現代の学生事情。

奨学金とは学び奨励する為のおと書きますが、デフレ以降の親の経済状況悪化による仕送り額の減少で、今はほとんどの学生が奨学金だけでなくアルバイトに追われ学業どころではない状況になっており、格差による大学生の貧困化も陰で進んでいます。

そしてそのアルバイト先のブラック企業の増殖も消費不況と共に拡大し続けていて、その苛烈さは本人の希望を無視したシフト・賃金未払い・ノルマ未達成への罰金などパワハラ・セクハラの実態は親でも知らない状況なので、まして一般の子育てが終わった世代の人達には知らない所で学生達の実情変化は進んでいます。

奨学金で大学を出ても正社員になれない人達の返済不履行の情報を知っている今の苦学生は、奨学金返済を軽減するために学業よりもアルバイトに追われる本末転倒に追い込まれている人もいます。

社会状況変化の影響を一番大きく受けているのは、実は社会へ飛び立つ前の年代の人達で、世相を敏感に察知しての備えです。

民間企業の平均年収は1997年度の467万円から2013年度は414万円に低下した影響で、奨学金利用者は20%から52.5%にまで増えていて、その奨学金の8割を占める日本学生支援機構も有利子中心の制度にしたので1990年代は無利子奨学金が70%台だったものが2012年度には逆転して有利子奨学金が70%になっているのが実情です。

人は自分の立場を中心に情報を集める傾向があり、このような情報の世代間格差のために実状を知らずに『今の若い者は』と言う大人がいつの時代もいるのですが、しかし現在のような実情の変化に気が付いている大人は少ないと思います。

大学時代のような社会に踏み出す前の期間は、サークル活動や友人との交流を通じてのような様々な経験や学びによって、ものの見方を広げたり深めたりする貴重な充電の時間のように思うのですが、現代の大学生は余暇も含めて人間的に育つための余裕が金銭的にも時間的にも与えれていない状況に陥っています。

学生時代の金銭的不足は昔もありましたが、正社員への壁という未来への不安を抱えながらの現代の大学生の時間的余裕の欠如は、読書や勉学への余裕を奪って人間的成長をも阻害していて、結果としては卒業後の労働力の質の低下にも繋がり、社会人になってからは奨学金返済に追われて未婚化から少子化にも繋がり、人口減少の加速となって高齢者社会保障費増加だけの活力低下社会に繋がってしまいます。

少子化は生産年齢人口の減少になり、労働力の質の低下は生産性の低下に繋がりますので日本経済と社会の未来にはマイナスです。

『青年よ大志を抱け』とクラーク博士が言った時に呼応できた若者達と現代の若者達の違いは何か? を考えてみたいと思います。

同じように混迷した社会なのですが、現代はシステム化・階層化が進み過ぎブレイクスルーへの光が見えないことが遠因としてあり、昔のように学業に励み努力しても正社員にもなれない人達の現実を見て育ち、社会も企業もきっちりと枠組みが出来上がって固められていることも若者は思い知らされています。

スッタプ細胞の小保方さん等のように大学院を出て博士号を取っても就職に困っている人達は膨大な数で、派遣やアルバイトで生活している人達も現在の日本には多数おります。

これも少子高齢化と人口減少によって起こる活力低下の悪循環によるもので、優秀な若者の供給が増えても必要とする需要の方は減少し続けておりますので、弁護士や公認会計士や医師の世界でも昔との実情の変化は想像を超えていて、全ての世界において個人の力で既存の枠組みを打ち破るのが難しい時代になって来ています。

昔は多くのブルーカラー労働者と少数の知的ホワイトカラー労働者で構成されていましたが、機械化・コンピューター化によって生産性向上が進んだために、昔は正社員だったブルーカラー労働者が派遣社員やアルバイトで人件費節約にされていますが、高度成長の内需拡大は多くのブルーカラー労働者の消費が原動力だったのです。

このような社会状況変化で親から十分な経済的支援を受けられる学生は少数ですので、現在の多くの学生は不本意なアルバイトと有利子負債の奨学金を背負い、その先の不安な未来と闘っています。

今は懐かしい一億総中流意識の時代の活力を肌で感じた時代を想い出すと、同じ大学生として過ごす毎日の景色は隔世の思いです。

社会福祉に異議を唱えたら袋叩きにされそうですが、深刻化する人口減少を乗り越えるためには、ブラック企業根絶と若年層の雇用状況改善と共に、欧米型の給付型奨学金も視野に入れ、有利子奨学金返済中の人達には所得に応じた返還の猶予や減額や免除も社会福祉と捉える視点を持たないと活力ある未来は望めないと思います。

逆説的ですが若者の劣化が進んでいるとしたら、それは大人の劣化が遠因で生み出されたものではないか? とも言えます。

Boys,be ambitious like this old man. は直訳すると

『若者達よこの老人(クラーク博士)のように野心的であれ』となります。

一般的には大志となっていますが、多義語の英語は文脈で意味を読み取りますので、これは大志ではなく野心です。

若者の長所は根拠ない自信と野心で、そんな若者達の自信と野心の行動力が社会に活力を生み出し、やがて家庭と子を持ち成熟するにつれて野心が大志へと変化して行くのだと思います。

今のような社会に巣立つ前の若者達が、抑圧された機会不平等の学生時代を過ごし、社会人として日本の将来に活力を与え義務と責任を背負うのは過酷過ぎて荷が重いと感じています。