ピケティの格差論。

ピケティの『21世紀の資本』は高価なので要旨をまとめた概略本を図書館から借りて読んでみました。

格差の歴史的解明を試みた学者らしいマルクス以来の挑戦と思いますが、日本の格差の現状と照らし合わせて読むと見えてくるものも有り、格差は人間の裏側に潜む欲と業の歴史のようにも思えます。

ピケティの指摘では人間の歴史は格差の無い方が稀で、第1次と2次世界大戦の前後60年間位だけ格差が縮小したと述べていて、その理由を4つ上げています。

一つはロシア革命などで欧州の富裕層の資産が崩壊

二つ目は戦争による戦費調達の為に富裕層への累進課税強化

三つ目が1929年の世界大恐慌富裕層が資産を失った。

四つ目が恐慌後の経済建て直しの為に計画経済(ニューデール政策など)による復興政策採用によって格差拡大の歯止めが起きた。

と述べていて、つまり外圧がなければ格差は拡大し続けるというのがピケティの理論です。

この60年間ほどの『格差圧縮時代』は『資本家なき資本主義』という束の間の夢の時代で、高度成長時代の一億総中流の時代は正に夢の時でしたが、1980年頃から元の格差拡大の軌道に戻ったと統計数字で表わしております。

では格差拡大の一番の根本原因は何か? ですが、ピケティは働かなくても収益が上がり、相続によって個人の努力とは無関係に引き継がれる富としての『資本』が格差拡大の元凶と述べ、資産の世襲によって家賃・利子・配当等の不労所得による所得格差によって富の偏りが起こって格差は拡大し続けると言っています。

例えば100万円の資産の収益率が5%であれば5万円の収入になりますが、その100万円の資産がないサラリーマンは5万円は手に入らないので、成長率1%時の所得の伸びが1万だったとしても差額は4万円になり、資産持ちの所得増1%も含めるともっと差が広がっており、格差はより拡大し続ける結果になります。

富と格差は放置すれば拡大し続けるとピケティは述べておりますが、その処方箋は高額所得者の課税ベース引上げと、世界的規模で資本税を導入することです。

資本税とは資産から負債を差し引いた額に課税するというもので

すが、最近の金持ちや大企業は税金の安い所に移動しますので、世界規模で実施しないと、導入しない国が出ると導入した国がババ抜きのババを掴むことに繋がってしまうからです。

こうすると住宅ローンで家を買った人でも、ローン残高が多い人には課税が少なく、ローンが終了して楽になった人には課税が増えますので格差縮小の夢の実現ですが、その税収を低所得者への公的サービス充実として再配分したり、少子化対策として子育て支援の充実や社会福祉充実費用としたり再配分することで、格差縮小の手だてとして税収を広く生かす道にも繋がります。

しかし今は各国が大企業誘致の対策として、課税ベース引き下げの競争を続けている為に、大企業も個人の富裕層もより税金負担の少ない国に移動している状況なので、今のままの格差を放置すると資本主義社会では格差が拡大し続ける道理です。 

今のような世界的な成長率が低い時代において、資産という富の比重が大きい人達ほど不労所得が増える上に、少子化社会ではその資産を引き継ぐ子供への資産集中度を上げてしまう為に、貧困層と富裕層の連鎖が続き、格差がより拡大する悪循環が現状です。

日産が経常赤字の時のカルロス・ゴーンの年収が9億8000万円でしたが、その時の派遣社員の年収は300万円位でした。

何故このような経営者(資本家)の年収高額化が進んだか? は所得税の最高税率引き下げが元凶でした。

1970年代まで日本の最高税率は75%でしたが、中曽根政権の時から徐々に引き下げられていった事で、経営者の手取りが増えて行き『強欲経営』を生み出し格差拡大に繋がって行きました。

1980年代には60%~50%へ下げられ、1999年には37%迄下がってしまいましたが、高額所得者は税率が下がると手取り額が増えますので、資本家はリストラや派遣社員で人件費を削り出た利益を株主と経営層で分配するエゴが進行しました。

その結果によって格差拡大と税収不足の財政難でしたが、その税収不足を貧困層も含めて広く取る消費税の引き上げでしたので格差はより拡大しました。

そして日本の格差拡大の推進力になったものが小泉政権時の製造業への人材派遣(財界からの要請)を解禁したことです。

この政権の経済財政政策担当大臣の竹中平蔵氏が製造業への人材派遣解禁を推進した人ですが、現在竹中平蔵氏はこの政策の恩恵で潤った人材派遣会社パソナの会長に就任している事実が何を物語っているか? です。

小渕政権時にNHK教育テレビで竹中平蔵氏の講演を見た時に一番印象に残っている言葉が『努力した者が報われる社会を作る』でしたが、実は彼は権力者と資産家が報われる社会の事を指しています。この時にNHKも偽善者を見破れないのか? と唖然としましたが、小泉政権で大臣になり高額所得者の累進税率を大幅に下げことが彼流の『努力した者が報われる社会』なのです。

強者の癒着構造を嘆いたり批判したりは簡単ですが、具体的行動として国民が選挙の投票行動を通じて権力者を不安定な状況に追い込むような健全な野党を育てて来なかった結果で、血を流さずに一番手っ取り早い社会改革実現は政治を通じた投票行動です。

政権の移動過程で過去の癒着の闇が表面化することにも繋がりますし、一党独裁は最悪ですので投票棄権のような諦めは逆に組織票との癒着を増やす温床にもなります。

山から流れる汚れた水も、流れているうちに石に洗われ綺麗に澄んだ水になりますが、綺麗な水もそのままにして置くとボーフラが湧いて飲めない水になるに似ているのが権力の実態です。

ピケティの理論は格差縮小には理想的ですが、必ず資産家や大企業は権力への献金攻勢で阻止しようとします。

民主主義の数の力を投票で生かすよう国民が立ち上がらないと格差拡大は止まらず、責任の半分は政治家を選ぶ国民の知性の衰退による選挙における投票棄権が増えたことも一因で、このような現状の中で民主主義が資本主義の奴隷にされてしまったのです。

格差拡大の最大の欠点は社会から活力を奪うことで、富裕層の強者の子供として育った者は甘やかされ傲慢で弱者の気持ちや立場を考えられない人間になりがちで、貧困層の弱者の子供として育った者達は教育の機会を奪われたり放棄したりで僻みや妬みの強い人間になりがちです。

その結果の社会はお金や権力の癒着構造か? 自暴自棄の暴力か? で相互理解が進まず治安の悪化による相互不信の社会になります。

理想的な活力ある社会は総中流の社会で、誰もが何者にもなれるように思えることで、そこでは相互に切磋琢磨し相互に化学反応をもたらすような子供達が成長を確信できる場所になりますし、その結果として安心・安全な治安の良い社会に繋がって行きます。

そして中流社会で子供達が育つ中で身に付ける一番良いものが『酸いも甘いも噛み分ける』両方を経験することですが、格差社会において富裕層の者は甘いだけで傲慢になり、貧困層の者は辛い酸っぱいだけになり僻み妬みのイジケタ人生になっています。

人間は誰でも何時でも他者との比較で生きているのが常で、『酸いも甘いも噛み分ける』の意味である心豊かに人の心の機微や世間の事情によく通じている大人として子供達を成長させる大きな要素になるものが中流社会には存在していて、その結果が国力と国民の心の豊かさに繋がっているのでは? と思います。

ピケティの資本税を世界的規模で導入するは理想郷ですが、人間社会の歴史は数々の過ちを犯しながらも進歩してきた歴史を信じ、政治への諦めと自暴自棄をもうそろそろ止めて、国民も政治家を選んだ責任を半分背負う覚悟を持って知性を磨かないと資本家の奴隷になり続けるが読後の強い思いでした。