取り敢えず二年。

ある方にブログの更新を勧められ一月の末に書いてから、書き留めることで自分自身の気持ちが整理されることを確認させられ、妻の死後に始めた日記『ひとりノート』との違いに気が付きました。

四十九日までは一日一日が精一杯で、夜寝られない対策にラジオをつけっぱなしにしたりタイマーにしたり、今まで通り無音で寝たりと工夫しても長年聞いた妻の寝息の代わりはありませんでした。

しかし今日で二ヶ月を迎える二~三日前から、夜間目覚めても少しの間は眠りにつけるようにもなり、妻の死を私の心が受け入れられて来たのかな? と推察しましたが、眠りと同様に妻とのひとり言の会話も自然になっていました。

妻の四十九日も娘・婿殿・孫を呼んで妻の仏前で賑やかにと思い、慣れない私の手料理で白菜鍋を囲み無事に済みました。

私の独身時代は食事付きの寮生活で、妻との結婚後は肉野菜炒め以外が作ったことがない私でしたが、娘達に教えられたインターネットの料理サイトを検索し印刷して老眼鏡で覗き込みながら、一人身になってからも外食なしで簡単な食事作りをして来ました。

今回の白菜鍋も買い物メモから始まり、下ごしらえも含め三日がかりで作ったので、他人様の口に入れる料理の出来上がりの不安で恐る恐るテーブルに置き、婿殿が最初の一口を入れたときが不安の最高潮で『ん、美味しい』と聞いた時の安堵感はひとしおでした。

一歳四か月の孫の賑やかさと、日頃ひっそりした毎日の我が家で三人がビールを飲みながら鍋を囲む会話に、家の中に久びさの活気が溢れ妻も喜んでくれたかな? と心が和み、その後娘達三人を見送る後ろ姿を見ながら何とも不思議な安堵感でした。

その後仏壇の妻の前でひとり言の会話をしながら、取りあえず三回忌の二年の歳月を娘達に迷惑をかけないように過ごし、そしてあなたが元気だったら娘達や孫にしてあげたかった事を私が代わりに力になるように、しかし娘達の家庭の邪魔をしないように心掛けて頑張ってみるよ! と妻に話しかけました。

幸い商いという仕事を通じて社会と繋がり、その糸口のお陰で昼間は救われても、黄昏時からの胸騒ぎは団欒の会話が失われた夜の近づきが胸を締め付け、それが不眠にも繋がっていたのでしょう。

しかし妻任せだった料理不作法の私が白菜鍋を作成する時の大変さにヒントを覚え、この失われた団欒の時間に手間のかかる料理で心の隙間を埋め、上手くできた時は妻の仏壇に供え一緒に食べるのが一石二鳥の過し方になるのでは? と思い到りました。

今はネットで料理のイロハから調べられ、スーパーに行くと具材も含めて数々の料理が素人でも作れることも実感しました。 

婿殿は料理が上手で、昆布と鰹節で出汁をとった美味しい煮物なども届けてくれますが、私の嫌いな大根も出汁が美味しいとこんなにも良い味になるのか? と驚くほどで、お父さんも甘え落ち込んでないで三食を自分で工夫して作るようにと叱咤激励する婿殿だけあり、その後料理のレシピも届けてくれたので挑戦してみました。

鶏肉と大根の下ごしらえから、昆布と鰹節で作る出汁の手間なども含めて三~四人前を作るのに二時間ほどかかりました。

煮物なので翌日に火を入れて味を確認して整える・・・とありましたので味見をして婿殿の味に近くなり自分でも驚きました。

早速『お母さん上手くできたよ』と仏壇に供え、もっと早く勉強して元気なうちに喜ばせてあげていたらと後悔しましたが、妻の遺影を見ながら料理の苦手なお母さんに『こんなことをしたら、嫌みになったか?』と思い直しながら、団欒を失った夜の寂しさを埋める手段としては料理に凝るのが良いと始めました。

その後は筑前煮や鶏ももとネギの和風カレー炒めなど挑戦し小分けして冷凍したり、お客様で一人暮らしで体が不自由な方達に迷惑にならない程度にお届けしたり、娘達の処にも味見がてら届けながら少しづつ腕を上げて夜の暇つぶしにしています。

寝る前に天気予報を見て起床時間を決め、昼食の段取りを夜か?

朝にはしておき、買い物も車をやめて必ずそこそこの距離を歩いて行くように心がけ、水泳もそろそろ始めなさいと娘達に言われましたので日程に入れるようにし、妻の口癖『頑張れ政裕』の掛け声を想い出して再会時の妻に褒められるようにします。

空気のようにいて当たり前だった妻がいなくなった空白の時間を、どのように埋めて行くか? これからも様々な工夫がいるのでしょうが今は『取りあえず二年、頑張ってみよう』の気持ちです。 

妻が元気な時の私は、妻を見送る約束を果たすために健康にも気配りし何事に意欲がありましたが、妻亡き後はこの歳になって死への恐れもないので、商いもプライドを持った商品を継続しようとは考えていますが売上げへの意欲も薄れ単なる孤立を防ぐ手段です。

今後は娘達家族の力になることを目標に健康を維持し、足手まといになり負担をかけるようになったら妻のように一気の死を迎えたいが今の願いで、伴侶を失った親というものに残されたものは子供に負担をかけずに、でも子供達のために生きる以外に望みがないことをつくづく実感しています。

生前の妻は『お父さんより先に、寝てる間に、苦しまず一気に』を繰り返し『本当に出来るだろうか?』と何度も言うので『お母さん願いなさい、願えば叶う』と言ってしまったことが頭から離れないのですが、今度は私が願い続ける番だと思っています。

それにつけても残念なのは、妻がいつも見ながら作った酢豚のレシピを失ったことで、妻にとっては手間がかかる私の大好きな酢豚は来客や何事かある時に必ずレシピを出して来て老眼鏡を鼻にかけながら、いつも難しい顔をして作っておりました。

このレシピ紛失は妻の突然の死で意気消沈の私を見て、見かねた妻の兄と姉が私の一人暮らしのために遺品の整理を一週間ほど滞在して全てやってくれた時に一緒に処分されたようです。

娘や婿殿もどんなにお金を出しても、あそこまでやってくれる人は

いないと感謝し二人からもお礼の品を送ってくれたそうですが、その娘もあの酢豚のレシピだけは残念だったと言っていましたので、

三回忌には私があの酢豚の味に近いものを作ってみたいものです。

 

      小商ひ日々重ねつつ冴え返る