利己より利他で救われる。

私の根に住み着いていた自殺願望が、妻の死を迎えて蘇ったのを抑え込む事に繋がった出来事が二つ有りました。

ひとつは厚別から定期的に来店する四十代の好青年で、性格が私の妻に似て聞かれたことにだけ答えるような寡黙な人ですが、発する一言には熟慮が伺える深く短い言葉をさりげなく述べます。

いつものように日曜日に来店したので、妻の死を知らせて今後は五時半頃には閉店する趣旨と経緯を話すと『大変でしたね』と多くは語らないのですが、様子から真心が伝わって来ました。

帰り際に振り向き『おじさん頑張って下さい』と言った表情に心の底からの深いものを感じ思わずハッとさせられ、お礼を言って見送る彼の後ろ姿に十年程前の出来事がフラッシュバックしました。

彼の両親も私共のお客様でしたが、彼のお母さんも妻と同じくも膜下出血で倒れ半年後に亡くなり、その後すぐにお父さんも亡くなっていたことを想い出しました。

車に乗り込む彼に『お父さんが亡くなったのは一か月後位だった』と聞くと、母の葬儀の時は前立腺癌の末期だったので車いすで出席し、その一週間後に父は亡くなりましたと告げられました。

何も言えず彼を見送り、それから彼の心中を思い測りながら振り返り気が付いたのですが、それから一年程経過するまで彼は一度も私共には来店しませんでした。

妻もそうでしたが口の重い人は、心で思ったひとかけらしか口にしない分だけ私には『おじさん頑張って』と言った彼の一言が心の叫びのように感じました。

その日私は彼と私の娘を対比し念頭に置いて彼が来店しなかった一年を思い測り、同じ親としての私自身の今後の身の振り方を思案させられ、彼の後姿を思い浮かべながら私の娘の気持ちと立場を考えて、辿り着いたのが漠然と取りあえず二年頑張ってみようでした。

そして翌月の二月には珍しく彼の奥さんが一緒に来店し、私の顔を見るなり『おじさん大丈夫ですか?』と言われたので、妻と共に過ごした空白になった団欒の時間を手間のかかる料理を作ることで埋めて何とかやっている趣旨を報告しました。

実は彼から私の妻の死を聞いて『今日はおじさんに言いたいことがあって一緒に来た』と言い、彼が両親の葬儀を続けて済ませた後に劇的に痩せ、私はこの人はこのまま死んでしまうのではないか? と思うほどに一年を過ごした趣旨を述べ、おじさんの一人娘にそんな思いをさせないように頑張って下さいと叱咤激励されました。

本当に嬉しい気持ちを受け取り頭を下げてお礼を述べていると、彼も嬉しそうに私の顔を見ていましたが、虐待のニュースが多い昨今にそんな彼達が子宝に恵まれない口惜しさを感じました。

帰りに奥さんの両親は健在で、その両親にも私共のお茶を届けているので頑張ってね! と言われ、心から頑張りますと答えました。

二つ目は妻が三十年ほど通っていた美容院の方で、その方のお客様から私の妻の死を聞きお供えして下さいと立派な花を届けてくれたので、ただただ恐縮して御礼を言い受け取りました。

その方もお茶が好きで私共に来店しているのですが、その後来店した時に『他のお客様がいないので、今まで言えなかったことを話して良いですか?』と言われたので『はい』と答えると椅子に座って話し始めました。

美容院をやっていると巷の世間話や家族や夫の話になりがちな中で長い時間を一緒に過ごすのですが、私の妻は聞かれたことだけに答える優しくておとなしい人でしたと言われました。

大概の主婦の話には夫の悪口や不満が多く返答に困るのだそうですが、妻ともう一人のお客様だけはご主人を褒めて感謝している趣旨の内容で、勿論二人とも自慢話のように自分からそんな話はしないのでカットやパーマをかけていて本当に楽しかった。

今までお茶を買いに来て私と話をしていると、外見では厳しい人と感じるのに奥様の話と考え合わせて聞いていたので優しさが伴った厳しさと理解していましたが、奥様の手前もあって言えなかったと言われ、これだけはご主人に伝えておきたかったと言われました。

妻が外で私の事をどのように話しているか? などは考えたこともなかったのですが、卓球や水泳の仲間と話しをしていて夫の悪口で盛り上がったのでお父さんも同じことにしておいたからね! と聞いたことは有り、それでいいよ! と答えていましたが、このような妻の外での言動を聞くのは私にとって初めてのことで、驚きと嬉しさと恥じらいが入り混じり困りました。

家では小生意気なひねくれ者で人間も食べ物も好き嫌いが激しくてその幅が狭いので私は大変さと言われても、本当のことなので反論のしようがないので『こんな私と長い間一緒にいてくれて、ありがとうございます』と慇懃無礼に頭を下げていました。

その方から間接的に聞けた妻の生前の気持ちが嬉しく胸に沁みて、その夜は妻の遺影に改めて『ありがとうね』と告げ、私と同じ気持ちで過ごしていてくれた妻の胸に秘めた四十三年間に報いられた安堵感に満たされ、これで心から妻との想い出を胸に前に進めると思いました。

振り返ると妻を喜ばせるために懸命に働いた四十三年間だったことを思い知り、生きる張りだった妻を失ってから懸命に働いた時間が一番良い時だったとつくづく思いました。

幸い身の丈に合った仕事は続けられるので、これからは娘・婿殿・孫へ妻の分もできるように努めようと考えるようにして残った仕事と家事と料理に精を出して空白を埋める気持ちになれました。

ここに到るまでに八時間横になっても二時間位の睡眠で、一時は血圧が下がり過ぎて目が回り、懇意にしている先生に時間外なのに検査・点滴・治療・投薬でお世話になり、仕事と孫で忙しい娘にも随分と心配をかけました。

その時は娘から電話の回数が多くなったので、結婚したら親より自分の家庭を大切に! と言ったことを忘れましたか? とメールをしたら、『大丈夫です、一番大切なのが自分で二番目が夫で三番目が子供でお父さんは四番目です』の返信でした。

愛する大切な人の為に自分が元気でなければいけないし、共の人生を乗り切る為の同志である伴侶が二番目であること。

そんな親の夫婦仲を意識できる環境で育つ子供の幸せが人格形成の好影響に繋がり、やがて自立し旅立つ子供が三番目であることを自覚して育ち、やがて成人した時に伴侶という同志を求める旅立ちに真摯に取り組む姿勢に繋げることが大切です。

そして親が四番目な根拠は、人間も含め動物は未来に向かって生きているので、楢山節考のように食料が足りなくなれば哲学を強いられて生まれて来た子供達の未来の為に老人は姥捨て山へ行くのと同じ道理からです。

誰でも所帯を持ったら、親より自分の所帯への責任を優先することが道理で、親は子供が幸せであれば自分自身も幸せなのも道理だったのですが、豊かな時代が続き過ぎたせいか? 自分達さえ良ければという自分勝手な大人が増え過ぎたように思います。

若者を利用するブラック企業の増加も保育園不足の問題も根は一緒で、未来を思うことより自分と現在を優先する人間の増殖に侵されているのが現代社会の病です。

人間の本当の強さは利他的な愛する人の為にと思った時に発揮されるもので、それが実は社会や国家発展の繋がっているものです。

逆に利己的なエゴは傲慢と搾取しか生み出さないので、社会や国家は衰退に繋がって行くのが摂理と思います。

いつも妻には『負け犬の遠吠えかい』と言われたのですが、お金も権力も持つほどに孤立し虚しくなるものと想像しています。

搾取の反対の贈与こそが人間として生きる真の喜びと充実感を湧き起こすものと思っていましたが、妻との四十三年間を振り返って確認できたこの思いを胸に頑張ってみます。

      春雷や一人の旅を迫らるる