三月の中頃に恵庭のパークゴルフ場から割引優待券の葉書が届きました。
妻が大好きな場所だったので毎年四月の最初の定休日はこのパークゴルフ場に行っていたので想い出してしまい思わず込み上げてしまいました。
何故か? 悔しさが込み上げ葉書を捨てたのですのですが、婿殿がプリントしてくれた妻の笑った大きな写真を見ているうちに『そうだ、この写真を車の助手席に乗せて一緒に行こう』と思い立ち、最初の定休日の四月四日に行ってきました。
一人で廻っていても様々な状況で妻の発した言葉が思い出され、何故か一緒に廻っているような気持ちになり、いつものように昼食も中抜けで行ったレストランに行き、いつものように夕暮れの最後まで一人で廻り九十ホールをラウンドしました。
その後もいつものように寿司を注文して温泉に行って、妻の分は娘に届けて一緒に食べました。
その時娘に『今日の定休日はどう過ごしたの?』と聞かれたので、趣旨を説明したら『一緒に廻れるように首から下げる写真を作ってあげる』と言われ、その夜早速婿殿が私の気に入っている妻の写真をケースに二枚入れてくれ翌日できていました。
それからは普段も胸に入れておき、何かあると胸に手を当てると気持ちが落ち着くのが判ります。
次の四月十八日の定休日は安平町のパークゴルフ場に行き、ここも恒例の中抜け昼食で二人で行った『そば哲』に行ってから戻って、最終的には108ホールも廻りました。
今回は胸に妻の写真があるので時々会話をしながらでしたが、私の言動は事情を知らない人が見ていると不審で危険な人物に見えたことでしょう。
帰りも恒例の『ユンニの湯』に行ってきました。
今年の定休日は妻と廻ったパークゴルフ場に行ったり、雨の時は富良野・積丹などをドライブがてら、二人で見つけたお気に入りのレストラン巡りをして過ごすことにしょうと思います。
四十三年間の夫婦生活を振り返りながら、気持ちの整理と区切りをつけられるのか? 判りませんが?
ふたりで共にした行動を通じて沢山の妻との想い出の数々をなぞって今年の一年を過ごしてみます。
しかし二人で共に過ごした生活を振り返って無念さが込み上げるのは、来年の正月休みに予定していた東京への旅が実現できなかったことです。
五年前の平成二十三年の正月休みに都庁向かいのホテルに宿泊し、レンタカーを借り切り恋愛中に遊んだ所や二人の勤務場所や新婚時代の家など想い出の地を巡る六日間の旅を妻が本当に喜んだからです。
新婚時代を過ごした一軒家がそのまま残っていたので走馬灯のように蘇り、二人で燃えた想い出など二時間ほどその家の前に立ちつくしてその頃の想い出話をし、妻と交互に家の前に立ち写真を撮ったのですが帰宅して現像に出したら一枚も映ってなくて悔しい思いをしたので、実はリベンジの旅を計画していたのです。
折角の旅だからデジカメを買おうと言っても、妻は古いカメラでいいと言っての結末だったので責任を感じていたのと、二人だけの気ままで懐かしい東京旅行は海外旅行より楽しかったから絶対行こうね!と妻が本当に楽しみにしていた旅でした。
こんなことを書いてきて言いたいことは、男が私のような状況を迎えた時の後悔しない人生にするためには『男も仕事だけを人生にしていては駄目で、大切な人との情愛と人間関係の方を人生にするように努める』ということです。
私は三十年程前に大型店のテナントとして支店を出して一ヶ月で撤退したことが有ります。
その一ヶ月間は忙しさで疲れていたのに、眠れずに考えさせられたことは『野心からお金を追って、夫婦としての時間も親子の時間も失っている』という選択への疑問でした。
仕事は家族の暮らしを守るために必要なお金を得る大切な手段で、お金が人生の目的ではありません。
お金を目的にしてしている人は、協力者も含め自分のその目的のための手段に使う傾向があります。
お金より大切で取り戻せない妻や娘との時間が取れない選択の間違いに悩み、野心と情愛のどちらを選択するのが自分が後悔しない人生に繋がるのか? そのことを一ヶ月考え続けて出した結論でした。
それ以後は世界中の人に嫌われても、いつも一緒にいてくれる好きな人に好かれていれば幸せなのだと確信するようになりました。
有名人の麻薬や自殺事件報道を聞くたびに思うことは、沢山の人にうわべで好かれていても、自分自身をかけがえのない存在と心から思ってくれる人がいない人の心は寂しく虚しいからだと思います。
人は死んだらお金も地位も名誉も持ってはいけないし、なまじ残すのは災いの素です。
私の場合は妻との情愛が深かった分だけ失った苦しみも大きいのですが、情愛の少ない夫婦生活はたった一度の人生としてもっと虚しいと思います。
何をしたか? ではなく、どう生きたか? が大切で、どう生きたか? だけは自分自身を偽ることはできないと思います。
そして情愛を深めた夫婦の中身は、その夫婦しか知り得ないほどに濃密な人間関係で、親子を越えたお互いの人間性の底まで知り抜いています。
男と女しかいない世界で、たった一度の人生を物やお金に振り回されないで、夫婦としての濃密な時間を過ごすことが真の人生を豊かにすることに繋がっていると私は思います。
それは仕事を止めて社会との繋がりが断たれ、やがて体力の衰えを思い知らされ、孤独や孤立を自覚し始めて初めて思い知ることです。
妻は私の言動や行動の心の底にある意志というより癖を全て知っていたので、何事においても『いいんだよ、好きにしなさい』と容認してくれました。
恐らくその理由は、私は死を迎える時に『楽しかった』と後悔を少なく満足感を持って死を迎えたい! と常々言っていたことを理解していたからだと思います。
『終わり良ければ全て良し』と言いますが、人生の最後に懺悔や後悔がないように生きるには、数々の人生の分岐点においてお金や物より人を優先する姿勢の日常化と、搾取を慎み贈与を心掛けて好きな人の喜びを自分の喜びに繋げることも習慣化する以外にないのでは? と思っています。
『仕事だけを人生にしない』と声高に言うのは、誰でも迎える人生の最後に仕事のことを思うのは人間としてあまりに悲し過ぎます。
家族を思い家族に思われて最後を迎えるのが本当に人間らしい人生だと思うからです。
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