詐欺まがい横行の時代。

最近のテレビCMや広告を見ていて目につくのが、無知につけ込んだ詐欺まがいのビジネスが当たり前の時代になったと思う事です。

政治家も大衆を欺くことに自己嫌悪を感じるより、建前と本音を使い分けることで『してやったり』とほくそ笑んでいるような詐欺行為に陰で優越感すら感じているように推察されます。

デフレ脱却・景気回復と公約として叫びながら、勝利すると秘密保護法や集団的自衛権の行使や派遣法改正などの法案を数の力で採決していて、選挙公約とは別のことをどんどん法制化しています。

来年の参議院選挙前にも、国民へ経済的な不安を煽って自民党しか経済回復は無理のように思わせて勝利すれば憲法改正へと進むのでしょうが、衆愚と侮られている国民もよだれを垂らしながら何度でも騙されるほど無知ならば、選んだ方にも半分の責任があります。

フォルクスワーゲンの不正・サッカーのFIFA幹部の賄賂・国連議長の賄賂・東芝の不正経理などの不祥事も根は同じで、指導者層が一般大衆からのお金を力で吸い上げて私腹を肥やしていますが、逆説的に考えると私腹を肥やすような人間でないと偉くなれないような社会組織になっていると考えた方が正しいような気がします。

例えばフォルクスワーゲンの不正ソフトや東芝の不正経理などを告発する社員がいても、今の会社内の常識としてそのような社員と家族は力によって葬りさられているのが実情で、人間の歴史は力が正義が一般的には常識なのでは? と私は思っています。

しかし悪貨が良貨を駆逐する歴史を繰り返しながらも、社会が進歩して来たのは大衆が搾取や抑圧への限界から暴発して暴動や革命などを通じて正義を数の力で抵抗してきたからです。

つまり権力者はこのような反逆がなければ、自分達の目的のための手段として大衆を利用することに疑問を持たないほどに人間性が麻痺していくのも人間の性で、革命で追われたり犯罪者として貶められて大衆からの搾取で自分達の繁栄があったことを初めて知る愚か者と思いますが、そんな愚か者でないと出来ないような馬鹿な真似を最近の権力者はしているように見えます。

最近の一般的に間違った傾向として、学力や職場の出世などで人間的価値を判断していますが、高学歴や出世と人間性は全く別なもので最近はむしろ反比例しているような気がする時もあります。

お金と権力はその人が健康な時には迎合する人達に力を発揮しますが、健康を害して誰かの力を借りないと自分自身を維持できない体になると思い知らされるもので、そんな状況を迎えてみると初めてその人がどう生きたか? という人間性評価が出るもので、そんな最後を迎えた時の廻りの様子にその人間の人生内容が現れます。

権力者やお金持ちが入院する病院に勤務をし観察したことがある人だけが知っていることですが、私が聞いた話は『入院したら、どんな権力者も妻の手の平』という俎板の鯉になってからが、その人の真の生きていた時の姿を物語っていると言っていました

死んでも持っていけない権力という地位やお金に執着するのも人間の性なのでしょうが、資本主義が異常に進んだ結果として十年程前まであった詐欺行為への自己嫌悪という歯止めの感情もなくなって来たようで、最近は騙された方が悪いと無知をあざ笑うような根深い邪悪さをオレオレ詐欺などにも感じます。

動物も強者から逃げて弱者を捕食して生きるのですが、動物は自分が生きる為に必要な量の殺生で済まして生きています。

しかし人間の欲望には際限がなく、お金や権力という力か? 

暴力という力か? を使いながら蓄えるという知恵を持ってしまった為に欲望が際限なく肥大する危険がいつも伴っています。

それは収集癖のように肥大・拡大するうちに収集そのものが目的化してしまい、間違った手段を使うことも恐れなくなるので東芝やフォルクスワーゲンのように犯罪として摘発されるまで止められなくなっています。

しかし最近では稀な例として立派な人に前日立製作所社長・川村隆氏のような人もおります。

2009年3月「4月から社長か会長兼社長をやってほしい」と突然前経営陣に頼まれたのですが、グループ会社に出て6年が経過しており、その時すでに69歳になっていました。

そんな人への依頼は前代未聞でしたが、その時の日立の経営状態は最悪で、2008年度決算は7873億円の赤字計上が予測されていて、今でも国内製造業の赤字最高記録でした。

当時の日立は意思決定が遅く大企業病で、早い話が沈みそうな船から前経営陣が逃げ、川村氏を呼び戻し火中の栗を拾わせたのです。

川村氏は会長兼社長を引き受ける時『The Buck Stops Here』を強く意識したと話していましたが、「buck」とはトランプゲームにおける札の配り役のことで、この役が次々と回ることから、「pass the buck」という言葉ができ、責任転嫁という意味でアメリカでは使われるようになったのですが、『The Buck Stops Hereですので留まることになるので、責任は自分が取る意味になりますが実はトールマン米大統領が就任時に使った言葉だそうです。

つまり最終意思決定者、ザ・ラストマンとしての責任者の立場を明確にして自分自身を鼓舞し日立をV字回復させました。

その後次世代に経営をバトンタッチしてから日本経団連会長を要請された時も断っていますが、その理由は中小企業の為の日本商工会議所と大企業の為の日本経団連をひとつにしなければ駄目という理想を持っていて、政財界の抵抗を考えると日立の子飼いの人達を20人は連れていかなければならず、自分自身の年齢と子飼いの人達の将来を思うと断念せざるえないということだったそうです。

最近の私は今の世情に嫌気がさしているので少しでも時間があると、藤沢周平全集を図書館から借りてはひたすら読んでいるのですが本当に心が癒されます。

全編に共通しているテーマは日常に潜んでいるちっぽけでささやかな『普通の幸せ』のために戦う物語が多く共感でき、藤沢周平氏自身も普通が一番幸せと言っていたも共感します。

詐欺行為をしてもお金を得て贅沢をしたい人や偉くなりたい人は、兎角威張るものですが、『本当に偉い人は威張らない』とも藤沢周平氏言っていました。

醜悪な報道が多い昨今ですが未来への明るい兆しの兆候もあり、それは最近の優秀な若者の中に大企業を敬遠して、社会的貢献を念頭に入れて職業選択をしている若者が増えていることです。

醜悪な大人を見て育ちながらも、反面教師にして『人間は考える葦である』という証明への希望を感じる兆候のように私には見えて、やはりブレイクスルーには若者のエネルギーが必要と思います。

暗闇の中でも新しい芽が芽吹いて、その芽の小さな点のような光が集まって大きな光源になる繰り返しが歴史のようです。