたが、民主制においては極右勢力を選択するようで、孤立主義から世界不況を招く経済危機と共に、些細なことから起こる戦争への危機も膨らんだように思います。

全世界の富の半分をトップ1%の人間が握っているような異常な格差社会の現状が、このような不穏な時代に追い込んでいるのですが、この1%の人間の欲望の際限のなさと韓国の魔女狩り的行動の繰り返しにも人間の心の奥に潜む邪悪なエゴイズムの本性を自覚させられ辛くなります。

それは普段は金持ちや権力者に迎合したり羨んだりしている人達ほど、相手が落ち目になったり弱みを見つけると激高しますが、選んだ自分の責任や迎合していた時のことは忘れて騒いでいるからです。

日本は民主主義の国において稀な政権交代がないに近い保守政権の連続ですが政権交代は新政権による旧政権のチェックという革命的行為を平穏にできるメリットがあり、この機能が権力者にある種の自制を強要することが肝心なことで、韓国のように政権交代のたび膿が出るのも歴史的な国民性の中に潜む歪みと思うのですが韓国人の本を読んでみます。

日本生まれのユダヤ人のイザヤ・ベンダサンが書いた『日本人とユダヤ人』の中に、天皇制を含めた日本の国の統治方法を歴史的に捉え、島国日本を政治統治の天才と言い、ユダヤ人は金儲けは上手だが政治的統治においては間違いだらけと述べていて、詳細は長くなるので省きますが(興味のある方は図書館へ)、これを考慮に入れると日本においては極右勢力の台頭はないのかな? と思っております。

日本を政治統治の天才と述べる理由に、歴史的に古くから朝廷と幕府という存在が三権分立(二権の中で)の役目を果たしており、国民は政権争いには無頓着で、戦をしている横で農民は農作業に励んでいた勤勉さが物語っていると述べていました。

この本は当時ベストセラーになったのですが、最近もう一度読み返してみても面白く、歴史は繰り返すと言いますが過去から未来が伺え勉強になります。この世界各国の国民性というものは実は歴史的経緯を経て積み重ねたものが、現在の国民の骨の髄まで深く無自覚に染み込んでいるものなのです。

格差問題は実はお金の問題で、パナマ文書の分析が進めば権力者やお金持ちの醜い偽善が明らかになるのでしょうが、この癒着社会で果たしてどこまで明らかになるか? 

政務活動費不正なども同じで、見えない所で私腹を肥やすのですが、この私腹を肥やす程度の不正は国を亡ぼしませんが、自分自身は騙せないので自分の醜さは知っているので可哀想な人生です。

しかし国家や会社の指導者選びは国家・会社の存亡に係わることで、大統領制ではない日本の国会議員などの議員選びにおける投票行動は自分達の生活を根幹を支えるものになる自覚が大切です。

勝海舟語録の『氷川清話』にあるのですが、世間の人が洋書が読めるとか知識があるなどで人を見ていると末路が行き詰る、何事も根気と誠心誠意のある気を養っている人が第一さ・・と言っています。

出身大学や知識の量で人を計り登用するのではなくて、無学文盲でも純粋無垢で金や威光に媚びず根気よく仕事に励む者は、どんな仕事においても世の中の為に働くと書いていますが、そう思います。

そのような人間は必要とあれば、その事に当たる為の学問は根気がよいので瞬時に身に付けます。

知識があっても苦労知らずの人は、人情の機微を知らないので兎角才智に走りがちなので、真の人を動かす力に繋がりませんのでむしろ害になります。

指導者次第で人間は善にも悪にもなり、利にも害にも走るのが人間の面白いところで、政治・会社・学校・家庭においても同じことが言えます。

人間集団においての改革の手本になるものは『日暮硯』の恩田木工が判り易いと思います。

信州松代藩の末席家老から財政再建を託された人ですが、要諦は自分に厳しく人に優しくです。

改革は上の立場の者から始めるもので、範を示して下の立場の者の改革を後にすることです。

家老を受諾してからは家族一同が御飯と味噌汁のみで暮らし、農民には低姿勢に年貢を猶予する配慮を示してお願い、民の暮らし向きを一番に思い測り、弱い立場の人達に過去の不平不満を直訴させ、その手紙は開封せずに殿様にみせ、殿様がその不正の者を処罰すると言うと止め『殿から優しく、その不正を働いた者に私への改革への協力するようにお伝え下さい』とお願いし、不正者を人格で圧倒して心服させるのです。

不正者には不正を働く才覚があるので、その才覚を良い方向へ使うように導き改革の力にと述べます。

幕府からの借財1万両も含めて、この改革は五年で成功に導かれましたが、すべて誠心誠意と範と寛容の力で知識の力ではありません

何事も根気よく粘り強い意志の力が真の人間力というもので、それさえあれば必要な学問や知識は瞬時に我が物にするものですので『勉強しろ』などと言うのは愚の骨頂です。

世界的に格差から不穏な時代を迎えていますが、家庭で言うと弱者の子供を虐待しているように、強者の守るべき立場の人がが自分のことは棚に上げて、自分には優しく甘い蜜を舐め、他人には苛烈に厳しくで真の改革の姿勢とは真逆の姿です。

歴史的評価の高い日本の国民ですので、もうそろそろ感情的・短絡的な無責任を自覚し卒業して、ただ忍耐して過労死するのではなく、お金への執着を捨て心に幅を持てるような知識にも目を向け、そんな心を豊かにするような自尊心のためにも、もう少し根気強くならなくてはいけないように思います。