ドメスティックバイオレンス。

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家庭内暴力と言っても夫婦間・児童虐待・介護者による老人(親)への虐待などの扶養関係においての暴力を指しますが、核家族化した密室におけるものなので社会や警察などの干渉が難しい状況に起因している問題ですので、表面化した時は事件性になりがちです。

昔から躾として行われていた暴力とは異質な状況で行われている事が現代の特徴で、貧困や格差も関係した男社会の夫という形の制度疲労も遠因にあります。

昔は支配的な男が男らしさで金銭的・物質的に生活を支え、女性はその男を支える役割の中で家庭において家族(特に夫)に『安らぎを与える』ことを求められていましたが、現代は社会制度の変化と共に男女が中立的になって来ました。

そして現代は昔の親類・縁者も含めた地域社会と共存した家族状況から、核家族が社会や親類からも独立した家族の在り方そのものの変化によって、家族を結び付ける絆が感情というものだけに依存する危険な状況に追い込まれ、暴発危険のガス抜き的役割の地域社会や親類や近所付き合いが機能しなくなった為に、より密室化した中で感情だけがぶつかり合うので解決が難しくなっています。

家族は男女関係からの始まりで、次に母子関係になり家族愛へと発展して行きますが、昔の様にそれぞれの役割としての家族関係より情緒的に結ばれる事が幸せの十分条件になってしまった事も家族関係をより危険にしてしまったと思います。

この感情で絆を結ぶ情緒的関係は非常に不安定で、親子・夫婦の些細な出来事や言葉で急に関係が揺らぎますので、暴発した時に家庭内暴力という危機に繋がり易いので、感情を理性で抑制できない人が家族にいると、家庭がストレス源になってしまいます。

現代は親子共々にストレスの多い社会ですが、本来は家庭における家族がそれぞれ外界ストレスの解放区として機能する場のはずですが、社会と家庭が今ほどに分断されていない昔と違う現代の家庭では、社会から完全に独立した密室家族になっています。

その為に夫婦も親子も感情が絆の確認作業だけになりがちで、昔と違い役割が次になってしまった事が現代家庭の特徴と悲劇です。

思春期の息子が母への暴力でも、母は仕事に追われて自分を愛してくれなかったとか、やたらうるさく支配・命令されたなど、その為に自分はこうなったと理由付けをする非社会性に陥り、心にあるのは母への思いを忘れた噛み合わない感情のもつれだけです。

仕事で自己実現できない男も家庭に帰ると家長の王で、外での鬱憤を妻に癒されないと突然暴力を振るっているようですが、本人は家族の為に働いているのに察して妻が癒してくれないという自分だけが正論の怒りで、自己実現できない自分への内省を忘れた思春期の息子と同じ甘えから抜け出ていない人です。

どちらにも共通している視点はいつも自分からで、自分と同じ痛みや悲しみや苦しみを他者にもあるという複眼で見る事が出来ない社会性が欠落した未成熟な人達が家庭内暴力の加害者と思います。

社会性とは感情を抑制する事ですが、その感情を巧く処理する仕組みを身に付けるために家族があり、そこに安心やくつろぎを感じて赤裸々な関係を結ぶことが出来るのが本来の家族です。

親子・夫婦の感情的関係を理性的関係にするには、互いの『人権』が意識されること大切で、支配や命令という上下関係を排除しないと家庭内暴力は消滅しないと思います。

ミッシェル・フーコが家族は性的関係を起点として愛情・情動・感情というものを同心円上に配置した私的空間と述べ、この家族空間で情動的空間の強度化・親密化が進み過ぎると緊張と葛藤を生まれると言いましたが、現代はプライバシー化で家庭が社会から孤立し過ぎた為に、他人であれば保てる距離間を家族間で喪失して息が詰まるほどの密着に繋がり、ちょっとした感情もつれが爆発して暴力と虐待に繋がって増加したように思います。

子供達も多く親類との交流も頻繁になく、子供を大人にする儀礼的文化の仕組みの地域社会で生活していた時代はもう無く、全ての物事が家族単位で進む現代家族の親密で純化され過ぎ、逆に密接になり過ぎて危機に繋がっているのでは? と思います。

家族という私的な他者を寄せ付けない現代社会だからこそ、家族にまつわる病理が増えているという逆説が現代の状況です。

私は愛されなかったのでは? 親の言うことを聞き過ぎた優等生の自己嫌悪? 癒されることへの過剰な願望? 等心の傷を抱えても尚人生に意味を求める人間の性が更に迷路に追い込みます

家庭生活では子供問題・老親介護・リストラも含む金銭問題などと数々の問題を抱えて進行しますが、どの問題においても夫婦は元は他人の別な文化で育った二人で解決方法を擦り合わせる葛藤を体験しなければなりません。

物質的豊さに慣れた現代人は、行き過ぎた資本主義社会の弱肉強食のストレスに晒された社会で格差と闘いながら、誰もがお金が無ければ生きられないと思い込みの落とし穴に嵌り、地位と名誉から得られるおカネと物欲に執着していますが、その代償として社会的連帯を失った孤立社会の危機が家庭と家族を襲っています。

貧しかった時代は隣人同士が助け合わなければ生き残れないことを誰もが自明の事として受け入れていましたが、豊かの時代の現代の方が実は無縁社会になっているように思います。

情報だけは過剰な無縁社会において、家族の密室化はより強化され、歯止めも緩衝物(者)も介在しない危険地帯になりがちで、その危険地帯では暴力という力が正義の場所になりがちです。

携帯電話の普及によって家族でも無縁家族現象が起こり始めていて、家族なのに家族のことを知らない事態も増えています。

昔は『法は家庭に入らず』が原則でしたが、現代のような閉じた家族から開かれた家族にするためには、地域社会の再生と家庭内暴力やストーカー等へのきめ細かな法整備が必要な時代になりました。