異質・異物への想像力を。

寝屋川の男女中学生の遺体発見事件では、四十五歳の男の犯行として逮捕に結び付きましたが、まだ幼い二人だけで深夜から朝方という時間に年齢的に場違いな所へ目的意識もなく侵入したことが事件に巻き込まれた大きな原因としてあります。 

現代は動物の世界だけでなく人間社会においても昼行性や夜行性(山の手とスラム街)のような棲み分けがあって、その棲み分け領域における暗黙の掟(法)やルールの存在を無視して侵入する事の危険は、スラム街通行などを経験した人は理解できると思います。

動物における夜行性と昼行性の存在理由は、一つの限られた領域に多くの生物が生存して行く為に、昼間に活動するものと夜間に活動するものに別れた方が摩擦を少なくより多くの種が共存できるからですが、昼行性の動物は触覚より色の判別を含めた視覚が発達していて、昼間は他の動物の捕食から逃れ寝て夜に活動し捕食する夜行性の動物は色盲ですが触覚などが異常に発達しています。

どの動物も自分の住環境に合わせて機能を進化させて来たわけですが、人間も電気が発明される前は夜明けと共に活動を始め、日の入りと共に睡眠に入る昼行性の動物でした。

しかし電気が当たり前に供給される時代が長く続くうちに、昼夜別なく二十四時間連続で社会が動き続ける時代になって行く中で、人間もその個人の特性や環境に合わせて昼行性と夜行性に分かれ始めたのではないか? と思います。

コンビニにおける出入りを二十四時間ウオッチングすれば解ることですが、引き籠りの人達は昼は部屋に閉じ籠っていて夜間の普通の人が眠りにつく頃に出て来るそうです。

繁華街においても昼間の買い物客から、夜間のネオン街には男女を問わず夜に相応しい服装と人柄の人達に入れ替わります

そして昼夜どちらにおいても身なりから言葉使いも含めて暗黙のルールが有り、夜のルールが染みついた人は昼会社勤めのルールに馴染めずに苦悩したり排除されたりし、昼のルールで夜間を闊歩すれば痛い目に会ったり事件に巻き込まれるのも必然です。

そして置かれた状況によって、その場における力として存在するものが変化していて、それが地位だったり・暴力だったり・お金だったりしていますが、人間の場合昼夜どちらに属するかは動物のような天性のものを超えた生育環境が大きく影響していると思います。

高級住宅街やスラム街も文化的摩擦を避けることを目的として棲み分けされていますが、人間同士における文化的異物への排除行動の残虐さは歴史的な戦争を振り返ると明白で、言葉や論理を超えた皮膚感覚の嫌悪感から来るものと思います。

思春期における家族との葛藤から、ちょとした冒険心で悪ぶりたい子供達の衝動は理解できますが、格差を伴った棲み分けが複雑かつ異常に進んだ現代社会は表社会・裏社会・闇社会の境界が曖昧になり、表面上は境界が無いように感じられますが、一歩踏み込んだ所には掟という強力な法は存在していますので、その場の法を理解した上で別な領域に侵入しないと痛い目に遭うと思います。

動物は自分の天性の能力に合わせて生きる場所を選んでいるのですが、それでも天寿を全うするまで生き抜くことは大変です。

人間は動物ほど謙虚に自分の能力を自覚して生きていない動物で、どこかで何物にでもなれるように錯覚したり、自虐的に矮小化したりなどして極端に走る傾向があることも災いを多くすることに繋がっているように思います。

未成年者の起こす事件や事故増加の原因になっているものは、携帯やパソコンなど利便性の使用が増えても、それらを使いこなす上での視野が未熟なことで、これさえ有れば『緊急時は連絡が取れる』というような錯覚が勝ってしまう事と、別の世界を知らずに踏み込むと火傷するという想像力が未熟なことが遠因として有ります。

止む追えず異質な領域に踏み込む時の心得は、その目的に真っ直ぐに突き進み退去する意識が大切で、兎に角隙を見せないことが何事も未然に防ぐことに繋がっています。

動物のハンティングにおいても弱者を標的にすることが確率を上げることに繋がりますので、暗闇に昼行性の動物がいると夜行性の動物の方が能力的に優位ですので標的にされやすくなりますし、ましてや子供だったら格好の獲物になります。

子供達の世界でも携帯を使った裏サイトが有るそうですが、全ての場面で境界が曖昧になってきた現代社会では、建前の裏に隠された本音を熟知して対処できる能力が必須で、引き籠りやリストラやイジメの犠牲者も多勢の文化を読み取れない少数派に向けられた結果では? と感じています。

犯人の男も生育環境のせいと思われますが、いつも廻りから異質な異物のように思われていることを認識していても、どう対処すれば良いのか? 大人になっても不明なままそのストレスを抑圧して毎日を過ごしていたのだと思いますが、この本人すら不明なものが文化的に身に付けてしまったもので、学習や社会経験を通じても拭い去ることが難しい厄介なものが文化です。

地表に抑え込まれたマグマが蓄えたエネルギーの爆発力が強力なように、人間のストレス抑圧もコントロール不能になるほどの爆発力を秘めていて、その爆発方向は自分が社会的弱者として強者へ迎合していた反動から、自分より確実に身体的に弱者である子供や女性に向かうのが多いように思います。

では異質な文化を身に付けてしまった者はどうすべきか? ですが大人社会は意外と捨てたものではなく、自分に合わない世界に執着してしがみ付かない方が標的にならず済み、異質な者に存在する異能なものを(岡本太郎・山下清など)信じて少しの孤独を耐え忍ぶと自分に相応しい文化の場所の棲家は意外と見つかるものです。

自我を抑圧して廻りへの迎合を続けることは逆効果で破綻に繋がり易いもので、異質な自分を受け入れ『そんな自分を認めてくれる世界』に出会うための繰り返しを、社会や廻りに迎合しないで表明し続ける以外にないと思います。

文明が進んだ結果として人間も多様化が進み、その多様化した分だけ棲み分けの場所も多様化していますので、迎合して異質な自分を異物として攻め続け病気や犯罪へ繋がる危機を回避するためにも、自分の異質を受け入れ偽装しないで待つ努力をする事です。

知識やお金より大切なものは自分自身の文化をよく理解することで、その上で様々な環境で育った人達の文化を理解しようとする努力をすれば見えてくるものが有り、人間として生き延びるためにも過剰な迎合は避け、自分に相応しい環境に出会うまで待つ忍耐が非常に大切な事と思います。

犯人のような弱者への残虐性を持つ人が増えているのは、自己肯定感を持てずに育った人の増加が大きな原因で、こういう人は日常の自分自身を廻りに無理やり合わせ装い暮らしていますが、その抑圧がある限界を越えても装っているので、偶然にでも弱者と密室状況で出会うと突然暴発してしまいます。

現実の社会は金銭的格差や学歴格差や親からの愛情格差など様々な格差を背負った人達で構成されているのですが、兎角人は自分自身を尺度にして人や社会を判断し生活しがちなものです。

現代のような棲み分けが多様化した社会の中で、安易に自己基準で判断したり安易に他者を羨んだり蔑んだりする傾向と、他者への思いやりとして持ち合わせるべき想像力が失われている社会の在り方の中に、一瞬即発の危機感が何処にでも存在しています。