生きる力の源泉。

子育てを経て妻と二人で十年程のんびりした生活を過ごしていたのですが、娘達が孫の誕生に合わせて当地に引っ越して来てから一段と賑やかになり、早いものでもう一年二ヶ月が経過しました。

この一年二ヶ月の娘夫婦と孫と私達夫婦五人の生活を俯瞰して眺めていると、人間の生きる力の源泉が見えて来ました。

娘の母としての様子を見ていて感じたことは、生みの苦しみを婿殿に助けられて得た我が子の生への泣き声に答えて母乳を与える始まりから、養育の辛苦の見返りのように子供の成長を実感する喜びの繰り返しの中で、我が子が生存のために母を頼りに求める無心の願いを受け取り、我が子を守ることに生き甲斐を感じ生きる力に変換しているのが伝わって来てひと回り頼もしくなりました。

婿殿はその妻に頼られていることを実感する中で、妻と子供を守るために仕事と家庭の両面で大黒柱としての力を発揮しています。

私も過去を振り返って今は実感できますが、その渦中の時は夢中で自分が守ると意気込んで行動していたと思います。

孫が生まれ日々の成長の変化を目の当たりにして、私達夫婦も生き甲斐と生きる力を貰っていることを実感することが増え、成長を少しでも長く見届けたいと思うと私達自身の健康にも留意するようになり、お互いを大切にそして頼りにするようになったと思います。

そんなことを考えて人間の生きる力の源泉が頼る者と頼られる者の愛情という絆の中から実は湧いて来ていることを改めて実感させられています。

人は誰でも誰かに必要とされることで自分が生きている存在意義を確認しているものですが、仕事においても社会から認められ必要とされることが一番の喜びになっているもので、収入は結果としてついてくる二番目のものと思います。

『人』という字の右側のような支える充実感なしに、左側のように寄りかかり他者に支えられてのみで生きていると、他者に迷惑をかけるだけで人の役に立っていない自分に自己嫌悪が起こり虚しくなり生きる力は減退するように人間はできています。

しかし矛盾しているようですが、支える方も支える事で支えられていることも事実で相互依存の関係が人間関係ですので、相手に自己嫌悪を起こさせない為にはこちらも『あなたが大切で必要としているから支えている』ということを知らせることが重要です。

お金も名声も手に入れ、お金で買えるあらゆる欲望を手に入れた果てに待っている虚しさの実態は、苦労を共にし助け合った繰り返しで得る充実感や連帯感などの精神的な絆の実感が伴わないことにあると思います。

お金で手に入る物の喜びは自己顕示欲を伴う一過性のもので、お金では絶対に買えない精神的充実感や満足感は何がしの苦を背負った思いやりを伴う贈与なしでは得られないものです。

子育てのような無償の愛においては自己犠牲に喜びすら感じていますが、夫婦の場合はお互いの役割分担を果たし合う積み重ねの中で実はお互いが頼り合う相互依存から始まっています。

しかしそこからお互いが相手の存在に対して感謝の気持ちが日常生活の中で感じることが重要で、これが存在しないとお互いの贈与行為が喜びと満足に繋がらない悲劇になります。

元は他人同士ですので、判り合えない苦悩や喧嘩を繰り返しながらもお互いが相手を必要と自覚し、思いやりという贈与を四十年以上も積み重ねると、子育てしていた時のような役割分担意識より日常生活そのものが一心同体になって来ると思います。

ある年齢になると人は騙せても自分は騙せないことを思い知るもので、自分が何をどれだけどんな気持ちで相手に贈与したのか? の確信は自分自身が一番良く知っていて、いずれ日常行為の結果が家族間の人間関係として現れて来ます。

そしてその人が『どう生きたか?』の結果に、その人の人間としての生きる意味が詰まっているように思います。

親子は血の繋がりで始まりますが、まだ弱い子供の依存に答えて守るべき義務感が親の強さに変わって行きます。

夫婦は性愛から始まり、やがて錯覚から冷めてからはお互いの役割を通じた辛苦の日常の積み重ねの中で培った心の繋がりですが、どちらにも共通しているのが頼り・頼られる心の共鳴関係です。

人はいつも誰かに頼って、そして誰かに頼られて生きることが健全な生きる力を持続する源泉になるようで、どちらか片方では精神的なバランスが崩れてしまうような気がします。

誰かの弱さから誰かが強さをもらい、その強さの中にある弱さを陰で支えている誰かの強さの依存関係に信頼関係が生まれ確認できた時に人は生きている喜びを実感するのだと思います。

不幸を伴う『傷のない家庭はない』のですが、その不幸に相互依存と信頼関係で向かって行く家族には奇跡が起こります。

錯覚から始まる冷め易く腐りやすい愛に最悪の環境は暖かいぬるま湯ですので、相互依存関係の中で共に果たすべき役割の使命を必ず果たし信頼に答える、その義務を果たさない者には根気よく求める(頼る)こと、それは平和を維持するための戦いで根気よく続ける国家間の外交交渉みたいなものです。

私は頼る人を持つことで自分の弱さを認め、頼られる人になるように努めて強く生き、そして最後は生まれた時と同じ弱者に戻って終えたいと思っています。